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一般企業向けセミナーと大阪の精神科クリニック放火事件

2021年12月16日の日本能率協会主催のセミナーと翌日おきた大阪の精神科クリニック放火事件にふれてみたい。

私は、5~6年前から独立行政法人労働者健康安全機構の依頼で年に4~5回の長崎県内の産業医の先生方に向けての職場のメンタルヘルスに関する講義を行ってきた。
今回、全国3000強の企業が加入している日本能率協会主催の企業セミナーである。以前、東京で精神科クリニックを開業しておられる私より少し年長の精神科医が「精神科医は蛸壺から抜け出さないといけない」と語られておられたのを記憶しており、これまでになく気合いが入っていた。私がこのセミナーで伝えたことは、まさしく「ダイバーシティ」についてだ。精神科疾病構造の変化に伴う多様な精神疾患の対応の中での精神障害者雇用と職場のメンタルへルスの捉え方と係わり合い方である。係わり合い方に関しては、むしろ対談相手のソーシャルハートフルユニオン書記長久保修一氏にお任せし、私は精神科メンタルへルスにおける3つの捉え方というか、課題を述べてみた。一つ目は2015年12月から企業で実施されているストレスチェック制度である。このチェック用紙の書き込みは、あくまで本人の主観で記載されることにあると・・・。そこで生じる問題は、記載者本人の否認、あるいは依存と回避、他罰等々が高得点として反映されかねないことを考慮すべきだ。この問題は、すでに2012年の段階で、日本精神神経学会の「精神保健に関する委員会」(委員長:中村純産業医科大学精神科教授)が『改正労働安全衛生法における「職場メンタルヘルス対策の充実・強化」に対する見解』の中で「精神疾患の状態にある人が高得点を示さない・・・見落とされる・・・懸念される」、そして「・・・精神医療の現場に混乱を起すような事態も予測される。・・・職場のメンタルヘルスに対応できる医療の供給体制の整備が急がれる。・・・」と指摘している。つまり、このストレスチェック制度は信頼性に欠けていること、そして、それを受け入れる精神科医療体制も決して十分でないことをまず語った。次に、安全衛生法第65条・3項『事業者は、労働者の健康に配慮して・・・』によって作成される「診断書」についてである。この診断書が求める「労働者が休業を保証される」、「企業側が安全配慮義務・・・果たす」といった点では、精神科の場合も他の身体科同様に労使双方で理解がなされていることから、労働者への「自己保健義務」に関する精神科領域の問題に言及した。

この「自己保健義務」における医療者側に与えられている役割はというと、リハビリテーションとその結果としての回復段階の評価である。精神科の場合、この段階の可視化(他科であれば検査データの正常化、患部の可動域の改善等)が極めて困難なことから、それは当事者(患者)の様々な表現を読み取る精神科医の判断に委ねられている。それも精神科医の臨床経験、技量は問われない。診断書による「~復職可~」のみで企業側は就労ができるとして職場に受け入れなければならない。これは、職場のメンタルへルスの最大の難題、そして、今後の課題であることを強調した。最後にふれたのが、我々精神科医側の職場のメンタルヘルスに対する対応についてだが、日本精神神経学会の「精神保健に関する委員会」でも「・・・職場のメンタルヘルスに対応できる医療の供給体制の整備が急がれる。・・・」と述べているが、私の私見も交えて、次のことを伝えた。精神科医がクリニックの開設にあたって、第一標榜として「心療内科」を掲げることが多い。これは別に医療法には反しているわけではないが・・・。では何故なんだろう。今日のように多くの精神科クリニックが市井に開業していなかった昔のことだ。冒頭の「精神科領域の疾病構造の変化…」でもふれたが、精神科といったネーミングは、”暗い” “汚い” “怖い”、であることは否めなかった。そこで、精神科のイメージが悪いから生じる偏見・差別はなくそうと熱意ある精神科医が標榜科を心療内科として、多くのクリニックが開設された経緯がある。だが、そこの開設者は心療内科医でなく精神科医のまま・・・。確かにその後、偏見はかなりなくなり、利便性も確保できたことから、心病むとされる人々が気軽に精神科を訪れることができるようになった。結果、精神疾患は21世紀に入って急増、5大疾病の一つとなった。だが、これも冒頭にふれているが「・・・精神科救急重視の現行の精神科医療制度。そのため軽んじられてきた精神科リハビリテーション・・・」と、実は「地域で支える」と掛け声はよかったが、地域精神科医療はただ精神科クリニックが増えただけで未だ貧困なまま・・・。とくに高機能精神疾患への対応は無能といっても過言ではない精神科医療環境にあると伝え、無事日本能率協会主催の企業セミナーを終えることはできた。

そして翌12月17日、大阪の精神科クリニック放火事件である。被害にあったクリニックではリワークプログラムが行われていた。対象患者は高機能精神疾患だ。加害者もマスコミ報道で知る限り、通院患者で、彼の経歴から腕のいい職人だったらしいが、ここ10数年は不遇であったようだ。リワークの対象としてつなげるのは難しかったに違いない。だが、執着性気質でプライドは高い、そして、気分障害圏の問題を抱え、アルコール使用障害も併せ持っている。日本の公的保険制度で利便性がいい立地にあり、かつ、うつ病圏の復職、就労支援を掲げた精神科クリニックに彼のような患者が受診、通院するのは容易なことだ。全国の精神科医療機関で彼のような患者との小さな諍いが日常的に生じているはずだ。しかし、精神保健指定医の診断にとっての判断を良しとする現行の精神科医療制度では、そんな諍いをそれこそ任意契約下で扱う術は身につかない。

そんな指摘はすでに1998年になされている。当時の牛島定信東京慈恵会医科大学精神医学講座教授は「精神科病院の構造改革は不可能か」と題した論文の中で、次のように述べておられる。

「・・・ここで特に注目してほしいことは、人格障害や思春期患者たちがもたらしている行動障害、あるいはうつ病や神経症水準の患者たち、さらには心身症への対応という現在の精神医療に対する社会的ニーズである。(中略)分裂病と痴呆患者の入院だけで事足りるとするならば、やはり従来の「精神病院」に過ぎないのではないだろうか。精神科病院であるためには、ICD-10やDSM-Ⅳに収録されている精神疾患を対象とする必要はないのであろうか。もちろん、すべての病院がすべての疾患を扱えるような体制を作るべきであるなどということが非現実的であることぐらいは十分に承知している。だからといって、日精協の会員病院すべてが、慢性分裂病(現:統合失調症)と痴呆(現:認知症)だけを担当すればよいという雰囲気を作ってしまっては、わが国の精神保健を担うということにはならないのではないかと、思うのである。こうしたマイナーの疾患にも対応する姿勢はもっておくべきではないか」

【日本精神病院協会雑誌(現:日本精神科病院協会雑誌)平成10(1998)年6月号】

と。

今日、このマイナーな疾患はすでにメジャーな疾患になって久しい。よって当時の牛島教授の指摘は今では、精神科病院のみでなく精神科クリニックにおいても然りである。大阪の精神科クリニックの悲劇、それは付属池田小学校事件以降の道を誤った精神科医療対策の延長上にあると私は確信している。是非、精神科疾病構造の変化に見合った大胆な精神科医療の制度改革を求めたい。あの悲劇で亡くなられた方々のためにも・・・。


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