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vol.7| お別れの時の過ごし方を話し合えばよかった、後からだから思うこと。

天国の少し手前には「虹の橋」があると言われています。そこは、亡くなったペットたちが自分の飼い主と待ち合わせるための場所。

飼い主が自分のところに来るまで、ペットたちは楽しく遊びながら待っているそうです。

ここ「虹の橋こうさてん」は、そんな虹の橋をイメージし、お別れを経験した人、これからその時を迎える人のための情報交換の場です。

大切な家族とのお別れを経験した方へのインタビューをとおして、お別れまでの過ごし方や、お別れの仕方についてのさまざまな選択を発信していきます。

vol.xとなる今回は、柴犬のちょびくんのお話をお届けします。

犬種:柴犬/男の子
享年:18歳
語り手:S.Yさん


可愛さとかっこよさの両方を持つ柴犬と暮らしたい

ちょび君と出会った時のことを教えてください

今から18年前の2006年にペットショップで出会いました。子どもの頃はずっと犬を飼いたいと思っていて、ようやく実家が一軒家になったところで「夢が叶う!」と親にお願いして飼うことになりました。

ペットショップで柴犬を飼いたいと話すと、ブリーダーさんからペットショップに送ってもらえることになりました。性別については生まれてくる子犬次第ということもあって、チョビが来たのは本当にたまたまだったんです。

初めて会った時、とても可愛いと思いました。生後3ヶ月ほどでペットショップに来ていて、すごく飼いたいと思っていた柴犬を目の前にして、とても嬉しかったです。

どんなきっかけで犬を飼いたいと思いましたか?

元々、生き物が好きで、ハムスターを飼っていました。友達の家でもゴールデンレトリーバーや結構大きい犬を飼っていて、憧れもあったんですよね。

柴犬は最初可愛いけど、大きくなると結構かっこいいなという印象があって。その勇ましい顔や、日本犬の代表感もあって憧れがありました。だから、柴犬がいいとリクエストしたんです。

家族を守る番犬 いたずらっ子な一面も

ちょび君はどんな性格でしたか?

今では珍しいと思うのですが、最期亡くなる時までずっと外で飼っていました。家の縄張り意識も強く、近くに人が通ると吠えて、番犬として家を守ってくれていて。すごく逞しく、昔の犬らしく頑固な性格でしっかりしていたと思います。

家族に対しては寝ている時に近づいても、気づかずに寝たままでした。慌てて起きて、「あっ」って顔をしていましたね。通った人が家族か家族じゃないかが足音でわかったんじゃないかと思います。家族に対しては、そのくらい懐いていました。

そして、散歩がすごく好きでした。大体散歩の時間が近くなると、いつも窓の近くまで来て座って、じーっと家の中をずっと見てましたね。散歩に連れて行って欲しい圧というか……。ちょびを飼い始めたのは、私が高校生の時でしたが、高校から大学の時まではずっと散歩に行っていました。社会人になってからは、夜の散歩に行くことが難しかったので、早起きして朝の散歩に行って、夜は親が行ってましたね。

そうやって家族で分担してお世話をしていました。飼い始めた時から、もちろんみんなちょびを受け入れていたので。

あとは、缶詰タイプの柔らかいお肉がすごく好きでした。時々しかあげていなかったのですが、ドライフードよりもはるかに好きだったみたいです。あげるとすごい速度で食べてましたね。

しつけや困ったことはありましたか?

最初はあまりにも小さかったので、中で飼っていました。その時は、なかなかトイレのしつけが難しかったです。あとは、環境の変化からご飯を食べないこともあって、そこは苦労しました。ですが、それに関しては、時間が解決してくれました。

あとは、いたずらも結構されましたね(笑)植えた球根を掘り返されたりとか。植えている姿をじーっと監視されていて、私たちがいなくなったら掘り起こして、全部食べてしまったんです。植物は、なかなか育てられませんでした。

お別れが近いと感じた朝 立ち会えなかった最期

最期まで元気に過ごしていましたか?

そうですね。歳を取ってからは、ちょっと白内障気味になったりしていました。 熱中症になって体を悪くしてしまったこともありましたが、それ以外は歳をとるまで元気でした。
少し体調が悪そうなことがあっても、草むらの奥の方に入って寝ていて、こちらに弱みを見せようとしませんでした。しんどい時は関わってほしくないみたいで、1人で寝ているとか。

健康だったのは、一応こちらも健康に気を遣ってたっていうのもあるし、本人自身が比較的頑丈だったのかもしれないですね。ずっと暑かったり寒かったりするような外で生きていて、頑丈に育ったのかなと思います。

亡くなったときは、老衰だったと思います。私も知識があまりなかったこともあり、ハエにもやられてしまうこともあって、一気に体力がなくなって老衰で亡くなりました。

家の中に入るのはずっと外に居たからか、嫌だったみたいです。やっぱり家族を守るというか、外で番犬としていたいという思いもあったんですかね。

最期の時が近いと感じていましたか?

