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vol.3|兄妹のように育ってきたからこそ、もっと言葉で伝えればよかった

天国の少し手前には「虹の橋」があると言われています。そこは、亡くなったペットたちが自分の飼い主と待ち合わせるための場所。

飼い主が自分のところに来るまで、ペットたちは楽しく遊びながら待っているそうです。

ここ「虹の橋こうさてん」は、そんな虹の橋をイメージし、お別れを経験した人、これからその時を迎える人のための情報交換の場です。

大切な家族とのお別れを経験した方へのインタビューをとおして、お別れまでの過ごし方や、お別れの仕方についてのさまざまな選択を発信していきます。

vol.3となる今回は、トイプードルのクマくんのお話をお届けします。

犬種:トイプードル/男の子
享年:17歳
語り手:T.Mさん


手作りのご飯を食べて、本当の子どものように育ったクマくん

クマくんとは何年くらい一緒に過ごされましたか?

私が赤ちゃんの頃から 12歳の頃まで一緒に過ごしました。生まれた時からすでにうちにいて、兄のような存在でしたね。

百貨店のペットショップのコーナーの方が祖父に売りに来たと聞きました。本当に運命を感じたと言っていて、うちに迎え入れたいっていうのもその日に決めて、数日後にはお家に来たんです。その時、私の両親にまだ子どもがいなかったので、子どものように育てていたっていう感じだそうです。

思い出に残っていることを教えてください。

私の後に妹が生まれたんですけど、私たちが喧嘩をしていると仲裁に入るように私に対して怒っていました。真ん中に入って私を止める感じで、お兄ちゃんに怒られてるような姿が鮮明に記憶に残っています。

赤ちゃんの頃もよく一緒に寝ていたと聞きます。私の見守りをやってくれていて、自分のことを人間だと思って過ごしてたかのような犬でした。

赤ちゃんが生まれると嫉妬しちゃうとよく聞くので、祖父は赤ちゃんと一緒に置いてたら危ないって言ってたんですけど、全然そんなことはありませんでした。母も父も、この子は大丈夫だよっていう風に言っていましたし、常にそうだからクマの温もりがないと私も泣いちゃうような赤ちゃんだったようです。

性格はすごくのんびり屋さんで、食べることと寝ることが大好き。おおらかな感じなんですけど、喧嘩になるともう止めに入るっていう、そこだけは自分がやらなきゃ!という使命感がありました。

クマくんの生活の様子はどんな風だったんでしょうか。

全部手作りで離乳食のようなご飯を作っていました。人間のご飯に近いものを食べていて、あればあるだけ食べちゃっていましたね。結構ふっくらしてたのかな(笑)

祖父に見ていてもらって旅行に行った時、母がご飯を用意してから出かけたのですが、一気にほぼ五日分を食べてしまったことがありました。お腹が膨れ上がっていて、本当にあればあるだけ食べるんだなと……。

寝るときは父と一緒に寝ていて、仰向けになって寝ていました。本当に寝ることが好きなので、結構お昼まで寝てたりしましたね。

父にとっては本当に相棒のような存在でした。息子のようにずっと、私が生まれる前から一緒にいたので。いろんな仕事に行くのにも一緒で、同じ生活リズムを過ごして、「男の子チーム!」みたいな感じでした。

それでも、やっぱり靴を噛んだりするイタズラもしていて、みんな靴は隠してましたね。母は結構いい靴を噛まれたって言っていて、 もう絶対靴は見せちゃいけないって思ったそうです。

クマくんに聞こえないように、いつか来るお別れの仕方を考えてきたご家族

だんだん弱っていくクマくんとどう過ごされていましたか?

17年生きて亡くなったんですけど、かなり長いですよね。老衰で亡くなったので、目はやっぱり白内障みたいな感じで白くはなってきていたんですけど、それ以外は特に何もありませんでした。

だんだん弱ってきて、ご飯が食べれなくなって、丸くなって。床ずれを起こさないように、母と一緒にクマの向きを変えたりはよくしていました。やっぱり年齢も年齢だったので、ゆっくり過ごすしかなくて、家で一緒にいられる時間はそばにいて、声をかけてあげるっていう感じでしたね。

徐々に目に見えるように動けなくなってきてたので、みんな心の準備はしていました。葬儀とかもどうするかと話をしていましたが、クマに聞こえないように話そう、と。もう17年も生きていたら、人間の話してることも全部わかるから、聞こえないように聞こえないように、いろんな手続きの電話をしていましたね。

