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やさしさの末路

 恩を仇で返される覚悟のない人が慈善事業をしてはいけない
と思うことがつくづくあります。

やさしさは一方が勝手にやることなので、それを反故にされても文句を言う筋合いは実はなく、
そもそもリターンを求めて行うと思わぬ精神的な消費をしてしまう行為であると私は考えています。

まるで自分がやさしさに溢れた人間かのような言い方ですが、
もともとこのテーマについて考えているタイミングでたまたま「宝石の国」を読み、よりその思いが固まったためしたためたのがこのブログです。



そう、3割宝石の国の感想です。
全話読んでなくてもいいように気をつけていますが、まあまあな終盤のタイミングに焦点を当てています!


 ローゼンメイデンで育った平成の女オタクは、美しいものたちのシビアな作風が死ぬほど好物
無料期間を経て3.4日の彗星のようなスピードで全108話を読み切りました。
1日で30話突っ切ったのはここ最近ではない速度です。

読破した皆様はおそらく
「フォス…」
としか言えなかったでしょう

その一言にどれだけの感情が織り交ぜられているのか
私も複雑な心境を抱えたうちの1人です。

その「フォス…」をネタバレしない程度に噛み砕けば
「フォス(の背負うものだけ異常に重い)…」
になります。

このブログは「やさしさは釣り合う釣り合わないの話ではない」という趣旨ではありますが、それを差し引いても有り余るほどの重さ

その感想を助長させていくのが他の宝石たちの描写で、対比によってフォスのカルマの重さをより鮮やかに、読者の気持ちをより複雑に引き立てます。

もちろんこの展開に落ちてない感想もよく見かけました。
モヤモヤはしますが、ここにやさしさを出してしまった者の宿命があると思うと妙な納得もあるのです。


 金剛先生が仰っているように「フォスはやさしい子である」
という大前提で持論展開をします。

といいつつ実は話に夢中で終盤まであまりそこピンと来ていなくて、
だんだん話を追うごとに金剛先生のセリフがわかるようになってきたというのが正直なところ

読み終わった今を思えば、最初から最後まで行動源には純粋なやさしさがずっとあったように思います。
結果的に敵意として出力されるなど、常に最適解でもなければ器用ではないだけで…

結果に現れていなければやさしさにはならないとか、根元のコンプレックスを思うと純度100%の善意ではないとか思うと多分見解分かれそうですが
まあ慈悲や善意が存在していたのは事実だったということでその話はこの辺で


 ギブアンドテイクの観点から外れた行いのことを私は優しさだと思っています。
って書いてて思いましたが、資本主義(多分)ならではの解釈かもわかりません

ビジネスシーンでなくても「因果応報」や「自業自得」みたいな言葉も常用されるぐらい、
「行動にはリターンがついて当たり前」という考え方に一切の疑問がない土壌
だから私のいる環境下ではコスパが悪く一方的にリソースを割くことを多分やさしさと呼んでいます。

先も書きましたが見返りを求めるのはこの行為の本質ではなく、受け手が返す義務もない

ただ私の生活圏ではその辺り割と混同されていて、
やさしさにはまたやさしさというテイクで返す構図が非常に多い
等価交換が当たり前の世界ではやさしさにも対価を払うのが当たり前なんです。(義理とか貸しとも言う)

それを思うとフォスの〝引き継ぎ〟とそれに甘んじる他の宝石たちの対比は
私たちの生活圏にとって死ぬほど相性が悪いと言うか、抵抗が強いものだと思います。

しかし仏教要素をふんだんに盛り込んでいるらしい作品なので、衆生済度がこの作品のテーマの一つなら、救う存在は現世の基準から超越した存在でなければならなかったわけです

自ら進んでそうなったわけじゃないという所がかなり問題なんですけど…(エクメア自身でやれんかったんかいとは思わなくもない)

巻き込まれたとは言え、〝引き継ぎ中〟のあの図は多分救う側の使命としてはおかしい話じゃないのだとは思いました。
というか仕方がないというか
宝石たちが切り捨てられていたのは人間でないからか、人間由来だからなのか…


 少しだけ冒頭に抵触した話へ戻りますが、
恩を仇で返す行為はハッキリ言ってカス

その恩に少しの落ち度があったり、受け手が追い詰められていて余裕がなかったり、自分の理解できるタイプの恩でなければ文句を言ってもいい、配慮で返さなくても正当であると考えている人間はいっぱいます。

厳密に言えば仇が悪いことだとわかっているからこそ行動に表したときに自覚がない
その行為は私自身もしているし、みんなやってること

そこに対しての因果応報は意外とないもんです。個人的に信じていないのもありますが…

いわゆる泣き寝入りを余儀なくされるやさしさはよく見てきました。

それどころか最後まで全うしなくてはならない責務を負わされるのがやさしさだと思います。
返された仇が途中で投げ出す理由にはならないのが、等価交換の社会から見ればシビアなところ

そういった観点で言えばフォスはやさしさを全うしたんだと思います。
割に合うとか報いの点で言えば正直壮絶すぎて一言で言い表せないんですけど、ていうかこう、肉体を持つ人間基準ではあれは耐え難い苦しみなので…

終わりよければ〜みたいな言葉で簡単に済む話ではないのですが、救う側としてやさしさを全うした先の描写があったことは作品としての慈悲ですよね…
美しい地獄の前評は散々聞いていましたが、
考察の余地が深すぎる作品でした。

人は愚か…


 ギブアンドテイクが原則といいつつも、周囲に恵まれた私はお陰様で色んな形の厚意や慈悲を目にしてきました。
完全合理主義からくる無機質なやさしさや、
ずっと気づかれないままこっそりやさしさを出し続けてきた人、やさしさで身を滅ぼしてきた人
多分リターンのあった人はそういません。

おこがましい話かもしれませんが、
起こしたことの因果で報われることはなくても、そのやさしさがせめてどこかで救われる遠因になればいいなあ…と願っています。

損得で考えろとか、やさしさを出したら負けとかいう話ではなく、
不条理に満ちた世界にも人の数だけやさしさの形があると思えば、
多少は穏やかでいられるような気がします。

やさしくある気もないですが、汲み取れるようにはなりたいと思います。

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