母の13回忌
平成12年6月14日 午後8時過ぎ
私の手を握ったまま 静かに息を引き取りました。
認知症となってから20年近く
寝たきりとなってから5年
大腸がんと診断されてから7ヶ月
私の記憶も薄れてきてしまうほど月日が流れた
当時は「痴呆症」と言われていて
人に言うのは恥ずかしい…そんな空気があった
「まだらボケは一番やっかい
完全にボケたら楽になるよ」
そんな言葉を主治医に言われ、
私は人として見てくれていないような気がして
他の病院を探したこともある
時におかしなことを繰り返して言ったり
感情を爆発させたり
私が知っている母とは思えない事もあるけど、
普通に会話することもできたし、
周囲の感情や雰囲気を察知して部屋の隅で小さくなっていることもあった。
もう母親ではなく、私の子どものよう
外では手をつなぎ、家では私の服の裾をギュッと握り
いつも不安げだった。
そんな母と暮らしていくなかで
描き始めた絵手紙
毎日1枚… そのために画材となる花や食べ物などを私は探し、
机の上に用意すると、無心で集中して描いていた。
食事の間でさえ落ち着くことが難しかったのに
絵を描いている間は夢中で細かい線を書き、色を丁寧においていた。
そんな絵がほんの少し広がって
雑誌やTVの取材を受け、小さな展示会まで開くことができた。
掲載された小さな記事が載った雑誌や新聞を嬉しそうに胸に抱いている姿がとても愛おしかった。出来損ないスキップをしながら、二人で手を繋いで本屋から帰ったあの日… 「これでいいんだね、続けてよかったね」私は何度も母に言い、母はうんうんと頷いてくれた。
認知症だからといって、何もかもが失われるわけじゃない
側に居る人は本当に本当に大変
親だと思うからこその苛立ち
伝わらない、理解してくれてない悲しみ
自分の時間がとれない絶望感
それぞれのご家族がとるどの選択に正解・不正解はないと思う。
私は一緒に居ることを選んだ。
途中なんども気が狂いそうになりながらも、
12年前に思った気持ちと13回忌を迎えた今日も
私は変わらない
母さん ありがとう
一緒に過ごせて幸せでした
久しぶりに母を想い、涙がでてきちゃった。
あの時の母との時間を思い出して、頑張った自分も少しだけ誇らしいよ。
母と居るといつも言われてた
「いい娘さんですね」
私はずっとこの「いい娘」という言葉に反発してきたけど、
今日は自分で「いい娘」だって思ってあげようかな。
母の絵手紙は書き損じたものも含め、全て残してある。
いつの日か本にして、母にプレゼントしたいな。
また胸に抱いてスキップしながらキット喜んでくれるはずだもの。
私自身も終活とやらを始めたほうがいい年齢に差し掛かって
私にとって宝物であっても、残したところで何の価値もないものになる前に何かしらの形にしたいんだ
12年という年月が
あの頃の絵を見ることができそうな気がする
母の描いた絵、言葉を今だからこそ理解できるような気がする
実現できるかわからないけど
やってみよう!
そんな事を考えた母の13回忌
母さん 頑張ったね
いっぱい笑顔をありがとう
私はあなたの娘でよかったよ