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持続可能なデジタル・ミュージアムとは(第8回):ミュージアムに来られない人

最初に申し上げたとおり、デジタル・ミュージアムという概念を考え始めたのはずいぶん以前のことで、もちろん、将来疫病が蔓延して、ミュージアムが開けなくなるだろう、などと想像していたわけではありません。しかし、ミュージアムを訪れられない人が、世の中にはけっこういるよね、ということは考えました。

1995年に阪神・淡路大震災が起こった際に、被災した文化財を救い出す「文化財レスキュー」を初めて試みました。その反省をする集まりの中で「文化財の保全という立場から見ると、現代の社会は緩慢に震災にあっているようなものですね」というお話をしたことがあります。突然の災害は、多くの人の生活を損ね、伝えられてきた文化的な所産が大量に失われる事態が生じます。それが顕著であったため、短期間に文化財を救おう、という動きがありました。でも、考えてみると、たとえば家が取り壊されて家財が廃棄される、というのは、平時でも目立たないかたちで起こっています。都市の再開発があれば古い家はなくなりますし、農村で人口が減少すれば住み手のなくなった家が朽ちてゆきます。災害時に文化財を守るためには、平時に文化財がどのように維持され、またどのような失われるのかを見きわめ、事前の備えをする必要がある、というのが、その後の文化財防災の一つの柱となった考え方です。

なるほど、感染症の流行で突然人々がミュージアムを訪れられなくなる、というのは、めったに起こらない事態です。しかし、それぞれの人がミュージアムを訪れられなくなる、というのは、実はよく起こる、というか不可避的に起こっていることです。病気による入院や在宅の療養、そして高齢化による施設での生活や在宅での介護などがそれです。

ここ数年の間に身内を2人、介護施設に住まわせることがありました。施設の中に入って様子を見てみると、日常の安全や食事などの生活面ではたいへんていねいにお世話をいただけて、ありがたく思う一方で、娯楽や文化的なサービスといった点では、まだできることがいろいろとあるのではないかな、と思われました。ここしばらく、ミュージアムの来観者は60〜70代が多くを占めていて、とりわけ特別展の盛況はこの層の動向によるところが大きい、というのは異論のないところでしょう。この方たちがだんだんと歳を重ねて、外に出づらくなった時に、ミュージアムは手をこまねいていていいのか、と強く感じます。突然人が来なくなることはないかもしれません。しかし、これまでの運営の姿勢のままでは、ミュージアムにはだんだんと人が来なくなる、というのが世の流れとしてはすでに見えている、と思うのです。

図書館界に「患者図書館」というカテゴリーがあることは、以前から知っていました。そもそもは患者が病気についての情報を得づらいことに対する、いわゆる情報の非対称性を緩和するのが大きな目的の一つということですが、同時に入院患者の楽しみや心の安らぎも考えて、設置されるものと聞いています。応用的に考えると、病院や介護施設がミュージアムとタイアップしてギャラリーができるといいのですが、図書にくらべるとミュージアムの作品・資料は稀少性が高い、という難点があります。やはり、ここがデジタル技術の出番でしょうし、ミュージアムもコレクション情報を展示室から外へ届けてゆく、という姿勢をもっと打ち出すべきかと思います。

*ヘッダ画像はColBaseから、辟邪絵 毘沙門天(奈良国立博物館所蔵)

(つづく)

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