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陸軍中野学校教師の孫からみた陸軍中野学校 その3(最終回)

他界した祖父がどんな気持ちで教壇に立っていたのか知る術はもはや無いが、生前に残した短歌がある。

「秘められし陸軍中野学校は薄気味わろき職場なりけり」

職場としての陸軍中野学校は、あらゆる事が秘匿されていたのだろうと推察できる。
私は幼いころ、戦争から返ってきた祖父はまったく喋らなくなったと、母から聞かされていた。

母が言うように「家族に興味が無くなった」のではないと、今なら確信できる。
祖父は愛する家族に「陸軍中野学校」を背負わせないために、そして、あらゆる秘匿活動(口封じ)などから家族を守るために、自分がしてきた仕事を封印したのだと。

そして陸軍中野学校に務めた多くの同様の教師たちが同じように口を閉ざし、過去の自分を封印し、家族や身内を守ったのであろうことも、今の私には感じられる。

それが平和への祈りだったのだろう。

生前の祖父がよく口にした言葉があるという。

「アメリカ人なんか何も怖くないぞ、日本人のほうがよっぽど怖いぞ」
「カネがないくらいでくよくよするようじゃ、人間じゃない」

どちらも私には真理に聞こえる。
もし今、祖父と言葉を交わすことが出来るなら

「大変な仕事だったね。もう全部話してもいいんだよ」
と伝えたい。

そして私は、時代に翻弄された祖父が見守っていると信じ、全ての人が世界の嘘から抜け出せるよう尽力することを誓います。

おわり