特に母は、お葬式の連絡とかをするのが大変だったってその時も言ってたし、後で振り返っても話していました。具体的には、火葬はどうするかとか、葬儀をどこまでするかを話していました。お骨はどうするかっていうのを家族で話していると、一番父がショックを受けていたんです。もうちょっと生きられるんじゃないかと話しつつも、もうご飯も食べれなかったので、考えた方がいいよみたいな話を家族でしていて。

本当に相棒みたいな感じだったので。準備を始めてしまうことが、なんか死を待っているようで、それをしたくないっていう気持ちだったんだと思います。

亡くなる最期の時はどう過ごされましたか?

遠吠えを急にして、家族にお礼を言ってるような感じがしました。辛そうだったんですけど、声を絞り出す感じで遠吠えをして息絶えたので、その時は家族で号泣でした。

最期の時は、家族みんなが揃っている夜のタイミングでした。私も中学受験の年で、塾とかで忙しかったんですけど、私も父も含めた全員がいるタイミングで亡くなったので、家族の帰りを待っててくれてたような感じがしました。

ご自身の生活も中学受験で大変な中、悲しさをどう乗り越えましたか?

妹と楽しいことをして過ごすことと、受験も近かったので、受験勉強することで気持ちを無理やり切り替えてた感じですかね。悲しいんだけど、最期まで生きたし、最後も辛そうだったからこれでよかったんだと思って過ごしていましたね。

父にとっては相棒であり、息子だったので、やっぱり父はすごく泣いていました。私も父が泣いたのを見たのが初めてで、本当にすごく悲しいんだなと、それを見て悲しくなりました。でも、父も仕事に切り替えることで、なんとか1日1日心を保っていました。仕事モードに頑張って切り替えて、 写真のクマの写真を見ては話しかけて過ごしていましたね。

できることはやってあげようと家族で決めた最期

亡くなったことが分かってから、どうされましたか?

クマがだいぶ悪くなってから、「いつ亡くなってもおかしくない」っていうことを火葬場の方に相談していました。

棺を購入していたので、入れてもらってから火葬場に運びました。両親にとっても、犬を看取る経験は初めてだったので、すごく調べて、できることはやってあげようと思っていたそうです。本当に子どもと同じように過ごしてきた犬なので、すごく丁寧にやっていましたね。

棺に関しても火葬場の方に教えてもらったって言っていました。もちろんゲージでも大丈夫なんですけど、こういうものもありますよって。事前に連絡をとっていた火葬場の方が結構丁寧な方で、本当によくしてくださいました。

火葬で骨にしてもらって、実家のお墓の方に半分入れて、半分はお家に持って帰りました。実家のお墓に入れば、お墓参りもしやすいし、みんなと同じところに入れると思っての選択です。父も母も亡くなったらそこに入るから、一緒にいてあげたいねって気持ちで、そこに入ることは亡くなる前から決めてましたね。

お仏壇にお水やご飯をあげるのは、亡くなってから半年くらいやっていました。ご飯は母が作って、クマの分って話していました。

最後に今、愛犬との時間を過ごされている方へメッセージをお願いします

やっぱり子供と一緒で、「好きだよ」「愛してるよ」って言葉で伝えてあげることを大事にしたらいいんじゃないかなって思います。

動物だから言わなくてもいい、と思いがちですが、ちゃんと伝えてあげると犬にもすごく伝わるから、もっとそういう言葉をかけてあげたかったなって思っています。たくさん一緒に遊んだりはしたけれど、あまり言ってなかったなって。

自分に子どもが生まれたからこそ思ったんですけど、犬にも人間の気持ちが分かるから、もっと自分の気持ちが伝わる言葉を言ってあげた方がよかったなって思います。やっぱり犬にも気持ちがあるので、そこを1番に大切にしてあげたかったと思います。

〈おわりに〉

毎日手作りのご飯を食べて、お父さんと一緒に仕事場にもついて行って、本当に子どものように一緒に生活をしていたことが伺えました。T.Mさんや妹さんにとっても兄のような存在で、喧嘩の仲裁に入ったり。たくさんの思い出エピソードがあり、大事にされてきたクマくんはきっと幸せだっただろうなと思いました。
情報があまりない中、火葬場の方に聞いた方法でご納得のいくお別れができたことは、ご家族にとってもクマくんにとってもよかったなと感じています。
大切なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

(聞き手:西澤七海/ライター)


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