仕事辞めた。別に病んでないよ。
仕事を辞めました。
辞めることが苦手な私がこんなにも簡単に新卒カードを捨てたのには、私自身が驚いている。だけど、期限を決めずに現場に居続けるのは無理だなって思った。何やりたいの?って聞かれて、その場限りの嘘を言うことに少しずつ限界きちゃうなって思った。
だけど、別に病んだわけではない。何となく次にやりたいことが見えてきて、次にいかざるを得ない環境を作らないと自分が動かないて分かっているから辞めた。
何度も言うけど、心が病んで辞めたわけではない。
私の周りの人は優しい。心配してくれる。
だからなのかは分からないが、心が病んで辞めるのかと心配された。何故か勝手にそういう理由前提で話しを進められることもあった(優しさ故であったとは思っている)。
心配ありがとう。全然そんなことないから安心して。そんな気まずい雰囲気ださないで~。え~、仕事決まるのかな~。
なんて言いながらちょけることが多かった。優しさにありがとうって思いたいけれど、どうしてもモヤモヤを毎回感じた。
んんんんんんんーーーーーーーーー。
配慮が選択肢の一つにあるのは、素敵な世界だと思う。だけど、全ての事象をその時ホットな出来事に結びつけるのは、本当に違うと思う。
選択肢の一つ。理由の一つである。
仕事を辞める話とは違うけれど、夏からお友達とルームシェアを始めた。
同棲じゃなくてルームシェア。
彼氏じゃなくてお友達。なんなら同性。
同性だからといって、私が同性愛者ではない。
世の中一般的に、20代の女性が2人暮らしを始めるといったら同棲なのかもしれない。いやいや~、女の子のお友達なんです。
ここからが割りと飛躍。それを言うと、何故か私は同性愛者と判断される。2人暮らしはカップルしかしちゃダメなのですか?
そして、なんだか扱いにくい人となる。
恋愛対象が多様な世の中、それを考慮してくれる人はありがたいのかもしれない。だけど、普通じゃない=最近話題の恋愛の形とするのは安直すぎる。
あくまで、可能性の1つ。
ちょっとお友達というよりは、大切な人となるのかもしれないけれど、お友達はお友達なのだ。恋愛感情はない。
配慮をしてくれるのは、考慮してくれる証。知識がある証。
だけど、最近話題のあれをしている人は必ずしもあれなのではない。
あくまで可能性の話。
配慮も考慮も優しさも思いやりもきちんと受け取っている。
だけど、決めつけないでほしい。決めつけるくらいなら聞いてほしい。
事細かな理由まで話せないことが多いけれど、イエスかノーかくらいで答えることはできる。決めるられるくらいならば、白黒はっきりさせたい。
あーーー、面倒くさいぜわたし。