ネットリテラシーという幻想「嫌なら見るなは現実的か」


ネット上のトラブルで傷ついた人の話題になると、
傷つくならばネットを見なければ良い、であるとか、
ネガティブなコメントを無視出来ないのは幼稚である、
という趣旨の事を言う人は多い。

そういった風潮に対して、
芸能人の方が「ネットに向いていないのは、
ネットを悪用して人を苦しめる人であり、苦しむ側ではない」
という事を主張しているのを見かけた事もある。

しかし、今回は、そういった道義と善悪の観点から離れ、
現実的に、そもそも人間の心理、生理は、
嫌だから見ないようにする、という事が可能なように作られているのか、
という点について考えてみたい。

人間の心


人間の心、というものが無限の自由度、絶対の自由意思を持っているように考えている人は多い。

当たり前だが、そんな事は無く、
人間の思考は、脳をはじめとした肉体の様々な器官に依存する能力であり、
定められた本能によっても、体の調子によっても、大きくは左右される。

その上で、
周りの人が自分の事をどう考えているか気になってしまう、という心理を、完全にコントロールする事は現実的なのだろうか。

ネット、テレビでの著名人の方々を見ていると、
それは、ある程度個人の能力によってコントロールできるものであっても、
完全に自分の意思のみで支配する事は出来ないような気がしている。

私の世代の人間が思う、
ネット上での立ち振る舞いが上手い方々というと、
2ちゃんねる創設者のひろゆき氏、
Youtuberのシバター氏などが挙げられる。

単純に炎上していない人ならば、もっといるだろうが、
ネットを活用し、かつそこで人気を集め、多くの言葉を発信しながら、
長く活動を続けている人、というのは、中々いない。

しかし、そういった人達でも、
ひろゆき氏のフランス関係の議論、
シバター氏とへずまりゅう氏の騒動、などを見ると、
時折精神バランスを崩して、炎上してしまう事はあるように思う。
(議論において、勝っていたか、負けていたか、という話でははなく、
事態が大きくなっていく中で、
本人が精神のバランスを崩していると取れるような言動が見られた)

比較的にネットに関わらない生き方を選んだり、
上で挙げた人々のように、ある程度まで自分を上手くコントロールする事は出来ても、
絶対に炎上をしない、人とトラブルを起こさないというのは、
ここまで考えた中では、到底無理な気がしている。

芸能人や著名人の方々が、
時折、自分がいかに批判を無視しているか、
批判を気にしていないか、をアピールする事があるが、
本当に気にしていなければ、わざわざ公の場で、そんな事を言う必要ない。

我々は、自分自身に周りの目を気にしてしまう弱さがある事を、
もう少し公然と認め、前提条件として考慮すべきではないだろうか。

常に一定ではない心


どんな人も、無限に精神への攻撃に耐えられる訳ではない。

加えて、人間の心の耐性は、常に一定ではない。

悪い事が続けば不安になっている時はもちろんの事、
良い事が続いて、自信過剰になった時も、
他者からの攻撃に反応しやすくなってしまう。

人間は、そのネガティブな状態、ポジティブな状態を、
行き来しながら生活を送っている。

知名度がある人が、長期間ネットで活動していれば、
極端にネガティブな時、ポジティブな時と
他者の悪意ある行動が重なるタイミングは必ず来る。

そのようにして、何かトラブルが起きてしまった場合、
これは果たして、炎上した人の努力や能力が足りなかった、というだけで、
事態を説明し、今後の対策が出来るだろうか。


無視が最適解とはかぎらない


人間が自分の悪口を完全に無視する事が現実的か、という点に、
疑問がある事は既に述べた通りである。

では、逆に完全に悪口を無視する事が出来れば、
これらの悪意のある人々から身を守る事は出来るのだろうか。

残念な事だが、社会には、他人に強い影響力を持つ事ににあこがれ、
他人の生活を破壊する事に、とんでもない時間と労力を使ってしまう人がいる。

そういう人達は、本人に無視されれば、
風評を流す等の手段で、
その周囲の人々を操って本人に影響を与えようとする。

ネット上で相手を支配出来なければ、
現実に相手に危害を加えに行く人もいる。

近所の人間や同じアパートに住む人に、迷惑が掛かれば、
いくら本人のメンタルが強くても、
他の人のために住居を変えなければならない、という事も起こり得る。

住居に限らず、これに似たケースは、
様々なコミュニティと場所で起こり得る。

無視、無反応は、
プライドが高く逆上しやすい相手には、時に逆効果になる。


教育に求められる事


現在様々な場所で使用されるネットの使用方法についてのガイドラインは、
悪口を言われても反応しない、喧嘩をしない、という事を、
原則として教えているように思う。

基本的なスタンスとして、
問題を起こさないために、どのように行動すべきか、という説明に注力している。

それが、結果として、
とにかく問題が起きれば、問題に巻き込まれた当人が悪い、
もしくはその能力や精神性に問題がある、という誤解を生みだしているように感じる。

今必要とされているのは、
どのように使っていても悪意のある人間から攻撃を受ける事がある、という現実を受け入れる事。

そして、トラブルを起こさないだけはなく、
トラブルが起きた時にどのように対応出来るかという事を教える事ではないだろうか。


現実に個人が出来る対応


上記で述べたように、
ネットに関する人々の意識やルールの改善は必要だろう。

だが、現在進行形で、
ネットで心を傷つけられる人、生活を破壊される人はいる。

私達は自分がそういったトラブルに巻き込まれた時、
どのような対応をすべきだろうか。

私は現状であれば、
批判が目立ち始め、自分が不安や不快感を覚えた時点で、
素直に謝ってしまう事をお勧めしている。

言ってみれば、積極的に負けてしまうのだ。

いかに、相手が嘘をついていても、悪意のある切り取りを行っていても、
とにかく謝ってしまうのだ。

当然、嘘については、出来るだけわかりやすく、
最低限の証拠を並べ、簡易な弁解をするが、
その時ですら、自分がいかに無責任さと配慮の無い行動で、
誤解を生んでしまったかを述べ、
その嘘をついている相手に、とにかく謝る。

第二に、無視、ブロック機能を使用する事をお勧めする。

ありきたりな対策だが、
大事なのは出来るだけ相手に、自分が無視機能やブロック機能を使用している事が気付かれないようにする事。

勝利宣言として、無視やブロックを宣言するのは、
相手を怒らせる上に、
ダメージを与えられる事に気付いた悪意ある人が、
さらに集まる可能性がある。

自分を苦しめた相手に優越感を与えてしまうのは悔しいかもしれない。

自分が傷ついている事を認めるのは、負けた気がしてしまうかもしれない。

しかし、安直で、富の生産を伴わない優越感には、
必ず終わりがあり、
その後は、薬物のように、
それを得る以前にはなかった強烈な虚脱感をもたらす。

あなたと面と向かって戦わない人間に、
あなたが面と向かって勝つ必要はない。

もちろん今後ルールやシステムの変化で、
悪意のある人間がより排除されやすい仕組みを作っていく事が
全ての前提であるが、
現状出来る一番の対策は、素早く安易な勝利を提供し、
相手により長く虚脱感を味わってもらう事だろう。


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