9/21 日記なのに
日記なのに1日おいて文章を書き直したいと思うこのごろ。
自由気ままに書くというのは、井戸端会議の会話のようなもので、思いつくのを思いついた順番にただ置いていっただけのもの。
それには多分スーパーデトックス効果があって、自分は気持ちがいい。でも読む方は? って思う。読み手のことを考えてはいないよね。私はそこを意識するのがとても弱いと思う。元々弱い上に、年を経るごとにより弱くなってる。
今日もそうだけど、たいてい23時をすぎて書き始め、好きなだけ書いたらそんまま出すっていうのが今のやり方。弱くなっているというよりもむしろ、ちゃんとやらんとーと言うポーズはとりつつも、そういうつもりがはなからないんだなー。というのが正解か。
もしも戦略的にnoteを書くとしたら、映画や読書の記録は日記とは別々の記事にすべきだし、タイトルも意味のあるものにすべきだ。
行間を開けて読みやすさに配慮すべきだし、目次をつけたり、投稿時間を考えたりね、するといいと思う。でも今はそういうことをしたくないってことなんだろうな。なんてこった。
自己肯定感っていうのは、でもそういうところで育まれる。やりたくないという意志を認める。なんてこった、な自分を認める。
なんだよ、やりたい放題かって思うかもしれないけど、実は大人になるってそういうことがまずはできてこそなんだろうって思う。
認めた上でどう行動するかを決めればいいだけだからね。
鬱の人は安心してそれができないんだよな。やりたくない自分を否定する。なんてこったな自分を許さない。だから回復してきて、なにかやりたいと思うエネルギーがもし出たなら、自分や他者を害するものでない限りやりたいようにやらせてあげてほしい。
頑張らなきゃとかこの先どうするとかという言葉は、自分に許可を出すことを阻害して、ニードを否定するよう仕向ける言葉になってしまうんだろう。
頑張ることや先のことを考えることが悪いわけじゃない。ただこの時点では頑張ることや先に向けて動き出し始めるのには早すぎるんだ。逃避しているように見えるかもしれないけど、自分を肯定し、自分に許可を出す力を育めるよう見守る必要があるのか。
よくわかった。
自己肯定感って、自分の感情を価値判断することなくただ認めることができるってことなんだろうな。
昨日書いた自信というのは、人と比較して何か能力があるとか、他者に認められるとかいうのはおそらくほぼ関与してなくて、自分で自分の行動を信頼することができる、ということなんだろうと私は思っている。そのためにもまずは自分の感情を包み隠さずそのままに認める能力が必要だねえ。
今日も今日とて筆の向くまま。
『空白を満たしなさい』読み始め。明日も車内でこちらを読み進めます。
今日の決まり字(上の句)→下の句(ローマ字)の結果は「D+」スコア「104」でした。
今日の世界遺産(ローマ字)の結果は「C+」スコア「149」でした。
今日の紅葉の名所(ローマ字)の結果は「C」スコア「129」でした。
今日の日本の名湯(ローマ字)の結果は「A」スコア「232」でした。
今日の日本の名山(ローマ字)の結果は「C」スコア「139」でした。
今日の旅行グッズ(ローマ字)の結果は「B」スコア「179」でした。
今日の旅先で(ローマ字)の結果は「B-」スコア「165」でした。
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