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第1回 「コロナウィルスを知って以来、わたしは何を体験してきたか」 by 虹の朝子

私にとっての災いの始まりは昨年の12月31日だった。父がどこからかウイルス性の胃腸炎を家に持ち込み、施設から一時帰宅した母、千葉の家からやって来た妹、私と家族全員に感染したのである。特に、93才の父はほぼ一週間寝たきりとなり、正月であったから病院に行くこともままならず、気が気でない一週間を過ごすことになる。父はなんとか回復して元気を取り戻すのだが、いくらも経たないうちに転倒。脳に損傷が見つかり入院となり、その後、胃腸炎の再発、吐瀉物が肺に回って肺炎、せん妄、尿道炎と、次々と発症し、その度に父は生死を彷徨った。「今度は何が起きたか」とびくびくしながら病院に通う、そんな日々だった。父が健康な状態を取り戻すのは3月に入ってからである。
 そういう理由で、私はわたしの回りの事で精一杯で、3月に入るまでは、コロナウイルスは自分事ではなかった。とは言え、 2月のクルーズ船の報道には日本政府の対応に釈然としない思いは持った。後から考えれば、初めに感染症対策の専門家が乗り込み、防疫対策を施すべきだったのだ。船外に感染が広がらなければそれでよいという考えが見え隠れして不快に思われた。2月末、首相は、突然、小中高の休校を要請する。よく熟考した上での決断だったのか?これもまた釈然としない。
 3月末で勤めていた会社を退職することになっていたので残務整理で多忙ではあったが、3月に入ると少し平穏な日々が訪れる。 朝は加減の良くなってきた父を車椅子に乗せ病院の中を散歩する時間を持った。病院には、整備されていない野趣溢れる庭園があって、小鳥が集まり、そのさえずりが耳に心地よい。梅、こぶし、桜、浜大根など、春の花が次々と咲く。父と一緒のこの散歩の時間はほんとに楽しかった。しかし、3月中旬になるとコロナウイルスのことが自分の問題として気になってくる。もしも私が無症状の感染者であれば、父に移す可能性もあるという考えが頭をよぎる。私は父の所へ行かなくなった。4月に入って病院側も外来者の面会を禁止したので、父と直接会うチャンスは今もほぼない。
 4月に入り職場の残務整理も終ると、愈々行き場がなくなり、平日も休日も家で過ごすことになった。世間ではテレワークが始まり状況にさして違いはないのであるが、収入も将来の見込みもなく、ただ、いたずらに時間が過ぎていくのは辛いことだ。政府はまた唐突にマスクを配るという。もっと他にすることはあるだろうにと思うのだが、相変わらず一番小さなことを大層なことのように言いたてて実行に移そうとする。不快に思う。
 人生の節目に気分転換をすることも許されず、父のことも、先の見通しも、すべてが宙に浮いたまま、止まっている。気分は鬱々とするばかりである。「そういえば、こういう気分は前に味わったことがあった」と、ふと思う。東日本大震災の時だった。公共交通機関もなかなか動かず、ブレイクダウンした福島の原子力発電所から漏れた放射能がここにも及んでくるかも知れないという不安で、重い物で上から押さえつけられているような気分が続いたのだった。それでも、あの時は乗りきることができたではないか。そう思うと少し気持ちが楽になった。「今回だってきっと何とかなる筈だ」と希望を持った。庭に目をやると生えてこない芝の隙を狙って雑草が芽を出している。庭に出て、ひとしきり草むしりをすると、何故か、とても清々しい気持ちになった。なんとかやっていけそうだ。自分自身の未来も、ウイルスの終息も、その先の世界も今はあまり見えないけど、きっとなんとかなるに違いない。
 
この不幸な4ヶ月間は、恐らくすべての人にとって、 流れるように過ぎ去っていく時間に竿を刺して、生きることの意味を改めて問いかけている。私の場合、たまたまそれが自分の人生の節目と重なっただけのことだ。立ち止まった私は、自分自身について、社会のありかたについて考えている。メディアでは様々な人が様々な見解を発信している。でも、「正しいことなんて分からない」と思う。正解はないのかもしれないし、仮に正解があったとしても、正解かどうかが後からしか分からないのであれば意味がない。ひとりひとりにできることは、“たゆまず”、かつ、 “主体的に” 日々の活動を一歩一歩前に進めていくだけである。そう考えた。そしてそれは自然に対峙するのに似ている。土に触れることはそのことを思い出せてくれる。
この困難な状況は、政治家の資質は何かということも改めて考えさせられる。政治家は、識者のいうことをよく理解して、その中なら見えない未来への手がかりを見つけて決断を下し、人々に希望と思いやりを持って説明することが求められる。答えのないところで決断を下し、それを説明する、それは、困難で孤独な作業であって、本当の意味での知恵と人間性が試される。図らずも、コロナの災厄は、それぞれの政治家にその能力があるかを問うことになった。予想はされていたが、日本のリーダーはいずれの点においても能力を持っていなかった。なりゆきで政治家になってはいけないのである。しかし、間接的であるとは言え、そのリーダーを選んだのも我々である。
政治家、あるいは、その政治家を選ぶ国民の能力は、政策の違いに反映される。多くの国では、罰則を伴うロックダウンを行った。しかし、強制性のある措置は独裁政治に向かう危険と両刃の剣である。ドイツの首相は、その危険性を説明した上で措置に踏み切った。そのことによって大きな責任を負うことを自覚している。日本では自粛を要請しただけだけど、感染者は徐々に減っている。個人を主張するより同調を重んじる日本ではそれでもそれなりにうまくゆく。国は、それにあぐらをかき、責任を回避している。個人の主張を抑えるための強制性を取るか、それとも、互いの同調圧力に頼る曖昧な政策を取るか。個人を大事にする社会は自分らしく生きれるが、主張しなければならず気が休まらない。同調圧力で成り立っている社会は、どっぷり浸かれば休まるが息苦しい。成熟した民主国家であれば何に対して誰がどう責任を取るかが明確にされるので、両刃の剣も使えるかもしれない。しかし、日本では責任が明確でない曖昧な仕方で物事が決まる。それゆえ、両刃の剣を使うことは危険なのだ。同調圧力に頼るしかないのかもしれない。

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