【人生】憧れの人物
「あなたには憧れの人はいますか?
それは誰ですか?」
この問いは、言語化するときっと自分のやりたいことの根本が見えてくる
質問だと思っている。
強い憧れ、推し、何となく好き、気になる。
思いの強さは色々だが、
「憧」という文字は結構物騒で「童」が目の上に入れ墨をされ、重い袋を持たされている奴隷を表している。左の偏は「りっしんべん」「心」である。
「動く」の「ドウ」と意味を同じにし、「心が動いて定まらない」とか、あまり良い意味では使われない。
心が捕らわれている状態を「憧れ」と呼び、思い余る、心定まらず、愚か、鈍いという意味も持ちあまり漢字的な意味ではよい意味とは思えないが、
「理想とするものごと、人物に強く心惹かれる感情」のことを指す。
この問いは、あなたの「理想」はなんですかという問いとなる。理想という高尚なものがないと感じる場合、強い憧れ、推し、何となく好き、気になる人物を想像するとそれが見えてくる。
私の憧れ、尊敬する人物は、というテーマで高校の時にグループプレゼンをした記憶があるが、その時に私は「手塚治虫」と答えた。
アニメーションの父であり、漫画家であり、医者である。
私の憧れはまず「頭がいい人物」である。学力・教養のみならず、思想、表現力、広い視野など。
私の関心ごとが当時高校生から成人して暫く「宗教という心の平安とゆくべき道を説くものがなぜ争いの種になるのだろう?」というものだったこともある。
無宗教の父と、新興宗教を信じる母はそのことによりしばしば喧嘩をしていた。というか気に食わないことに関して信条を取沙汰して罵るという全くよくない類の喧嘩の吹っ掛け方をする癖のある父で、親戚とも政治のことで喧嘩をしていた。
自分の信条を述べることと、相手の信条を貶すことは全く違うことである。
どちらにも大義名分があり、長所も欠点もあり、それを認め、その尊重の上で物事を語らなければ、喧嘩になる。
日本で政治と宗教を仕事場や酒の席で語るなと言われることが多いのは、この最低限のルールを理解しない者同士の話で、空気も悪くなり、争いにならずともストレスがかかるからだと思う。
信条とは自分のコアや哲学などの人格の部分にも結びついてくるため、特に感情的になってしまうのかもしれない。
「憧れ」の話に戻すと、私は当時答えはこうであるべきだという倫理観の押しつけに合うことが多く、自分の考えを述べる機会に恵まれず、また、そういう言葉も未分化で、自分を言葉で表現することが難しかった。
あなたはどう思うかという質問に対して常に模範解答を探したし、とてつもない恐怖を感じた。
ある時期手塚治虫の漫画を一気に読むことになるのだが、ブッダ、キリヒト賛歌、火の鳥など信仰とむすびつくこと、アドルフに告ぐなど政治にかかわること、それを様々な視点から実に巧みに説得力を持って自分なりの答えを自分の表現で著し、非常に含蓄があり、ウィットにも富んでいることに驚いて、
もっとニュートラルに世界を見れるようになりたいと彼の視点と表現力にあこがれた。
片方からではなく多面的に物事を見られるようにならなければ、なかなかバランスの良い丁度良いところなど見つからない。
手塚先生の漫画は、痛烈に批判をしながらそうならざるを得ない不条理も描き、本当に良いのかと疑問を投げ掛けてくる。
今もって、新しいと思う漫画が幾つもある。
そんな人物に私は憧れている。
私はアニメーションを作ってみたい。
学生このころ、gifアニメーションを作ることにはまっていたが、絵だったものが生きているかのようになるのがとてもワクワクする。
今も試みているものがあるが、一人でやるもんではない。心が折れそうだ。
それでも一番下手くそな、ファーストテイクを誰かに見せたい。
今心をとらわれている存在は、YouTuberのQuizKnock(打ったことないのに予測変換に出てきた…?)殆ど何言ってるかわかんないんだけど(笑)
お勉強やこの世の知識を余すことなくふんだんに学んでいる人達の会話、めちゃくちゃ楽しそうで、憧れる。
勉強大嫌いなYouTuberさんに微分教えている伊沢さんの動画がめちゃくちゃ好きで、こんな先生いたら数学好きになっちゃうなと思った。
学校で嫌いな教科が先生の好き嫌いと連動していたのは勿体ない。今は、選択肢があるのがいいなとおもう。
彼らより一回り年上の私もお勉強をしたいなと思わせてくれるチャンネルで、非常に好きだ。
さかなクンも憧れの人だ。
お魚のことは大体知っていて、大好きでたまらないのが全身から溢れていて、専門家になっている姿がとてもいい。性格も非常に優しく、こんな人になりたい。人間性と、好きなことに対する姿勢や眼差しが、ちょっと涙が出てしまうほど、好きだ。
「知識が豊富で、まっすぐで優しい人間性の、好きなことに一直線な人物。そしてちゃんと結果をだしている人達」が私の憧れでありたい人間像だと憧れの人を見てると自分のこともわかる。
人間性で非の打ち所がないと完全に崇めている存在は、大谷翔平である。あまりにもかっこいい。
何をどうしたらこうなるのだろうと思う。
追い付くことも憧れるのをやめることもできないが、そのようにいきる努力をしたいと思わせてくれる人物だ。
年若の方で、尊敬できるかたが本当に増えた。得ることより喪うことが増えて来はじめる折り返し地点で、沢山揺れることもあるが、私らしく生きていくのに憧れの人がいるというのは、とても良いことのようにおもう。
アニメやドラマの好きな人物でも、それははかれる。セーラームーン世代の私は、セーラージュピターことまこちゃんに憧れていた。
「気が優しくて力持ち」で困ってる人を自然に助けられる(馬鹿力笑)
「お料理が得意で家庭的」美味しいお料理は、人を幸せにする。愛情こめてお料理ができる女性は素敵だ。
あれで中学生である。かっこいい。背が低くてずんぐりしてるので背が高いのも憧れだ。
なりたい自分に足りなくてまだ補えることは、
一歩一歩、出きるようになっていくために小さな積み重ねをしていこうと思う。(身長とかは無理だけどw)
そうして素敵なおばあちゃんになることが私の目標てあり、10代の頃の私との約束だ。その姿を誰よりも私に見せてやりたいので、私は今日も少しだけ頑張ろうと思う。
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