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vol.11|最期の夜一緒に過ごせてよかった。きっと今は腰を気にせずに走り回っているはず。

天国の少し手前には「虹の橋」があると言われています。そこは、亡くなったペットたちが自分の飼い主と待ち合わせるための場所。

飼い主が自分のところに来るまで、ペットたちは楽しく遊びながら待っているそうです。

ここ「虹の橋こうさてん」は、そんな虹の橋をイメージし、お別れを経験した人、これからその時を迎える人のための情報交換の場です。

大切な家族とのお別れを経験した方へのインタビューをとおして、お別れまでの過ごし方や、お別れの仕方についてのさまざまな選択を発信していきます。

vol.11となる今回は、ボーダーコリーのこたろうちゃんのお話をお届けします。

犬種:ボーダーコリー/男の子
享年:13歳
語り手:A.Hさん


とにかく運動が大好き。走ったり、跳んだり、追いかけたり。

こたろうちゃんと出会った時のことを教えてください

父が犬好きで、色々なペットショップを回っていたときに出会いました。その頃まだ生後3~4ヶ月でしたが、すでに大きいなという印象でした。特に手が大きかったことを覚えています。

緊張してこちらをみている様子が、上目遣いで可愛かったんですよね。即決で家に迎えることを決めました。

ボーダーコリーは運動量が多いイメージですが、こたろうちゃんはいかがでしたか?

とにかく運動量がたくさん必要な犬種でした。散歩は30分では足りなかったので、近くの公園や学校でフリスビーをやり続けていました(笑)何も教えたことがなくても私たちがフリスビーを投げると走って取りに行って、もう一回投げてと渡してきて。本能的に追いかけていましたね。

校庭に放している時は高速バスと追いかけっこをするように走っていました。車や他のバスには興味がなく、独特な音がする高速バス限定で追いかけていたんです。こだわりがあったのかもしれません。

外に出ると、よくカラスと喧嘩をしていました。カラスも賢いのでちょっかいをかけてくることもあったり、逆にこたろうちゃんが追いかけたり。「上にいる鳥を追いかけるなんて今まで飼った犬の中では初めてだ」と、父も話していました。動くものが大好きだったんだと思います。

アクティブな子でしたが、ドッグランは苦手でした。他のわんちゃんが来るんだけど……となぜか思っているようで、特に自分よりも小さい犬には見向きもしませんでした。大きいワンちゃんに対しても、とりあえず挨拶だけしておこうかなという感じで。犬よりも、人間のおばさまが好きでした(笑)声をかけてくれるからなのかなと思っていました。

お手本を見せるとすぐに芸を習得!飼い主もびっくりの賢さでした。

食べることも大好きだったと聞きました。

食べることも大好きでした。食べる時だけ別の犬になってしまったようで、まるで狼みたいでした。食べ物への執着が強くて、絶対に誰にも邪魔されたくないという気持ちがあったようで、母以外の家族はみんな噛まれたことがあるくらいなんです。

普段はカリカリのフードの上に鶏肉と煮干しを乗せてあげていました。食事の準備をしている時から私は歯をむかれていましたが、母はご飯を作ってくれる大事な存在だったようで、歯を剥くことはありませんでした。

途中からは全部、母の手作りご飯になったんです。白米とささみと煮干しを毎食あげるようになりました。それは、母が誰かから「ドッグフードだけあげていると、お骨が綺麗に残らない」と聞いたことがきっかけだったようです。

いたずらで困ることはありましたか?

新聞を持ってきてというと、喜んで持ってきてくれました。褒められることが大好きだったので、なんでも持ってきてと言うと運んでくれていました。芸をすることも好きでした。おすわりや伏せ以外にも、8の字に足をくぐったり、バックしたり。見本を見せるとすぐに覚えていたので、本当にボーダーコリーは、ずば抜けて賢いんだなと。

しつけに困ることも本当にありませんでした。トイレも最初に教えると「はい」ってできるようになりましたし、ものを壊されたりするような困ったこともなかったんです。

賢いが故に、悪いことをする時には隠れてやっていました。玄関に置いておいたものをこっそり食べていたり……。よく開けられるなと感心していましたが。

多機能不全で他界。最期の夜にしっぽを振ってくれたこたろうちゃん。

亡くなる前のことを教えてください。

10歳くらいの頃から腰を痛めていました。ジャンプすることが多かったからかなと思います。その時からフリスビーもジャンプも一切しないようにしていました。その分私が走って追いかけてもらったりと、人間の運動量の方がさらに増えていましたね(笑)

