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山と海の神戸っていいもんだ

神戸中央区はほとんどが坂。山と海に挟まれた街です。

道はなだらかなのや結構きつい勾配と起伏だらけですが

ゆっくり左右のレストラン、異人館、寺院などを見ながら、正面の山を時々見上げて楽しむことが出来ます。

イスラム寺院1

振り返ると「もやった」海岸線に貨物船の黒くて大きなシルエットがいくつか見えます。たまに「ボー」と低くて重い汽笛が聞こえてさほど海から離れていないのが分かります。

ポーアイから

海に出来た人工島ポートアイランドは神戸大橋と港島トンネルで結ばれて日本で最先端のウオーターフロント都市と呼ばれました。南の海上には空港がありますが建設当時は伊丹空港も関空もあるのに必要かと批判もありました。

平清盛が今の兵庫区にあった、「大輪田泊」を整備したのは平安時代。

日本の歴史で大きな変化のあった明治維新でも神戸港はかかわっています。

海側の居留地、山側の異人館。狭い範囲にいろんな文化が生まれていて神戸の街を作っています。

その雰囲気が神戸は「お洒落な街」と言うイメージに繋がっていますが、本当にお洒落な場所は、フラワーロードと鯉川筋の間、の南北の地域です。

市民はざっくばらんで庶民的、おしゃれをして買い物に来ているのは芦屋や西宮、遠くは大阪、京都と言ったヨソイキのマダムたちです。

明石焼きは明石の蛸がごろっと入っただし巻き卵みたいな柔らかさでお出しかソースでいただきます。

また神戸のソウルフードは「ぼっかけ」

超下町の長田区で生まれた牛すじ肉とこんにゃくを醤油やみりんであまからくたいたものでお好み焼きに入れたりおうどんに乗せたりどんぶりにしたりと市民の大好物です。私はそばめしを推します。

この神戸市民の気質は江戸や大阪の庶民たちのではなく特に北野に住んでいたのは素朴な村人で、外国人が続々やってきたときはたいへんな驚きと恐れでしたが、それより好奇心の方が勝っていた性格だったそうです。

そして友好的。これが神戸の街をドラマティックに発展させたようです。

そんな何でも知りたいという好奇心は確かに私にもあります。

人に対してもそうです。実家には頻繁に外国人が来ていました。

青い目の金髪の人や、ちょっといつもと違う顔立ちはヨーロッパの人。

英語が話せるわけでもないのに何の衒いもなく祖母は手ぶり身振りと片言で手料理を振る舞っていました。

そんな日常を見ていたせいか私も怖がりながらも好奇心旺盛な子供でした。ゴンチャロフの夫人が手招きしてチョコレートをくれたことは、この年になってもはっきりと覚えています。

神戸に生まれたことは私にとって小さな自慢です。







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