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持続可能なミュージアムのDXとは(第5回):中の人が使えば所蔵品DBが育つ

出版物の目録やパソコンで管理しているExcelのデータを使えば、外部に公開できる所蔵品DBをそれなりの形で作ることができます。ともすれば、これでミュージアムの外向けのサービスはできた、と考えがちです。しかしこのような作り方は、たとえてみると切り花を花瓶に生けたようなもので、よほど気をつかって維持管理していないと、データは遅かれ早かれ古びてしまいます。

ミュージアムの所蔵品のデータはそんなに変化するものではないのでは、と思われる方もおられるでしょう。実はそうでもありません。まじめに活動しているミュージアムならば、寄贈や購入で所蔵品は毎年増えてゆきます。これだけでも館内で管理しているデータと、外部公開しているデータの整合性をとる必要が生じます。研究の結果、作者不明であった作品の作者が特定できることもあります。まれですが、修復の結果、保存の形態が変わった、という場合もあります

東京国立博物館所蔵の国宝「檜図屏風」は、狩野永徳の代表作の一つとして著名です。長く八曲一隻、つまり八つ折の屏風1点として保管されてきましたが、もとは襖絵であったため、屏風の形になると真ん中での絵のつながり具合が鑑賞する上で不自然であることは、かねてから指摘されていました。また、古美術品を取り扱う方は実感されるかと思いますが、屏風はよくある六曲、六つ折でも相当重たいものです。八曲屏風となると取り扱いはより困難で、保存上も難点があります。そのような文化財としての価値の維持と安全な保存の立場から、2012年から14年にかけて八曲屏風を二つの四曲屏風(二隻=一双)に分割する修理が行われました。無論、国宝の姿形を勝手に変えることはできません。事前に館内と館外の専門家による時間をかけた検討に基づいた仕様により、文化庁から許可を受けたのです。その経緯については東博の公式ブログに解説があり、修理の経過は動画で公開されています。歴史的・美術的価値の維持のため、最も変化を避けることが求められる国宝でも、1つのものが2つになる、ということがあるわけで、その結果として資料の情報は「八曲一隻」から「四曲一双」に書き換えられます。

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修理後の国宝「檜図屏風」
(出典:東京国立博物館研究情報アーカイブズ 画像検索

このような情報の変化はなぜ生じるのでしょうか。言うまでもありません。ミュージアムが、その責務に従って活動していることの反映なのです。資料や作品を受け入れ、調査研究が進み、適切な保存管理によって公開されれば、そこに新しい情報が生成されます。かつては、その情報は館の中だけで保管され、部分的に公開される場合でも手段はだいたい紙の媒体しかありませんでした。ICTが全面的に活用できる時代に入り、これをデータ化することで日々、情報の内容を「育てる」ことができるようになってきました。そんな状況が進む中で、紙に載った情報が固定化されたDBだけがあっても、おもしろくありません。また、館の業務の過程から切り離された形で外部に公開された情報は、放っておけば立ち枯れることになります。

コロナ禍以降、コレクション情報の公開も含め、ミュージアムの外部向けサービスのデジタル化やネットワーク対応が一つの流れとなりつつあります。しかし、館内業務のデジタル化が行われないまま、外部サービスのデジタル化、ネットワーク化だけが先行するのは好ましくない、というか基本的には誤りです。内部の情報から外部向けの情報に移し替える際に必ず人手による作業が発生し、その手間の多くは館側の負担として乗ってくるからです。

せっかくデジタル化したコレクションの情報を、平素の業務の中に回収して「中の人」が業務向けの情報システムの中で利用し、新たな資料の受け入れ、資料の管理、調査研究、展示など業務の成果を順次加えDBを「育てる」こと、その成果をまた外部に公開してゆくこと、これが他のすべての方策に優先して、現代のミュージアムの活動を合理的に行い、同時に外部に対して可視化するためになすべきことです。このあたりの考え方については、東博での実装を担ってきた村田良二氏の論文「東京国立博物館の収蔵品管理システム」「博物館におけるコレクション情報の組織化:情報標準と東京国立博物館の事例」が委曲を尽くしていますので、関心のある方はぜひご参照ください。

ヘッダ画像:川瀬巴水「東京十二題 大根河岸」(東京国立博物館) 出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-9104

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