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『泣きたい私は猫をかぶる』を観ました🐱
アニメーション映画にハマってしまった私が、気づいたら再生していた作品です。
このブログでは、感想、妄想、考察等を書き並べていきます🌀
1.ムゲの部屋にある絵本
序盤で映ったムゲの部屋が、どこか幼い、という印象を受けました。
中学生だから、という理由もありますが、物語が進む中で、それが明らかになりました。
ムゲが実の母と暮らしていた頃の場面、同じ絵本が何冊か置いてありました。
ムゲは母との思い出を、勉強机に腰掛けて、ちょうど正面に見えるところに置いてあったのです。
唯一、心を開けていたのは、実の母だけだったのかもしれません。
2.視点
「猫だったらなぁ」「人間だったらなぁ」
そんな妄想が、この作品を生んだのではないでしょうか。
猫なら、野良のふりをして、好きな子に近づける。
人間なら、想いを言葉にして伝えられる。寿命の話もありましたね。
それでも、実際は元の形が一番しっくりくる、ということでまとまりました。
このように、変に形を変えられたり、別の形を望んだりすれば、心身に負荷がかかり、結果として最悪の事態になります。
要するに、どんな不幸の最中でも、今が一番なのです。
それから、人間と猫とでは、視点の高さが異なります。
姿が変わったことで、一方で見えていたものが、もう一方では見えなくなるのです。
大切なことは、客観視しないと、見つからないのかもしれませんね。
3.車と原付のナンバー
作品を作る上で、数字というものは、何かになぞらえたくなります。この作品でもそうでした。
現在、使用している乗用車のナンバーが"33-30"でした。主人公の名前が、笹木美代ということで、娘のことを想っていることがうかがえます。
でも、"みよ"なのに、"30"なのは気になりますね。実際は別の理由かも…?
次に、実の母が乗っている原付のナンバーが"11-88"でした。"良い母"ですよね。良き母になりたかったが、思い描いていたものと異なって、家を飛び出したのかもしれません。
どちらにせよ、娘のことを想っている家族であることは変わりありません。
どんな姿格好考えだとしても、子どものことは、結局のところ嫌いになれないし、忘れることもできません。
4.分かれ道
友人と帰る場面、分かれ道にさしかかり、頼子と別れるのですが、人間の姿になったきなこは、すぐに家へ向かうのです。
一刻も早く、大好きな薫に会いたいからですね。
エンドロールでは、その分かれ道の中心で、鳥居をバックに、三段ほどの段差があるのですが、そこに座り、話していました。
この形が一番しっくりと来る形なのです。
きなこが人間の姿となった世界線は、間違っていた、と言えるでしょう。
5.頼子と正道
これがもう、最高で最幸でしたね。
お祭りの日、美代と賢人が待ち合わせに来なかった日、頼子と二人っきりになった時、正道の顔が赤くなったのを見て、こっちの話も見てみたいな、と思っていました。
エンドロールの中で、描かれていましたね。
頼子と正道がよそよそしい雰囲気を醸し出しているのを、美代が追及していました。
なんかこう、突然やってくるキュンキュンに勝てるものはないのだと、思わされましたね。
6.The 思春期
中学2年生という、人生において、最も不安定な時期だと思っています。ちょうど、子どもと大人の境目のような。
そんな時に、周囲の環境の変化、感情の変化、将来の不安等、一気にストレスを与えてくるような事に巻き込まれてしまえば、世界なんてなければいいのに、と思ってしまいます。
周囲から、良く思われていても、実は裏があるんじゃないか、なんて思ってしまうわけです。
そんな中、世界がなくなるのは嫌、と答えたのは賢人でした。
名前の通り、日の出のように、新しい考えが、美代の中で出てきたのではないでしょうか。
それと、ずっと夜である猫島へ助けに来たのは、日之出でしたね。まさに、日の出のように、美代にとって、眩しいものだったでしょう。
それから、名前についてですが、結婚をして、苗字が変わると、"日之出 美代(日の出 見よ)"なのは、間違いなく狙っていましたね。二人が結婚することは、明確ですね。
この先、あの分かれ道のように、道を踏み間違えなければ、の話ですけども。
そこで重要になってくるのが、頼る子と書いて頼子、それから、正しい道と書いて正道。二人の親友が、二人をうまく導いてくれることでしょう。
7.最後に
暗い話題が多かったのですが、美代の明るさでなんとか保たれてるのかなと思いました。
〇〇だったらなぁ、と思うことは多々ありますが、それなら〇〇になればいいじゃん!と、考えを変えてくれた作品でした。
夕食シーンでの演出、穴から出入りするお面屋、エンドソングの「嘘月」は、観ていて面白かったです。
悲しく、苦しく、辛い思いは、お面では隠しきれません。
負の感情を見つけてくれる人がすぐそばにいると思います。
そんな、お面をとってもいい関係が築けるといいですね。
※画像は、映画『泣きたい私は猫をかぶる』公式Twitterより引用
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