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【エッセイ】ほぼ日手帳のカバーについて

数年、「ほぼ日手帳」を愛用している。携帯をiPhoneにしてから実質紙の手帳は必要がなくなった。カレンダーシシテムや日記機能などはぶっちゃけ携帯の方が便利だ。それでも毎年「ほぼ日手帳」を買ってしまう。ほぼ日を初めて買ってから数年後に「ミナ ペルホネン」の手帳カバーを買った。予約購入抽選販売だった。記憶が確かではないが15,000円を超える高級商品だった。手帳カバーごときに1万円を出すのは馬鹿馬鹿しいと思ったが、抽選なので買えない確率も高い。もしも当選したら買ってやってもイイ、などと本当に良くできたシシテムだ。人は皆、手に入れにくいものほど手に入れたくなる。そして当選してしまった。これは買うしかない。「馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい」と言いながら、側から見ればニヤニヤしながら購入ボタンを押していたと思う。
そんな思い入れのある手帳だが、カバーは飽きる。カバーに入っていた購入時のカードを見たら2019年と書いてあった。そうか、もう3年くらい使っているのか。それは飽きる。しかし1万円を超えたカバーだ。そんなに簡単に手放したくはない。そんな時に、これまた良いシステムで「カバーオンカバー」という商品がある。これは手帳カバーをカバーするカバーなのだ。何を書いているのか分からなくなる。つまり手帳カバー様をお守りして差し上げるカバーというのがあるのだ。つまり本体は2重に守られていることになる。このカバーが憎い。カバーのカバーでおまけのようなものなのに、毎年かわいい柄付きのものが出る。透明でちょっと柄が入っているだけなので、カバー本体(ここで言う ミナ ペルホネン)の柄は楽しめるようになっている。カバーのカバーを変えるだけで、毎年カバーを変えたような気持ちになるのでお得だ。しかも1万円を超えるカバーがもったいないので、中身も買う。もはや、カバーのための中身とカバーのカバーという構図になっている。
毎年ほぼ日を買うのに書くのは、最初の3ヶ月と最後の2ヶ月だけだ。真ん中に空白地帯ができる。何のために、何を書くために買っているのか自分でも分からない。そもそも「ミナ ペルホネン」もこのカバーを買うまで知らなかったし、今でも「ミナ ホネペイン」と言い間違える。ただ、かわいい。
そのかわいい手帳にこれまた、1万円を超える値段の万年筆なんて挿してるんだから自己満足もほどほどにしたい。
何を書こうか、何のために書くのか。
今年も残すところ3ヶ月、また何か書いていけたら良いなと思う。空白地帯を残しながら。


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