見出し画像

子ども自らが動き出す授業づくりがテーマ。

だから、前任校では、あえて話しなさい、とはあまり言わなかった。

「発言したかったら発言してください。発言したくなる授業と学級をぼくが作ってあげますから」

と言っていた。
しかし、今回、ちょっと方向性を変えてみた。

発言する価値もあわせて伝えるようにした。

すると普段おとなしいA子が文集にこう書いた。

「私が今がんばっていることは、手を挙げて発表することです。私は発表することが苦手です。でも、先生が、手を挙げないと成長しないと言っていたので、まず、手を挙げるところからがんばりました。でも、私はあまり手を挙げないので、手を挙げたら先生に当てられてしまいます。それでもいいから、思いきって手を挙げました。予想通り、当たってしまいました。でも、発表し終わったときは、なぜかすっきりとしていました。これからも、自分から手を挙げて発表したいと思います。」

手を挙げると成長する、ということは、アウトプットを作る、ということである。

話すことで整理されることがあるし、授業において責任が生まれる。

参加意識が高まる。

そこで当然、成長が生まれる、という話をした。こんな言葉を残している人もいる。

「挙手するだけで、頭は動き出す。賢くなる。」と常々言っている。
「どんな発言も必ず意味がある。」とも言っている。
しっかり考えた結果としての予想外発言は、全力でフォローする。価値づける。これが基本姿勢。               岩下修

 しかし、これは知的衝動ではない。どちらかというと「勇気」である。
「発表する良さを知っている子ども」ともいえる。
 本にこんな話題もあった。

発表しない子が多いクラスには、こんな話をする。なぜお母さんに洋服を着せてもらわないのか。なぜ食べるときにあーんとしてもらわないのか。子どもの答えは「自分でできるから」である。では、なぜ君たちは考えがあるのに発言しないのか。発言できるのにしないことは恥ずかしいことだよね。と話す。  土作彰

これもかなり「勇気」に頼って発言せよ、という感じ。

もしくは、発言癖をつける、という感じかもしれない。
では、発言とはもともと、どうあるべきものであるのか。
子どもの本音を聞きたい、と思い聞いてみることにした
黒板に①~③を書き、全員に手を挙げてもらった。

①わからないから。
②勇気がないから。
③面白くないから。

すると①が全員だった。反対に、発言する理由を聞いたところ、
「友達の考えを聞いて、自分の考えを伝えたくなったから。」
と話した。知的衝動。そして、話したい、と思える授業を作ること。

全ては、やはりこう思える子どもを育てたい。これが理想なのだ。
では、発言しない子どもたちを減らすためにはどうしたらよいのか。

「発言しない理由の一位だった『①わからないから』を無くすためにはわかる授業をすればいい」

という単純明快なものだ。

しかし、みんなが常にわかるような簡単な授業ではつまらない。そこで、
①ここをみんなで話し合いたい、という前には、自分の考えを書く時間を設定する。
(もしくは家で日記やノートに書かせるという方法もある)
②話し合いの時に、子どもたちの理解度を感じる。
(わかる子だけでの授業展開にならないように、話し合いを止めて、聞き返しやつっつきによって、理解度を確認するタイミングをみるため)
③教師の聞き返し、つっつきによって、子どもたちの理解度を引き上げる発問をする。
④ゆさぶりによって、「えっ」と思わせ、それを考えたい、という気にさせる。

この授業を展開していくと、みんなが話したくなるような授業づくりが可能だと思った。

授業が終わった後には、私の机に来て、自分の思いを話す子が多く集まった。
一見すると、当たり前だが、自分自身で感じながら進めてみることが大切だと感じた。

それから、子どもたちはみんな発言したがっている、ということを大前提としてみると、なぜ自分が発言しないか、という理由を私が①~③の選択制にして問い、はっきりさせることで、話せる、という気持ちになったのかもしれない。
 とにかく、今のテーマは、

「全員が話せる授業づくり」
である。

このために、他に何が必要なのかをこれからも考え続けていきたい。

                         三浦健太朗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?