論点9 日本企業、コロナ危機を再出発の契機に
文:西條都夫(編集委員)
新型コロナウイルスの感染拡大は「ブラックスワン(黒い白鳥=転じて過去の経験から想定できない災厄)」となって世界を襲った。日本企業も手痛い打撃を被った。
いまから1年前に、浅草や道頓堀からインバウンドの観光客が蒸発し、絶好調だったANAホールディングスや日本航空などのエアラインが存続の危機に直面すると誰が予想できただろうか。だが、一歩ひいて考えると、21世紀に入って、こうした非連続的な変化はそれほど珍しいものではなくなっている。
■増大する不確実性
経営の世界では、「VUCA(ブーカ)」というキーワードが注目されて久しい。これは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(多義性)」の頭文字を連結した言葉で、もともとは軍事用語として登場したものだ。アルカイダのような非国家が前面に出る21世紀の戦争においては、過去の常識は通用しない。敵のトップが誰かも判然とせず、また明確な指揮命令系統が確立されているわけでもない。先々の展開を予想するのは極めて困難。そのときの状況に応じて、臨機応変に対処方針を決めていく。これがVUCA時代の戦争の要諦とされる。
まさにこれと相似形の変化が、いま企業経営の現場でも起きつつある。この新しい現実に、企業や経営者はどう対応すべきだろうか。
ここでベンチマーク(お手本)になりそうな企業が、米マイクロソフトだ。2000年以降はグーグルやアップルといったライバルに主導権を奪われた。そこから挽回し、新たな成長のエネルギーを組織に吹き込んだのが、14年2月に3代目最高経営責任者(CEO)に就任したインド出身のサティア・ナデラ氏だ。
ナデラ改革の骨子は、事業構造や外部との関係性の絶えざる見直しだ。代表的な例が、会社の顔ともいえる「ウィンドウズ」を絶対視する発想から組織を解き放ったことだ。
自前技術へのこだわりが薄れると、外部の企業や団体との関係性も変わる。ナデラCEOは、それまで互いにライバル視していた相手との数多い和解を成し遂げ、協業関係を築き上げた。「昨日の敵は、今日の友」ということだろうか。
■トップ主導で企業文化を再構築
「事業構造の再構築」という観点から、日本企業で示唆に富むのはソニーだ。かつては世界的な大成功を収めたにもかかわらず、21世紀に入ってから輝きを失ったのはくしくもマイクロソフトと一致する。ソニーの吉田憲一郎社長は20年5月、社名変更を伴う、創業以来ともいえる大幅な機構改革を発表した。21年4月に持ち株会社としてソニーグループを発足させ、その傘下にエレクトロニクスや半導体、エンターテインメント、金融などの各事業会社を横一列に配置する構造に移行する。
これが何を意味するのか。祖業として組織内で幅をきかせてきたエレクトロニクス部門を他部門と同格の位置にいわば格下げし、VUCAの時代において、状況に迅速に対応して生き残れる複合企業への移行を目指す狙いだ。「エンタメもエレキも金融も横一列となり、グループとして人材やお金の配分を考える」と吉田社長は言う。
ソニーという企業は、外から見れば自由闊達で生き生きした組織に見えるが、一歩内側に足を踏み入れると、至るところに断層や亀裂が走る複雑怪奇さがあった。主たる断層のひとつは、エレキ部門とそれ以外の映画や金融などの後発部門間での主流・非主流の意識だ。今回の吉田改革は、こうしたエレキ中心主義やエンジニア中心主義を一気に改める文化革命の色彩を帯びている。
■新規事業を誘発する仕掛け
VUCA時代においてますます重要性が高まるのが、イノベーションの創出だ。
そこで注目したい日本企業は、リクルートホールディングスだ。最初は学生向けの就職情報誌ビジネスから出発し、活字メディアからデジタルメディアへの転換や、日本企業の苦手科目である海外での大型M&A(米求人プラットフォーマー、インディードの買収)を軌道に乗せた。
他の大企業と異なる、リクルートの際だった特徴は、ほとんどの社員が「会社はずっといる場所ではない」と思っていることだ。実際、同社に新卒で入社し、定年まで勤め上げた社員はこれまでわずか13人だという。各人が会社を「終の棲家(ついのすみか)」ではなく、いつかは巣立つ場所だと考えるカルチャーは、新たなチャレンジを促進する。独り立ちのときに備えて、自分ならではのスキルや経験、実績、人脈を築こうというモチベーションが高まるからだ。
リクルートには、新規事業を誘発する仕掛けも数多くある。最も有名なのは、1982年に始まった会社社員を対象にした新規事業提案制度の「Ring」だ。そこから誕生した新たなビジネスのひとつが、オンラインによる遠隔授業を提供する「スタディサプリ」だ。休校中に需要が急増し、100万人を超える高校生が受講した。
■隠しごとをせず、情報を公開する
VUCAの時代において、もうひとつ会社の生死を分けるほどに重要なのは、リーダーシップの質だ。今回のコロナ禍において、まねできないだろうと感じた2人の経営者がいた。
ひとりは、民泊市場を切り開いた米エアビーアンドビーの共同創業者、ブライアン・チェスキーCEOだ。新型コロナの襲来で旅行が大幅に制約された結果、5月初旬に全社員の25%にあたる1900人の解雇に追い込まれたが、そのときにチェスキー氏が発出したメッセージが素晴らしい。ウェブ上で一般向けに公開しているメッセージのなかで、人員削減を選択せざるを得ない理由と、どんな人が削減の対象になるかを丁寧に説明した。
解雇にあたっての条件の詳細も公表している。なかでも特筆に値するのは、(1)本来なら在職1年未満の人には付与されない株式取得オプションの行使を認め、会社を去った後も株式保有を通じてエアビーアンドビーとのかかわりを持ち続ける、(2)ラップトップパソコンは人が世界とつながる窓口であり、会社を去る人もエアビーアンドビーが支給したパソコンを自分の所有物としてそのまま使い続けることができる――という2点だ。
解雇の必然性と、辞めていく人への思いやりをともに盛り込んだ文面は、シリコンバレーでもかなり話題になった。
もうひとりは、星野リゾートの星野佳路代表だ。星野氏は20年5月から社員向けのブログで、あろうことか自社の「倒産確率」の予想を始めた。なぜそんな物騒なことを思いついたのか。「組織のトップとして本音や現状を正直に開示することで、社員一人ひとりの覚醒を促したい。『コスト削減が深掘りできれば、倒産が回避できる』と納得すれば、皆一生懸命にそれに取り組むだろう」と星野代表は言う。
2人のリーダーがともに観光産業に属するのはおそらく偶然ではない。コロナ危機で最大の痛みを受けた産業のなかから、腹をくくった、底光りするような経営者が浮上したのだ。危機は人を育てるという。コロナ危機が一服しても、次の危機は遠からず訪れる。危機を好機に変えられる企業やリーダーが求められる時代である。
▼発売中の『これからの日本の論点2021』の一部を抜粋、加筆・再構成した。
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