眠れる森の美女、もっと姫主張してもいいんじゃない??

めちゃくちゃカラフルじゃん!
冒頭から色彩溢れる作画に驚きを隠せませんでした笑


今日は、1959年公開の「眠れる森の美女」について思うままに書いていきたいと思いまーす。まず初めに、僕は最後までこの作品を見終わるまで「眠れ森の美女」だと勘違いしていました。ずっと眠ることのできない王女様のお話なんだろうなと思いながら見ていたら王国中の人間が寝ました。そこでようやく「眠れる森の美女」だとわかったのです、、、Σ੧(❛□❛✿)

About history

ディズニー作品にかかせないのが、なんと言ってもその作品が描かれた時代と制作までの歴史です。眠れる森の美女についてもその背景を辿っていきます。

①ウォルト・ディズニーの生前最後の童話を原作とした物語

ウォルトが関わったとは言われていますが、実際には総監督であるケン・ピーターソンにほぼ任せきりだったとも言われています。そのくらいウォルトはテレビ番組とディズニーランド運営にかかり切りだったみたいです。

原作はシャルル・ペローが書いたヨーロッパの民話であり童話です。作品が描かれた年代は分かりませんが、ペローがなくなったのは1703年。この年までには作られたことがわかります。

そしてこの童話自体は、ディズニーで映画化される前に、チャイコフスキーの音楽によりバレエの演目として世に知れ渡りました。チャイコフスキーの三大バレエの1つになっているそうです。

②背景画にアメリカン・アートのアイヴァンド・アールが携わった

それまで絵本のようなタッチで描かれていたディズニーの作画を一変させたのが、アイヴァンド・アールという画家です。眠れる森の美女を見ればわかりますが、明らかに作風が今までの作品と異なります。

正直、人によって好き嫌いがわかれるのではないかとは思う。。。素人意見ですいません、、

最大限「色」を生かしたカラフルな仕上がり。独特な森の表現。まさにアートを感じられるのは、この人が関わっているからといっても過言ではないでしょう。

③カリフォルニアにできたディズニーランドのメインの城のモデル

驚かないでください。
まずカリフォルニア、アナハイムに世界初のディズニーランドができたのは1955年。そのアナハイムのメインのお城として建てられたのが「眠れる森の美女」の城でした。

1955年に建てられたのに、公開は1959年です、、?

何度も調べ直しましたが、これは間違ってなさそう。どういうことなんだと考え調べてみたら、眠れる森の美女の作品自体は1953年に着想されすでに準備が進んでいたみたいなのです。

つまり、1953年にどんな映画になるかはある程度決まっていた
→1955年にディズニーランドオープン
→1959年に眠れる森の美女公開
という流れなんですね。

メインのお城にするくらいですから、ウォルトはかなりこの作品に期待していたのかもしれません。

Consideration

背景の大枠が掴めたところで、本題の考察に入っていこうかなーと思います。
あくまでも主観によるものなので、こんなこと考える人もいるんだーくらいで解釈いただけると幸いです笑

オーロラ姫をもっとみたかったかも…!

全体の3分の1くらいしか出演シーンがなかったんじゃないかと思うくらい、プリンセスの登場シーンが少なかったように感じました。

その代わりといってはなんですが、オーロラ姫を16年間匿って育ててくれた3人の妖精にメインで焦点が当てられます。

あえての表現の仕方なら考察の余地があるなと。

題名にもなっている主人公をなぜメインで使わなかったのか。
1.それまでの主人公メインな物語とのギャップを生むため
2.王女には本人ではなく支えてくれる人が重要だと伝えるため
3.実はそこまで意図がない
4.悪役を際立たせるため

ざっと考えてこんな感じに。実は答えがあるのかもしれないですが、考えるの好きなので自分なりの答えということで。

本作はディズニープリンセスとしては3作品目、かなり序盤です。
白雪姫→シンデレラ→オーロラ
この後に多くのプリンセスが登場することから1の線はあまりなさそう。

シンデレラがひどい扱いを受けるプリンセスだったため、誰からも愛されるプリンセスとして描くという意図があれば2はかなりいい線をいっているのかもしれません。
子供に恵まれない王様とお姫様にようやくできた子供。国中で大切にしたいという思いが溢れます。これだけの期待があるお姫様なため、守り抜くには手助けが必要。そういった意味合いでの演出なのかもしれません。

原作を読んだことがないのでわかりませんが、もしかしたら元々こういうお話なのかもしれません。そういった意味合いで特に意図はなく、原作に忠実に、ただディズニーの要素を残して作ったものだとしたらこういう構成になるのかも。

実写映画でマレフィセントが主役になるくらい、悪役にも目が向けられた珍しい作品でもあります。戦争が終わり平和な暮らしが戻ってきた最中、戦うという行為は、両者ともになにか思惑があるのだと。
悪役は悪役なりにもきっと思うことがあり、今回だと妬ましいというマレフィセントの思いが、作品に表れているのかもしれません。

以上、仮説思考でお届けしました。読みにくかったらごめーんね(犬系彼女)。

ラプンツェルの礎になった作品だと感じた

先にラプンツェルをみていたので、終始、「いやこれラプンツェルの真似やん!」と思いましたが、見事に逆です笑
1959年公開の本作品と2010年公開のTangled(塔の上のラプンツェル)、51年もの差があります。ですが、話の展開や登場人物などはかなり似ている部分が多いです。

まず生まれた時に魔法にかけられ、森の奥の小屋で3人の妖精と暮らし始めるところ。マレフィセントに見つかったらまずいため、森から出てはいけないと教えられます。
=ラプンツェルの場合、誘拐されて森の奥の塔にゴーテルと住んでいます。こちらも見つからないようにその塔からは出てはいけないと命じます。

それ以外にも、王子様が縄で縛られる描写が似ていたり、馬の描写が似ていたり。なぜこの作品をもとにラプンツェルを作ったのかは気になるところです🧐

気を抜いてはいけないというメッセージ

物語はオーロラ姫が16歳の誕生日を迎え、王宮に帰るとこから急展開と迎えます。
16年間守り抜いてきたのに、最後の1日でマレフィセントの呪いにかかってしまう。それまでの年月は関係なく、期限をまっとうするまで気を抜いてはいけないことを暗示させてくれます。

とはいっても、16年。ほっとしてしまう気持ちもわかるので3人の妖精には同情してしまいました。ただ、居場所がバレたのがしょうもない魔法で喧嘩したからというのはちょっとー、、と思いましたが。

コメディ要素が多い

それまでの作品と異なり、コメディ要素を感じる描写が多々ありました。ふくろうがポンコツ扱いされたり、3人の妖精の1人、メリーウェザーがおっちょこちょいでドレスの色を頑なに青色にしたがったり。

深刻な社会情勢から解き放たれて、人々の暮らしに笑顔が戻ってきた時代背景をかんじることができました。

Summary

なんで見出しが英語なんだと、僕にもよくわかりません。今日は英語で書きたい気分だったのです笑

眠れる森の美女。
話の展開には終始引き込まれつつも、プリンセスの作中での使い方、色彩溢れるアーティスティックな描き方は、もう今では作れない作品なのではないかとも取れるものでした。

この作品を見た人とはたくさん意見交換したいなと思っています。
それでは今日はこの辺で。


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