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ミリしらだったけどシン・ウルトラマンを見た話

正確には3ミリぐらい知っていた。
・ウルトラマンは3分しか戦えない
・ゼットンが1兆℃の炎を撃つので宇宙がヤバい
・ウルトラマンが飛ぶと衝撃波で地上がヤバい
前情報はこのぐらい持ってました。

ウルトラマンかゾーフィか

感想は、自分がウルトラマンなのかゾーフィなのかを問いかけてくる作品だったなあ、というもの。

ウルトラマンは最初、他者のために自分の命をなげうつ神永の姿を見て人類に興味を持つ。何度かの外星人と日本政府のやり取りや、自分を救出にきた浅見の姿を見て、その興味はやがて人間ひとりひとりに対するものへと変化していった。

その象徴ともいえるシーンは2つあり、1個はゼットン討伐前の会話。政府の要請に従い同行しなければ禍特対メンバーを殺すと脅しをかけられ、ウルトラマンは手を出せばゼットンより先に人類を滅ぼすと脅し返す。これは人類すべてを守るというよりは、自分に関わりの深い禍特対の人間を守りたいという考えの表れではないか。ウルトラマンにブラフや駆け引きが出来るとは思えないから、手を出せば恐らく本気で人類が滅ぶ。

もう1つがゾーフィとの会話。人間を理解しようとしたが、何もわからなかった、というもの。
これに対してゾーフィや他の外星人の思考は一貫して人類に対するものになっている。ゾーフィは人類が宇宙にとって危険因子であると判断してゼットンを起動するし、ゼットン討伐後は人類の勇気を称賛している。結局ゾーフィが人間個体として見ることはない。

こういうことは我々にも起こっている。男女やLGBTQやらとカテゴライズして判断するとは、人間個人を見失うことではないか。人間を分かった気になるのはカテゴライズの結果で、本当に人間を理解しようと思ったらかえって何も分からなくなるものではないか。

そんなに人間が好きになったのか

初代ウルトラマンのゾフィーのセリフは「そんなに地球人が好きになったのか」というものらしい。”地球人”ひいては”人類”が”人間”に変わっていることの意味が、個を見ることの重要性を訴えかけているように私には思えました。


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