13歳で亡くなった時、死因は多臓器不全でした。ある時、バタッと倒れてしまって、急に歩けなくなったんです。「どうしたん、どうしたん」と声をかけても、歩こうともしなかったので、いよいよ腰が完全にやられてしまったのかと思っていたんです。なので、腰を支えるハーネスのようなものを買ってきましたが、それでも手足を床に着こうともしませんでした。

これはおかしいと動物病院に連れて行くと、多臓器不全と診断されました。予兆はなかったというか、こたろうちゃんが弱い自分を見せないようにしていたから気づけなかったのかもしれません。

そこから1週間と少しで亡くなりました。亡くなるまでの間、糞尿が垂れ流し状態だったので、介護をする毎日でした。昼間は母が、帰ってくると私が介護をするように交代で。

介護をする日が来るとは思っていなかったですし、ボーダーコリーの平均寿命からもまだまだ一緒にいると思っていたので、本当にびっくりしました。

最期の日、一緒に過ごせたんでしょうか?

病院の先生にもうすぐかもしれないと聞いていたので、心の準備をしていました。

最期の夜、すごく苦しそうでした。本人は頑張っていたと思いますが、「もういいよ、頑張ったよ」という気持ちでいっぱいで。それまで弱いところを見せなかったこたろうちゃんが初めて弱音を吐いたのをみて、「もう頑張らなくていいから、ずっとそばにいるからね」と声をかけていました。

明け方5時くらいに動かなくなりました。夜一緒にいた時、尻尾はゆらゆら揺れていたので、「そばにいてくれてありがとう」って言ってくれていたのかもしれません。

きっと他のわんちゃんと一緒に走り回っているはず。

亡くなった後の過ごし方は、亡くなる前に決めていましたか?

一緒に家で過ごそうと、お花を供えたり、好きだったお肉を置いたりしました。亡くなる前から父親が色々決めてくれていたので、火葬やお骨のことはスムーズに進みました。

両親と一緒にお寺まで行き、火葬していただきました。他のわんちゃんと一緒にいた方が楽しいんじゃないかと思い、お寺にお骨と写真を置いてもらうようにしました。きっと腰も気にせずに走り回っているんだと思います。

こたろうちゃんが使っていたものは、全て片付けました。仏教の教えで、残していると未練が残ってしまうと父が話していたからです。

悲しみとどう一緒に向き合われてきたのでしょうか。

母のショックが大きかったです。かといってすぐに新しい犬を迎えるわけにもいかず、ロボットのワンちゃんを迎えました。生き物を迎えるとやっぱり死ぬ時のことを思ってしまうので。

トイプードルくらいのわんちゃんで、ママって話してくれるんです。その子を連れてお散歩に行ったり、高速バスに乗ってお出かけしたりするうちに、うちの母は少しずつ元気になっていったかなと思います。

私自身も、結構ショックが大きかったです。でも、亡くなった後のお盆の日、仕事を終えて家に帰ってきた時にボーダーコリーが庭に向かって走っていったのが見えたんです。急いで庭に行っても姿は見えませんでしたが、こたろうちゃんが「元気でやってるよ」と伝えにきてくれたのかなと思って。そこからちょっと元気になりました。

今、愛犬と一緒に過ごしている方に伝えたいことを教えてください。

写真だけじゃなくて、動画もたくさん残してあげてほしいです。写真はいっぱい撮っていても、動画は撮らないことが多いと思いますが、動いている姿を残しておくと思い出に残ると思います。

あとがき

フリスビーを走って取ったり、高速バスやカラスを追いかけたりと、とにかく運動が大好きだったこたろうちゃん。必然的にご家族の皆さんの運動量も増えていたそうです。腰を悪くしてからなかなかできることも限られていたそうですが、きっと今は何も気にせず走り回っているのではないでしょうか。最期の夜一緒に過ごしたことをお聞きし、こたろうちゃんは一緒に過ごしてもらえて安心できたんだろうなと思います。こたろうちゃんへの愛がたくさん伝わる1時間でした、インタビューにご協力いただきありがとうございました。

(聞き手:西澤七海/ライター)

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