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静かでゆるゆるな時間が好きだったんだな

久しぶりに、最近思ったことをつらつらと書いてみようと思います。

今、大学生活を一旦休止してから3ヶ月が経とうとしているところです。


休んでいる間は、最低限の連絡や相談以外は、何も予定を決めずにゆるゆると過ごしていました。

この期間で気付いたことがありました。


それは、


「私は静かでなんの重荷もない時間が好きなんだ。」

ということ、そして

「その好きにも気付けないほど心をすり減らしていた。」

ということです。

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大学を休んでから、
あるこれと予定に追われることもあまりなくなって、少しずつ心に余白ができていきました。

そんな毎日を過ごしていくうちに、夏の夜の窓辺から入る風や家族とのふつうの会話、高くて青い空、ただ寝っ転がって好きな音楽を聴くこと、おいしいごはんをゆっくり食べること、そういう小さいことにすごくほっとして「あ〜しあわせだなあ」と感じるようになりました。

ここでの投稿も、私にとって小さなしあわせを感じられる場所になっています。

自分の好きな作品や役者さんのことを書いたり、忙しくなって描けなくなっていた水彩画を描いて載せてみたり…。

挑戦するでも高みを目指すでもなく、自分で背負わせた重荷を下ろして、ふわーっと力をゆるめられる大事な時間です。

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休む前は、大学生活が後半に入り、就活が本格的に始まり、どんどんレベルが上がっていく講義など自分の許容範囲を超える「やらなければいけないこと」が急に増えていました。私は、そんな忙しさと周りの緊張感にすごく影響を受けていました。

色んなものに追われて、ちょっと限界かな、ゆっくり1人で休みたいな、という本心があっても認められずに蓋をしていました。「今の自分がゆったりしてたら置いていかれるから、休んでちゃだめだ」「私にはのんびりする時間は必要ない」という気持ちでいっぱいで。

そうやって、自分を無理させ続けていったことで、知らず知らずのうちに自分の気持ちや体調に気付けなくなり、
「周りのスピードに合わせること、周りにとっての成功を目指すこと=自分にとっての『正解』」と思うようになっていました。

今は休んでいるから、そりゃあだれでも気が楽になるよっていう考え方もあると思います。もし前と同じ場所に置かれたら、やっぱりずんと重荷を感じるかもしれません。

でも、私自身は、この時期に自分のペースとか好きなゆるり時間とか、そういうものを知られてよかったなと思っています。
そして、休みたいときは「休みたい」、嫌なときは「嫌だな」っていう気持ちを持ったままでもいいんだよ、と自分の感じたことを認めてあげられるようになりました。少しずつではあるけれど。


不安なこととか、あの人より遅れてるかな、と思うことももちろんあって、完全に自由になれたのかと聞かれたら、まだ「はい」とは答えられません。


自分の周りの人といれば、色んな素敵なところや自分にはない考え方を持っていることが分かります。
それと同じように、どんな物事も自分の気持ちも、1つじゃない。たった1つの「正解」「不正解」を決めようとしなくてもいいんじゃないかと思います。

誰かと一緒にはしゃぎたい気持ちも、1人でぼーっとしたい気持ちも、目標に向かって成長していきたい気持ちも、今のままの時間を大切にしたい気持ちも、誰かを好きな気持ちも、苦手だなと思う気持ちも、
どんな気持ちだって持っていていい。
できそうなら、その気持ちのまま動いてみてもいい。

今の私は、そう思えています。


先のことは分からないけれど、またたくさんの価値観に囲まれて頑張っていくうちに、心がぎゅっと縮こまってしまったら、その度にゆるめてあげたいなと思います。

焦らずにいきましょう、って自分に声をかけながら。



最後まで読んでくださってありがとうございました。

ではまた〜。

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