見出し画像

“ひこちゃんノート”と女性活躍社会

総務省トップクラスの接待問題が深刻な広がりを見せるなか、山田真貴子・内閣広報官の後任に外務省出身の小野日子(おの・ひかりこ)さんが抜擢されました。初めにお断りしておきますが、この文章は彼女の許しを得て書いているものではなく、一方的に僕が知っている小野さんの印象や周囲の評判を描くものです。それも、基本的には大学生時代の。

僕と小野さんは一橋大学の同期(昭和63年卒)にあたります。学部(社会学部)も同じで共通の知り合いも結構多かったのですが、ある意味で、小野さんは大学時代から圧倒的な有名人でした。ちょっとは会話したことあるけど、僕が一方的に知っていたと言った方が正確です。その背景は“ひこちゃんノート”の存在です。日子と書いて“ひかりこ”と呼ぶのが正しいのですが、みんな親しみと尊敬の念を込めて“ひこ”、“ひこちゃん”と呼んでいました。

さて“ひこちゃんノート”。このノートの存在感は圧倒的でした。1年生のときからきちんと授業に出席し、とても丁寧で分かりやすいノートを取り続けていたひこちゃん。ポイント、ポイントにはひこちゃんのニッコリマークがあって、ほっこりしながらもとても分かりやすい。今なら出版して売れるんじゃないでしょうか?

時代はバブルです。学生は概ね能天気で、僕なんか一応体育会に所属していたこともあって、まあ授業なんか基本的にハナから出る気がないわけです。そこで大活躍!多分100部単位で出回ったのがひこちゃんノートでした。もともと、いやな顔一つせずノートを貸してくれるいい人なのだと思うのですが、特別に親しいわけでもない僕のような存在になると、コピーのコピー、そのまたコピーなんかでも入手できるかどうかどうかが単位取得の分かれ目。ほっこりニッコリマークがコピーを重ねているうちにかなりぼやけていても、それがノートの信頼性を格段に高め、多くの学生の単位取得、安心学生生活を救ったのは間違いないと思います。

ひこちゃんは卒業後外務省に進み、結婚して子育てをし、かつ外交官としてのキャリアも素晴らしいものだったと聞きます。今回の抜擢があって、何人かの大学同期とメールや電話などでひこちゃんの話題になったのですが、まあ本当に誰も悪く言わない。難しいゴタゴタの中での抜擢となったわけですが、僕の周りではとにかく変なことに巻き込まれずに頑張ってほしいとエールが飛び交っています。

さて、少しだけまじめな話。僕たちが大学を卒業して社会に出たのは昭和63年(=1988年)でした。男女雇用機会均等法が成立したのは1985年で施行は86年。僕たちは就職活動を雇用機会均等法にのっとって行った2期目だと思います。僕の大学では女子学生自体が2割もいなかったですかねぇ。就職やその後の働き方も含めて、とても機会均等とは言えないような苦労を重ねた女性が多かったと思います。高学歴女子はむしろ敬遠され、就職活動の苦労は男子学生とは比べものにならなかったはずです。また都市銀行に就職したある女性同期は、宴会で水着の格好をさせられそうになった(まさしく今なら一発アウト!)りして早々に銀行を退職しています。

結婚し、子育てもしつつ、働くキャリアも素晴らしい女性同世代を何人か知っていますが、みんなとんでもない苦労をしていたりします。その多くはガラスのシーリングだったり、日本社会に根深く残る男性優位の慣習、伝統、もしくは女性が働くことや共働き世帯が子育てをすることのインフラ、あるいは社会の常識が整っていなかったりしたことが大きいと思うのです。

率直に言って、こうした僕らの世代で安定した家庭を築き、キャリアも極めている女性は、かなりの確率で“スーパーできる人”です。ひこちゃんもその一人だと思いますが、学生時代から単に成績優秀でまじめなだけでなく、ものすごく忍耐強かったり、その一方でものすごくバランス感覚がよかったり……。逆にスーパーできる人でないと、男性中心社会ですべてを達成しながら生き抜いていくことはできなかったのではないか?と感じます。何かを犠牲にせざるを得なかった人は少なくないのでは?

これってやはりちょっとおかしいですよね。スーパーできる人だけが活躍できる社会が、女性活躍社会とか何とかであるはずがない。あるメディア企業の同期女性(これまたスーパーできる!)は後輩女性に「〇〇さんみたいにはなれないし、正直なりたくもないです」と言われてショックを受けたという話を聞いたことがあります。女性だろうが、男性だろうが、いろいろな能力の人、優秀な人、頑張る人がそれ相応に自分の持ち場で持ち味を生かして働いたり、子育てをしたり、家庭も大切にする社会を作らなければと思うのです。

女性蔑視と批判された東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長の発言やら何やらで、女性活躍という観点からみた日本社会の後進性が改めて浮き彫りになっています。しかし僕自身は、平成の30年間を経て、この日本社会も少しずつ良い方向に変わっていることは感じます。女性記者と結婚した男性記者が、女性に続いて半年ずつ育休を取るようなことも段々普通になってきていたりする。今起きている様々な激震が、こうした変化を加速するのだとも思います。それでもやはり難しい時代を生き抜いてきた同世代(そして少し上の世代)の女性に敬意を表します。彼女たちの努力があってこそ、今の若い女性の道のりは前よりは見通しがよくなっているはずです。

そして我々男性、特に同世代あたりに属する男性諸氏にも声を掛けたい。つまらない意地とかプライドとか捨てて「もっと弱音をはきましょうよ」と。自分一人で家庭や会社や社会を支えるとか、そんなこともはや誰も期待していないと思うのです。男性がそれほど“スーパーできる人”ばかりでないことはとっくにばれています。それでもできる仕事は手を抜かずにやって、その一方でごみ捨てやら料理、子育てに関わるあれこれも、できることをやったらいい。これはこれで新しい自分の発見につながったりして、楽しい人生の一つの要素になり得るのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?