見出し画像

今日、誰のために生きる?の本質

ご大層なタイトルを付けてはみたものの、僕は筆者やないから個人の感想、深掘り、考察でしかないんやけど、Youtubeでこの本の深掘りを続ける中で自分の変化も感じ始めたから備忘録的に記事にしてみようってことで。

で、本の内容はとにかく読んで欲しい。今は手に入りづらいほどに人気の書籍やから年内に手に入ればラッキーかも知れんって感じかも。知らんけど。

さてさて、何はともあれこの本の教えたるものは、そもそもがアフリカのタンザニアにあるブンジュ村の村長から、筆者のSHOGENさんが教えられたとあるけど、実はブンジュ村に代々伝わるそれらの教え自体は遥か昔の日本人から教わったものらしい。

つまり、太古の日本人の教えが時代と世界を超越して、現代日本人に伝わったって話。

ここ数年、僕自身も昔から興味があった幕末の歴史辺りから、気付けば古事記や日本書紀など神代の時代も知りたくなって、そこからさらに縄文時代にも、と遡ってたことが無縁とも思えんような因果を感じることもあるんやけども、そういう考え方もあるよ程度にしておく。

いずれにせよ、その時代(縄文)の日本人からアフリカに伝わった教えを現代語訳してると思ってもらえれば良いかも知れん。

前置きはともかく、本題。

この書籍の本質は、タイトルの答えにあると思う。

あなたは自分ために今日を生きていますか?

これに尽きる。
と言えばこれで終わるんやけど、この自分のためって解釈を間違えると、歪曲が怖いから、僕なりの解釈も書いていく。

この本の中で何度も出てくる言葉がある。

それが「自分」と「愛」の2つ。もちろん統計はとってへんから体感。

次点で「心」とかもあるかな。

心とか言い出すと、スピリチュアル的な話にも聞こえるけど、そもそも自分に目を向けるとそこには心があるし、そのことは非科学的やとしても否定するのはナンセンス過ぎる。

なぜなら、心の豊かさは人生において最も重要なはずやし、やっぱり人間は心があるからヒトでいられると思うのよ。

で、自分のために生きるってことは、愛情を自分に注げているか?心を愛情で満たせているか?ってことなんやけど、これって言葉では理解できても腑に落ちにくくないかな?と思う。

少なくとも、僕は自己肯定感低いのに、怠け者で、甘えたいで能天気な楽天家やから、自分と向き合う的なことがシンドいでしかなくて、自分に愛情注ぐとか意味わからん感じで生きて来た。甘やかすとは違うけど、甘やかすことしか知らんみたいな感じ。

ただ、そんな僕でも理解していることがある。

親や祖父母のお陰でもあるんやけど、実は僕は先祖供養は大切やと信じて生きてる。

そして、先祖供養というか先祖に思いを馳せることこそが=自分への愛情を注ぐことに繋がるんやとこの書籍から気付き、そしてそれこそが本質につながると考えてる。

さらに付け加えると、先祖のみならず、空や風や草花や虫や川や海やと僕らを取り巻く自然も含めて、つまりアニミズムも先祖も含めて尊ぶ気持ちが本質ではないかと。

「今日は寒いなぁ」も「桜が綺麗だなぁ」も「海が輝いてるなぁ」も「秋虫が鳴き始めたなぁ」もそうやけど、そうやって肌で感じる自然を言語化して、共感し合ったり、寄り添って生きてることはそれだけ心が豊かやからやと思う。世界のことは知らんけど、日本人なら共感する人も多いやろうし、それは現代人に生まれた感性やなくて、太古から培われたもの。

つまり、先祖代々から脈々と続く血筋に刻まれた「らしさ」が本質へとつながってる。

自分のために生きるってことは、何も独善的に生きるってことではなくて、そこには「今」があり「過去」があり、つまり自分に続く歴史があるからこその今の自分が生きられているんだってことを実感するために「今日もオレは生きられる、ありがとう」ってことなんやないかなと思う。

やから自分を愛するとかも先祖を愛することにつながるし、そこには命や生に対する感謝も生まれるし、心にも余裕が生まれる。なぜかは分からんけど、感謝できると余裕が生まれてくるみたい。

10歳にも満たへん頃、30年以上前の話。

僕は友だちと遊ぶより、弟と遊ぶより、昆虫採集と観察が好きやった。

これも僕の原点。

母や祖母が先祖を大切に生きていたってのも原点。

自然と先祖が僕の原点で、それが縄文の精神ともリンクする気がするから、この書籍の教えも「深掘りせんとあかんやつや」って思えたんやと思う。

ただ読んで良かった。感動した。心が震えた。じゃなく、僕はこの本と向き合うことで自分と向き合わなあかんと思った。

やから、冒頭に書いたように、ここで書いた本質は僕の個人的な意見。

あなたがどう感じ、どう捉えるかは異なるはず。

ただ、ひとつだけ言えることもある。

それは、人は自分と向き合うことで気付き、成長し、生き方を学べる。

その方法として、自問自答ってのがある。

僕はそれをもう少し突き詰めたい。なぜなら、何度も自問自答をした末に、ふられ続けた女神ちゃんと結婚してもらえるようになったから。

それと、こうして自分の原点と向き合うこともできて、ここから自分の人生が変わりそうな予兆を感じられるようになったから。

もし、自問自答に方法があり、それであなたの人生が変わるなら、あなたはその苦しみと向き合う覚悟はありますか?

まぁ、あなたがあなたの人生で悩み、苦しみ、不安を感じで生きてへんなら、自問自答も無用の長物なんやけどね。

最後までご精読ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?