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「悲しい」より「困る」

妹が、死んだら何って、一番に「困る」でした。
それは本人にも生前からずっと伝えていました。
本当に勘弁してくれと。

この先の人生、妹がいなくなると、私は本当に困るのでした。
約束していたこと、一緒にやろうとしていたこと、行こうとしていたところが、山ほどありました。お互い、同じ2017年に起業した会社が軌道に乗って安定したら、一緒に行こうと話していたことが本当に本当にたくさんありました。

私は、結婚していたことがあるので、妹と苗字が違うのですが、結婚していた当時でさえ、老後は妹と暮らすことを話していました。

私が指定難病で、治らない持病を抱えているのと、妹ががんになってしまったのとで、よく「私たちに老後なんてないかもしれないけどね」と、笑って話していました。

私も何歳まで生きるかわかりませんが、思い描いていた妹と暮らす老後は、私の人生では訪れることはなくなりました。

私たち姉妹は学年は3学年離れているのですが、私が1月の早生まれで、妹の誕生日が5月だったので、実質2歳3ヶ月ちょっとの差でした。
子供の頃より、大人になってからの方が仲が良かったと個人的には思っています。妹がどう思っていたかは聞いていないので、わかりません。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私の周りで妹を知らない人はいないと思うのです。それほど、一緒に行動していましたし、私の友人は妹の友人でもありました。

妹の大学在学中、長野へ2週間、一緒に車の合宿免許へ行ったり、お互い社会人になり、それぞれ一人暮らしをすると、必ず泊まりに行き合っていました。
私は20代前半、1年ほど石垣島で暮らしていたことがあるのですが、妹が長期間泊まりにきたり、妹がスウェーデンへ留学しているときは母と一緒に妹のところへ行きました。

外側から見たら、妹の方がしっかりしているように見られがちですが(実際しっかりしているところの方が割合的には多いのは事実ですが)姉の私には甘えたところも、頼ってきてくれるところもたくさんあり、それが嬉しくも、たまに鬱陶しくも、でも私の役目だと妹の相談に乗っていました。
もちろん、その逆も。私も妹をとても頼りにしていたので、甘えていましたし、鬱陶しがられたりそんなバランスでずっとやってきたのだと思います。

世の中にはいろんな姉妹がいると思いますが、私たちは比較的中の良い姉妹だったと思います。
恋愛の話から、仕事の話、くだらない話、自分の弱さの話、他人にはなかなか言えないような事など、なんでも話していました。
お互いが、姉妹でもあり、親友のような存在でした。
遠慮なく言いたいことを言い合う。もちろん喧嘩もたくさんしましたが、結局仲直りするのだから、日頃から思っていたわけではないですが、今思うと、「家族っていいな、姉妹っていいな」と、思うのです。

私の、この人生において、たった1人の妹を失ってしまった事実は、覆しようがなく、この先の人生、どうやって生きて行ったらいいのかと、数時間に一回は、悲しみと不安に飲み込まれている毎日です。私は、この感情をひっくるめて、表現する言葉が出てこなくて、最終的に「困る」という感情なのではないかと思っています。

近い存在でしたが、物理的に離れている期間も長かったので、今も普通に妹からLINEがきそうですし、実家にいれば、歯磨きしながらドアを開けて部屋に入ってきそうです。「こんなところに靴下おかないでよ」とか言われそうです。

2019年は私が入院してしまっており、2020年はコロナで一緒に過ごす時間が取れませんでした。
補足すると、わたしは肺疾患の持病があるため在宅酸素で生活しています。コロナにかかると取り返しがつかないことになるので、外出している家族とは一緒の空間で生活しないようにしていました。

今年に入ってから、コロナがあけたら、行きたい温泉やホテル、旅行の話を妹とよくしていました。
2月ごろ、旅行は無理なら、2人で都内のホテルとかで豪遊しようよと誘ってみたら「末期癌と難病のコンビでそんなことしたら2人とも野垂れ死ぬわ」って突っ込まれて却下されました。妹の方が、そのあたり冷静です。

妹のことを考えていたら、こうやって妹のことを文字にしていく方が心が落ち着くことがなんとなくわかってきました。
ここ数日、昨夜発表した訃報の準備をしていたりする方が、妹と一緒に仕事?をしているような感覚になります。
私たちはありがたいことに、よく取材していただくことがあったので、お互いの記事チェックをしていたので、その感じが、言ってしまえばいつも通りの作業な感じです。

今、わたしは、妹が2017年から2018年約1年半やっていたブログがあるのですが、そのブログの1投稿ずつを紹介していく記事を書いています。
明日から発表できると思うので、お楽しみにしててくださいね。

しばらくは妹とのことを伝えていこうと思います。
彼女自身が発信者であり、自分の活動を末長く広く届けていきたいという想いがありましたので、仲間と一緒に、もちろん無理はしないで、妹のことをまだ知らないみなさんにもご紹介できたらなーと思っています。
妹が生きてたら、妹自慢してる姉って感じで、キモいって言われそうですが・・・・。

日頃当たり前で、それが日常なのですが、客観的によくよく考えると、普通に自慢の妹です。

しばらくは私の中に住む妹の存在と、浮かんだり沈んだりしながら、やっていこうと思っています。
無理に元気にすることもできなさそうです。

中島ナオをご支援、応援してくださった皆様へ

妹が代表理事をつとめていたdeleteCサイト

妹と今年に入ってから、進めていた妹の初めての書籍『がんをデザインする』の出版プロジェクトです。


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