やっぱり目が見えなくなってきたり、足腰がぐっと弱くなって、散歩でも気づいたら私の後ろしか歩けなくなってしまい、もうそんなに長くないと感じていました。

最期の日の朝は、散歩に行こうともしなかったんです。まだ息はしていたものの、もう最後かなと思ったりもして。地面に横たわって寝ていたんですけど、そろそろ終わりなのかなっていうのを姿を見た時に察しましたね。

僕自身も仕事に行かないといけない日だったので、会社に向かいましたが、その日の昼くらいに亡くなりました。当然、親ももう亡くなりそうだと気にしていて、様子を細かく見てくれていて。なので、ついに意識がなくなったと連絡をくれました。

最期の時間はどう過ごされたんでしょうか?

親がすぐに市役所に連絡をしてしまったので、私が帰る前に火葬場に連れて行かれてしまったんです。喧嘩をしても戻れるものではありませんが、最期の顔が見たかったのに、それが叶いませんでした。

当然、亡くなった動物の遺体なので、腐敗のことも考えて「早く火葬した方が良い」と親も慌ててしまったんだと思います。流石にすごく怒ってしまいましたが、もちろん返してもらうこともできず、それで終わってしまいました。

なので、最後に会えたのは、会社に出発するときに「言ってくるよ」と声をかけた時でした。

亡くなった後、どうするか話し合うこともしていませんでした。そういうことを想定して話しておけば、結果は変わったのかもしれません。

ちょびの物を片付けていく過程で整理されていった心

そうした状況で、どのように気持ちの整理をされたんでしょうか?

最後はそういう形になってしまいましたが、首輪などのちょびのものは残っていたので、首輪を庭に埋めるとか、残っているものを整理する形で気持ちを落ち着かせていきました。いきなり全部がなくなってしまうと心の整理が付けづらいので、少しずつ物を片付けながら落ち着かせていった感じです。

その時付き合っていた今の奥さんが話せる相手でした。奥さんも実家で犬を飼っていて、看取る経験もしていたので、よく知っているというか。理解があったので、その話をしながら自分の気持ちが落ち着いていった部分もありますね。

知らなかったけれど、使えば良かったと思っているサービスはありますか?

亡くなるときは急なので、最期に立ち会えるように、腐敗を防ぐような場所があればいいなと思います。遺体をきれいな状態で保てたり、最期の挨拶ができたりする仕組みがあったら使いたかったです。

人の場合はある程度、亡くなってからの流れや仕組みができていると思います。自分たちができなくても、仕組みとしてやってもらえることもあったり、次の段取りを教えてもらえたり。ただ、犬の場合、そうはいかない部分があるので、そういうところをやってもらえると嬉しいなと思います。

お別れの時のことを家族で話す必要性

最後に今、愛犬との時間を過ごされている方へメッセージをお願いします

歳をとると散歩をしても飼い主より後ろを歩くようになったり、最後に近いのかなと思う瞬間が増えてくると思います。そんな時に、自分たちの気持ちも含めて、今後の準備をしていく必要がある。生活の仕方や、亡くなった後の段取り、自分が最期に立ち会えない可能性もあるので、その辺りをどう過ごしたいのか、家族と話し合う必要があると思います。

うちは介護の状態にはなりませんでしたが、そうなるともっと手厚いことをしてあげなきゃいけなくなります。誰がどうするんだというところも含めて、決めて行かないといけないと思います。

そうした話し合いが大事だとお伝えしたいです。

〈おわりに〉

家族と家族以外の足音を聞き分けて、家族を守る番犬として活躍していたちょびくん。最期の時に立ち会えなかった心残りがあるとお話しされていましたが、きっと最期の「行ってきます」は、ちょびくんにとって安心してお空にいけるお守りになったのでは?と感じました。また、最期の時のことを家族で話す必要性を考えさせていただきました。お別れの時を想定して話すことは難しいですが、心にしこりを残さないために、できれば話しておく方が良いのだと改めて気づくことができました。この度はお話を聞かせていただきありがとうございました。

(聞き手:西澤七海/ライター)

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