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”働ければどこでも”~怠惰大学生が選んだタクシーの世界~

ご乗車ありがとうございます。日本交通(株)新卒採用担当です。
今回は今年入社したばかりの23卒新入社員に、ご自身の就活を振り返って記事を書いてもらいました。

新卒で入社する会社を選ぶ大事な意思決定をどう決断したのか、それまでにどんな人生があったのか、同じく今意志決定に悩んでいる方の背中を押すことができれば嬉しいです。


「正直、働ければどこでもいいじゃん。死ぬわけじゃないし」

それが就活生だった頃の私の決まり文句。

そんな私、佐藤の中学生活から今までを振り返る「備忘録」となるかもしれませんが、お許しください。


【中学時代】「失敗=悪」の思考から

中学は勉強やスポーツもそつなくこなす子でした。生徒会では役員を務め、部活動ではキャプテン。様々な活動をする日々で充実していました。

しかし、受験期。自分の祖母が病で倒れ、母が介護で付きっ切り。母子家庭の私は1人で進路を決めなければなりませんでした。そこで考えたことは「受験勉強せずとも100%入れて、家から徒歩で通える高校に行こう。あと、早めに決めてあげよう」

そう考えた私は志望校を大きく下げ、近くの公立高校で合否日程の早い推薦で行くことにしました。

はたから見れば「親孝行だ」なんて思われるかもしれません。
でも、それは自分の「勉強したくない」という怠惰に目を向けなかっただけ。「親のためを思う気持ち」を言い訳に、勉強することをやめた結果の選択でした。

【高校時代】ただ流されて

高校時代、クラスにはやる気に満ち溢れ「将来の理想像」を持った同級生たちがたくさんいました。しかし、私は彼らのように立派な将来像なんてものは持っていませんでした。高校卒業後、すぐに社会人の道に進んだ子が半分以上。そんな展望を持った友達を羨み、たまには恨み、大学受験を行っていました。

志望校に何度も別日程でトライした結果は……全敗北。自分の行きたい大学の学部には指すらもかかりませんでした。

そんな中、私の担任の提示してくれた大学は目指していた学部に近く、実力で勝負できるところでした。
「君ならここ向いていると思うよ」
そう言われ受験。今でもあれは救いの手だったと思います。しかし、これも自分の意思で決めたものじゃない。
この時の私も「怠惰」でした。自分の頭で考えることをなまけた結果「仕方なく」といった形になったのです。

「怠惰」が許された大学生活

「仕方なく」入った大学は総合政策みたいなふわっとした学部に。
そんな大学生活。「大学時代を一言で表すと?」と言われたら

「怠惰」

以外は考えられません。

とりあえず入ったアルバイト、なんとなく参加したサークル、テキトーに取った授業。ここに自分の意思なんてものはなく、友達についていった結果そうなった形でした。授業は5回まで休んでいいなら5回は休む。そうして行った授業もそんなに聞いてない。テストもレポートも一夜漬け。そんな学生でした。

就活についても楽観的で「3年の秋からゆっくり始めていけばいいか」なんて考えていました。それをいとも簡単に壊す奴が来るなんて想像もしてなかったのです……。

絶望のコロナ

皆様もご存知の「新型コロナウイルス」。私たちは色々なものが制限をされる世の中で就活をせざるをえなくなりました。インターンシップもなくなり、外出も不可。仕入れる情報が感染情報のみになっていました。

さらに就活で必要なことを作るきっかけをそこですべて失ったのです。その中でさえ自分は「大丈夫! じゃあみんなスタートライン一緒じゃん!」なんて考えていました。

そして、就活解禁日。今でも覚えています。適当に地元の関西が通勤圏内の企業や接客・観光業界の企業を端からすべてエントリーしていました。深夜5時までうるさいメール通知。

何の武器もない就活が幕を開けました。

日本交通との出会い

接客・観光の枠でエントリーした企業の1つに日本交通も存在していました。ただこの時点では、「大量に届いた説明会案内の1つ」でしかありませんでした。

そんな中で日本交通が目に留まった理由は「オーディション選考」(※23卒当時の選考方法)という形式。

ざっくり説明すると「あなたのことを自己表現してほしい! 志望動機はいらない!」といった選考方法。自分は「志望動機がいらないから、企業研究しなくても行けそう! 何なら自己表現は得意な方じゃん!」という軽い気持ちで選考に踏み切りました。

そこでは、今の自分が作られた原体験を語りました。

・小学校時代、父を亡くした後の自分を救ってくれたサッカー

・様々な葛藤と苦悩から救ってくれたアーティスト

・コロナ禍で様々なものを見出せなくなったときに救ってくれたアイドルグループ

もちろん、前述の自分の家庭状況や今の経緯、大学のこと。すべて選考官に話しました。恥も外聞も捨てて、ただただありのままの自分を見てもらうことにしました。

今、回顧すると「ただ好きなものを語るやばいやつ」だと、自分なら感じると思います。それでも担当の方はその話から自分の内面や考え、そして自分のどの部分が日本交通に合っているかを見極めてくれたのだと思います。

決め手

夏頃ですね。電話をとったら「日本交通です」との声が。「選考の結果、佐藤さん。合格です」と聞いた時は、とても嬉しかったです。なぜなら、手ごたえがなかったから。緊張してうまく話せなかったのです。だからこそ喜びはひとしおでした。

さらに、電話をかけてくれた方は一次選考で自分のことを赤裸々に伝えた選考官でした。「覚えていますか?」という言葉に食い気味に答えた記憶があります。

しかし、受理するかは悩みました。理由は単純明快で「やりたいことがないから」でした。

ここで私は考え方を変えました。

「仕事をしたい場所に決めよう」

そして、1社に電話をかけ、内定を承諾しました。それが「日本交通」です。

決め手はまさに担当人事の方でした。内定者への対応の丁寧さが他社とは違ったのです。こまめに就活情報を聞いてもらったり、相談したり、時には他愛のない話をしたり。そんな話をしているうちに自分の天秤は日本交通に傾いていたのだな。と今振り返って感じます。

私はここで初めて胸を張って言えます。

「私は日本交通を自分の意思で選んだ」

って。

最後に

私は就活生の皆様に伝えたいことが1つあります。

それは、

「選ばない怠惰はするな!」

私は中学から今まで何の努力もなく、のらりくらりと生きてきた人間です。大学生までそんな感じで生きてきた人には最初の壁が”就活”だと思います。
怠惰大学生だった私から言わせてもらうと

怠惰は一生治りません。

自分も治ったとは思ってません。これからもこの悪魔と格闘しながら生きていきます。飼いならす必要があります。

皆さんがする「選択」はこれから「責任」とともに襲い掛かってきます。この選択を悪魔に託しても、結果に対して責任を取るのはあなたです。だからこそ、ここを踏ん張って考えてほしい。

最後に、これを読んだ方々が「自分で自信をもって選んだ」と言えるように願っています。

Text:Ryosuke Sato


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