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人を信じる?信じない?

人を信用できないというのは今までにこの人は私のことを理解してくれていると思っていたのに期待に反したことをされたり、ウソをつかれたり、と自分にとっていい関係が結ばれなかったとき抱く感情です。

誰でも信じる性善説の人は騙されようが利用されようが疑わない人。

それでその人が落胆したり恨むことが無ければある意味「達観できた人」かもしれません。

反対に性悪説というのもあって、人間の本性は悪であるので見かけの善は偽りであるという考えです。

凡人はやはり自分本位に考えがちで、自分のことを良く思ってほしい、分かってほしい、味方になってほしいと相手に期待します。

期待通りのことをしてくれるとあの人は信用できる人だとなりますが、勘違いによるものも多く、その関係が長続きしないとその人に対するイメージが180度変わってしまうこともしばしば見かけます。

人もうらやむほど仲が良くて家族ぐるみの付き合いをしている2組の家族がいました。

一見本当の姉妹のようなの仲の良さでしたが、何か片方がマウント気味で、嫁、姑の関係みたいで私はあまりいいようには見えず徐々に行動を共にしなくなりました。

ある時片方と会うことがありました。猛烈に相手を批判します。またもう一人も同じように悪口の連打!信用していたのにとは双方からの小言です。

どちらも自分の正当性を主張しますが第三者からするとどちらもどちら。

お互いが分かりあえているという誤解から信用しているという言い聞かせ。そのかさぶたがはがされると何とも醜い争いです。

つまりは信じる信じないは自分都合の勘違いからくることが多いようです。

他人に期待しないとは何とも味気ないと思うかもしれませんが、お互いに良い距離感を分かっていないとがっかりすることになります。

親しき中にも礼儀ありと親から聞かされました。

人からは信用される人間になりなさいとも。

当時はやはり他人の評価を気にして、社会の中に順応していきなさいという意味が強かったようですが、今は…。

自分の自由になる人、従ってくれる人、反対意見を言わない人よりちゃんと意見を言ってくれる人の方が信用できそうです。

信用と信頼。以前も書きましたが、両方とも相手のことを信じるという意味ではよく似ていますが、過去の関わりからその人を判断する信用とは違ってその人の行いや人柄で具体的な理由はなくてもこの人ならと思えるかどうかです。

やはり日頃の行いが大切!ということに尽きるような気がします。

今日もいい日にしましょう!




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