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論点16 米中、仁義なき「政治戦争」のトンネルに

文:秋田浩之(コメンテーター)

 新型コロナウイルスは世界中の人々の命を奪い続けている。ワクチンや特効薬がいつできるかにもよるが、100年に1度のウイルス禍といっても過言ではないだろう。

 いま私たちが警戒を強めなければならないのは、新型コロナが世界の平和や安全保障をも壊しかねない毒性を帯びていることだ。感染が広がるにつれ、世界中で経済の活動が滞り、たくさんの失業が生まれている。内政の窮地を乗り切るため、対外的に強硬な行動に出て、ナショナリズムをあおるリーダーも出てきかねない。つまり、新型コロナは「紛争ウイルス」を拡散させる危険を帯びているのだ。

 そうしたリスクをいちばん明確に示しているのが、米国と中国の対立だ。トランプ政権が始まって以来、米中関係はこじれ続けてきたが、コロナ危機までは「通商」、「ハイテク覇権」、「海洋覇権」の3つの分野がその攻防の中心だった。

■広がる共産党性悪論、コロナ危機で様変わりした構図

 すでに触れたように、これらは深刻な問題だが、米中対立がこの3分野だけにとどまっていれば、両国の手打ちは不可能ではなかった。しかし、コロナ危機が発生したことによって、構図は様変わりした。結論から先に言えば、米中はただの利害争いではなく、互いの「人格」や「性質」を嫌悪し、否定する生理的な対立の段階に突入してしまったのである。具体的には、コロナ危機を受けて米政府や米議会では、「共産党性悪論」ともいうべき対中観が急速に広がっている。わかりやすく言えば、「中国が人権や国際ルールに反する言動を続けるのは、共産党の独裁体制そのものに元凶がある」という見方だ。

 ワシントンの対中不信感はなぜ、ここまで深まってしまったのだろうか。ハイテクや海洋覇権をめぐり、コロナ前から積み重なった不満が底流にあることは間違いない。しかし、決定的だったのがコロナ危機の勃発である。

 米国ではコロナウイルスによってすさまじい数の死者を出している。日本では想像できないほど、深い悲しみやいらだち、怒りが米国社会に充満しているにちがいない。コロナ禍に伴う不況も深刻だ。職を奪われ、失業給付金に頼る人々があふれた。

 こうしたやり場のない怒りは、対応を誤ったトランプ大統領だけでなく、中国にも向けられている。中国共産党が報道や言論の自由を認めないから、新型ウイルスの発生が当初、現場で隠蔽され、感染が世界に広がってしまった。悪いのは中国の独裁体質だ……。

 米国の対中政策の重心は今後、さらに共産党性悪論者の側に移っていくだろう。

■バイデン政権誕生でも潮流は変わらない

 こうした米国の対中外交の潮流は、11月の米大統領選で当選を確実にしたバイデン前副大統領の下でも変わらないだろう。バイデン陣営で外交・安全保障のブレーンを務める側近たちは2020年夏以降、シンクタンクのオンライン会議に登場し、「バイデン外交」について発信を強めている。なかでもバイデン氏の公約づくりに大きな影響力を持つのが、オバマ政権で国務副長官を務めたトニー・ブリンケン氏と、当時、バイデン副大統領の補佐官(国家安全保障担当)だったジェイク・サリバン氏だ。

 対中政策について2人が強調しているのは主に3つの点である。第1に、「バイデン政権」が誕生しても、中国への圧力を弱めたり、融和的な政策に転じたりすることはない。第2に、トランプ政権と異なり、日本やオーストラリア、欧州などの同盟国と連携を深め、一緒に対中政策を進めていく。第3に、トランプ大統領が軽視している人権や香港問題をバイデン氏は真正面から取り上げ、改善を求めていくという。

 バイデン氏が対中弱腰とみられることは望ましくないため、ことさらタフな姿勢を強調している面はある。バイデン陣営は気候変動問題では中国と協力する方針を示しており、どこまで対中強硬を貫けるのか、疑う向きもある。だが、これらの点を割り引いたとしても、「バイデン政権」でオバマ前政権の1期目のような対中協調路線に逆戻りすることはないだろう。

 そこで問題になるのは、今後、両大国の緊張が外交や政治の領域にとどまるのか、軍事衝突の危険を帯びるほどまでにエスカレートしてしまうのか、である。この答えは、米国の対中政策だけを観察してもみつからない。視点を北京に移し、コロナ危機がもたらしたダメージと対米政策への影響について、中国側の視点からながめてみよう。

 習近平政権は、感染の拡大に歯止めをかけたとけん伝している。しかし、こうした勝利宣言とは裏腹にコロナ危機が中国にもたらした傷はとても深い。とりわけ大きいのは、経済への影響だ。国内総生産(GDP)の実質成長率はプラスに転じているが、人々の生活に直結する雇用の改善にはつながっていない。雇用のいちばんの受け皿である小売りや飲食、ホテルといったサービス業は相変わらず、立ち直る兆しがない。

 レストランやホテル、小売店の営業がコロナ前の状態に戻るには程遠く、中国は改革開放が始まった1979年以来、最悪ともいえる失業者を抱えている。習近平国家主席ら中国首脳部は、背筋が寒くなるほどの不安を感じているにちがいない。失業者の怒りや不満がやがて、激しい共産党批判に転化しかねないからである。

 コロナ禍をめぐり、米国をはじめとする主要国で中国責任論が広がっていることも、共産党の統治体制には逆風だ。習近平主席はこれまで、50年までに中国を米国をしのぐ超大国にすると約束し、「偉大なリーダー」として中国人から支持と尊敬を集めようとしてきた。世界中から新型コロナの責任を追及される事態になったら、このシナリオが狂ってしまう。

論点16図表

■軍事的な緊張が一気に高まる恐れ

 今後、気がかりなのは、米中による強硬策の応酬が軍事衝突につながる危険だ。そうしたリスクがあるとすれば、南シナ海と台湾海峡である。戦域が南シナ海であれば、万一、米中が軍事衝突したとしても、全面戦争に火がつく可能性はそれほど高くないだろう。だが、台湾をめぐって米中がぶつかれば、全面戦争になってしまう危険がある。中国は台湾を領土の一部とみなしており、外国勢力が介入すれば、武力行使を排除しない姿勢を明確にしているからだ。

 今後、ただちに米中紛争に発展することはないにしても、中国は8月半ば、台湾海峡などで軍事演習を強行しており、軍事的な緊張がさらに高まる恐れがある。

 いつかワクチンや特効薬が開発され、感染が収束する日はやってくる。そうなれば、新型コロナは勢いを失うだろう。だが、いったん米中関係に侵入し、その巨体をむしばんでいる「ウイルス」はそう簡単には消えない。

▼発売中の『これからの日本の論点2021』の一部を抜粋、加筆・再構成した。


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