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持続可能なデジタル・ミュージアムとは(第3回):「高精細」という逃げ水

伝統的な日本の文化財を社会的に認知してもらうための課題の一つとして、その脆弱性に由来する公開条件の制約があります。たとえば絵画作品は直感的な理解がしやすい分野なので、展覧会など鑑賞機会の提供を多く求められます。しかし公開して光や空気にあたった分だけ確実に劣化が進みますから、公開期間に強い制限がかかるのが一般的です。文化財や美術品に対してデジタル情報を活用しよう、といった際、最初に思い当たったのが原品の代替、というのは自然のなりゆきです。

しかし、デジタル・ミュージアムが原品の再現性の高さを掲げて、原品とガチで張り合うのは、きわめてハードルの高いことです。そのことは一見誰でも気がつきそうですが、過去には画像/映像のクオリティが妙に過大評価されたことも多かったようです。1990年代半ばにフルハイビジョンの静止画が出てきた折に「こんな高精細な画像が世の中に出回ったら、美術館や博物館に来る人がいなくなってしまう」と大まじめで恐れをなす関係者がいましたし、当時ハイビジョンの普及に一所懸命だったNHKの技術系の方が、高精細画像の水準を「一辺2000ピクセルですね」と言っておられたことを覚えています。未来を予測するのはむずかしい、とつくづく思います。

実際、「高精細」ということばは逃げ水のようで、技術の進化によってすぐに遠くに行ってしまいます。東博の「高精細デジタル画像」は1995年ころに作り始めた「4x5フィルムを1000dpiでスキャンした2000万画素のファイル」で、長い間、学術研究や商用に使われてきたのですが、2015年ころから「これではねぼけていて印刷に使えません」という声が出てきました。実はフルデジタルの撮影は2009年から始めていて、それはすでに6500万画素という水準になっており、並べてみると差は一目瞭然です。現在、プロ向けのデジタルバックは1億画素超から1億5000万画素が出ていますので、細かさという点に限れば、さらに高水準になっています。もはや2000万画素の画像は「高精細」とは名乗れなくなりました。

そういう経験をいろいろとする中で、「高精細」必ずしも「高品質」ではないのだということも、だんだんと理解できるようになりました。代表的な要素は「色」です。デジタル画像をディスプレイで見たり、カタログの校正刷で見たり、フィルムとくらべてみたりしていると、ほんとうの色はどこに?あるのか?とわからなくなってきます。色のコントロールがとても大変であることは専門家がたくさんおられますから、私などが論じることではありませんが、「色の情報を客観的に記録してある」というのは、今後の高品質データに求められる必須の情報であることは申し上げておくべきでしょう。最近では、これに加えて素材の反射特性などもデータとして記録することで、撮影時の環境に依存せず、処理によって光の当たり方を反映した表示を行う、といった、より水準の高い情報の取り扱いも試みられています。

ことほどさように、原品の再現性を重視したデジタル・ミュージアムはかなり手間ひまのかかる仕事です。成功すればきわめて効果的で、高い評価も得られますが、大々的に展開するのは困難です。またベースになるアーカイブデータが中途半端だと使い回しができず、コンテンツが長持ちしない危険もありえます。事業としては派手目で、大きな予算がついたりすることもありますが、むだづかいにならないよう、十分な配慮をしなければなりません。

結論として、今日「高精細」にこだわるのは、あまりおすすめではありません。ディスプレイの水準が4Kから8Kへとあがっていますし、撮影できる環境も整っているので、高精細画像というだけであれば、ほっておいても作成、閲覧ができます。素材として持っておくのは大きな意味がありますが、コンテンツにするのであれば、高精細・高品質が十分に活かせる企画にしないと、ただ大きい/細かいだけの画像を見せるために、お金を投じることになってしまうでしょう。

以下、デジタルが原品と五分で張り合った直近の一例をご紹介しておきましょう。素材と技術とやる気に恵まれると、これくらいの結果が出せますが、もちろん、なかなか条件が揃うことは少ないものです。

東博と凸版印刷の共同プロジェクトである、所蔵品のデジタルアーカイブを元にしたコンテンツ開発の中で、刀剣を取り上げようという動きになった際、はじめに凸版印刷さんから提示されたのは、刀を中心に装飾である拵や甲冑などを組み合わせた文化的コンテクスト主体のシナリオ案でした。検討の場で私は、今回はむしろそのような文化的な背景を表に出さず、「モノ」としての刀身を見せることに徹したほうがよいでしょう、という意見を述べました。理由は二つありました、一つは近年の刀剣の新たな受容層が歴史的、文化的なコンテクストを一度すっとばしていて、刀身そのものに対する関心が大変強いこと、もう一つは刀身をデジタル情報で表現することが技術的に大きな挑戦であり、応用範囲が広いことです。その後しばらくして、私は立場が変わったので、最終的な決定には加わっていないのですが、おおよそ私が提起した方向とあまり遠くない実装になっていました。刀剣は地鉄や刃文といった表面の微妙な質感の表れ方や、光の当たり具合による見え方の繊細な変化を鑑賞するので、デジタル環境下での鑑賞が見劣りするのでは、デジタル化自体ほとんど意味をなさない、たいへんむずかしい素材です。しかも、シナリオを作り、条件を整えて撮影する、というような映像番組と異なって、与えられた条件(たとえば光のあたる方向)に応じて、リアルタイムの計算による映像を生成する自由度の高さをメリットとして訴えているので、常に不自然さのない最適な映像を出力しなければならない、という縛りもかかります。監修した刀剣担当の二人の研究員が見て納得できるかの、厳しいチェックを経て、2019年の7月から公開されたのが「VR刀剣」です。

会期中、Twitterを通じたキャンペーンをはっていたので、見に来た方のツィートが多く残っており、検索していただけます。刀剣の鑑賞入門といった性格も持たせていたので、再現性だけが要因ではありませんが、好感度、満足度は非常に高かったと言えます。原品の展示と連動はしていましたが、「円盤がほしい」という声があがっていたように、コンテンツとして独り立ちできる内容だと思います。企画者の立場としては不十分な点や課題を認識しておられることとは思いますが、グッドプラクティスと評価されるものでしょう。

*ヘッダ画像: ColBaseより、国宝 太刀 銘三条(名物三日月宗近)(東京国立博物館所蔵)。

(つづく)


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