見出し画像

論点2 どうなる? 司令塔なき日本の感染症危機対応

文:矢野寿彦(編集委員)

 新型コロナウイルスのようなパンデミック(世界的大流行)を起こす感染症対策では、国民一人ひとりの命と健康を守ることを大前提に、国益へのダメージを最小限に抑える安全保障の観点が欠かせない。日本では感染症対策を包括的に担う司令塔組織がなく、今後の大きな課題になった。

 日本の場合、感染症対策はこれまで主に、医療行政を扱う厚生労働省が担ってきた。今回のパンデミックでも同省に、ウイルス学や感染症を専門とする学者で構成する「アドバイザリーボード」が発足、後に専門家会議として大きな役目を果たすことになる。

■迷走する新型コロナ対策

 3月に入り東京を中心に感染の第1波がやってくると、国や自治体はウイルスを封じ込めるため、専門家会議の提言を受け入れるかたちで人々の行動制限に乗り出す。そして4月、緊急事態宣言の発令に至った。人と人との接触を「8割減らす」という強い規制をかけた。

 同調圧力の強い国民性もあって、都市封鎖(ロックダウン)並みの効果があったようだ。感染を縮小傾向に転じさせることに成功した。欧米の国々に比べると、感染者数や死亡者数を比較的少なく抑えることもできた。だが、経済や社会に対する影響は甚大だった。5月下旬ごろから、それまで「感染拡大防止」を最優先してきた対策が「経済との両立」をうたうものに変貌する。「第1波での日本の対策はやりすぎだったのではないか」と専門家会議を批判する声が強まっていった。

論点2図表

 近年では、グローバル化の進展に伴って新興感染症がたびたび世界を脅かす。2021年、国内での議論を期待したいのが、感染症対策の司令塔組織の創設だ。

 モデルとされるのが、米国にある疾病対策センター(CDC)だ。CDCは厚生省傘下の組織で、感染症が流行した際に対策を練るだけでなく執行する権限もある。全米や世界各地に約1万3000人の医師や研究者を抱え、約8000億円の年間予算を持つ。20年前に米で起きた炭疽(たんそ)菌事件のような生物テロやバイオテロの際には、国防総省とも連携する。省庁の垣根を越えて、現状分析から政策立案や実行まで、感染症対策を一手に引き受ける組織だ。

 韓国には省庁級に位置づけられる感染症対策組織として疾病管理本部がある。感染症から国民を守るため、政府の各部門に要請権限を持つ。新型コロナの流行でも感染初期の段階で、世界に先駆けた「ドライブスルー型」のPCR検査態勢を築いた。

 日本の感染症研究のナショナルセンターである国立感染症研究所の人員は350人強。厚労省で感染症対策に携わる医系技官を加えても400人程度で、米CDCの30分の1以下の水準だ。また、医学界においてもウイルス学や感染症学、公衆衛生を専門とする人材は極端に少ない。感染状況から広がり具合をリアルタイムで予測する理論疫学の研究者も一握りしかいないのが現実である。予算面でも米国の100分の1、韓国や台湾と比べても10分の1程度である。

 トランプ政権で米が撤退を決めた世界保健機関(WHO)への影響力を強めたほうが現実性のある策といえる。WHOの情報収集力をうまく活用しながら、限られた人材と資金をより効率的に感染症対策に反映する知恵が求められる。

■なぜ政府の対応は評価されないのか

 日本政府の新型コロナ対応への評価はあまり芳しくなかった。第1波では世界に比べ感染者数や死者数を比較的少なく抑えたにもかかわらず、政権の支持率低下につながった。その理由の一端も、政治が科学をうまく取り入れていないからのようにみえる。

 今回のコロナ禍で、いわゆる「3密」回避の策からコロナとの共生を打ち出した「新しい生活様式」まで、国民に訴え存在感を示したのは、新型コロナ対策専門家会議の科学者たちだった。責任を取りたくない政治に「専門家」という権威がうまく利用されたともいえる。

 コロナ禍のような非常時での政策決定には、科学的思考がとても重要になる。未知の危機の前では誰も正解を持たない。間違うこともあるだろう。そのとき、正しい方向への修正を可能にするのは客観的なデータと分析だけ。後から検証する際にも必要になる。論理性や合理性、透明性に基づく科学は、本来は民主主義と相性がよい。

 工学系研究者が集う日本工学アカデミーは立法府と組み、若手の科学者と国会議員とが互いに理解を深める機会と場をつくろうとしている。英国にならった試みで両者の距離を縮め、「言葉」を共有する。仕掛け人の永野博顧問は「日本は科学と政治の接点があまりにもない。英国ではBSE騒動を契機に両者が交わる努力が始まった。日本でも実現したい」と話す。

 時間はかかるが、相互理解のためのこうした地道な交流はとても有益なものといえる。「ウィズコロナ」や「ポストコロナ」を契機に、21年を政治と科学が緊張感を持ちながら交わる最初の年にしなければならない。

■ワクチン開発でも出遅れた日本

 ワクチン開発でも日本は大きく出遅れた。そもそも国内では、毎年冬に大流行する季節性インフルエンザ予防のためのワクチンは国立感染症研究所が中心となり、特定の企業や団体が手掛ける仕組みになっている。名だたる国内の大手製薬企業でも参入しづらい状況だ。

 人類が未知の感染症を克服するには、より多くの人が感染して社会としての免疫(集団免疫)を獲得するか、安全で効果的なワクチンをすみやかに実現するしかない。

 ポストコロナの世界で、主導権を握るカギとなるのが、ワクチン開発の行方だろう。米国や英国、中国、ロシアが官民あげて巨額の資金を投じて、実用化を急ぐ。通常通り臨床試験の結果を待っていては、接種のタイミングを逸してしまう。このため、各国・企業が、承認を前提として原料の調達や製造体制の整備を急いだ。米国は、連邦政府の主導でワクチン開発を全面支援する、異例の「ワープスピード作戦」を取った。

 残念ながら日本はここ10年、医学やバイオ研究に力を入れてきたにもかかわらず、米国や中国のようになりふりかまわず、ワクチン開発に乗り出すことができなかった。医療現場に生かす臨床研究の力が基礎研究に比べて見劣りするという弱点が、あらわになったといえよう。

 パンデミックへの対応は、情報収集力や対策への迅速な決定、リスクコミュニケーションの力などが大きく問われる。平時でなく有事の対応が求められ、しかも自然災害よりも不確実性と向き合いながら進めていかなければならない。文明の脅威とされる感染症対策に本気で取り組むための、政治システム、社会のあり方が大きく問われていくことになるだろう。

▼発売中の『これからの日本の論点2021』の一部を抜粋、加筆・再構成した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?