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すみっコぐらしをクリエイター視点で考察する(ネタバレおおあり)

前にすみっコぐらしの考察レポを書いた時「ユニバーサルデザインだ」という話をしたのだが、こっちで色々気付いていたことは制作側はがっちり狙ってたのが舞台挨拶でよくわかったので、クリエイター目線ですみっコぐらしがめっちゃよくできた映画であることを掘り下げていきたい。こっから先はネタバレ前提なので、まだ見てない人は回れ右、2回目以降の人は意識して見てみると面白いかもしれない。



絵本という世界観をフルデザイン

「ユニバーサルデザインだ」と最初に自分が指摘したのがまず、それぞれのお話の絵柄のタッチをガラッと変えてきたことに対してだ。まず桃太郎が水墨画の世界観だったことで「ああ日本昔話だ」とするっと入ってきた。

次に仕掛けが動いてしろくまがマッチ売りの世界に飛ばされたら油絵のような、ザ・童話な美しいイラストにチェンジした。すみっコが動かすパーツは飛び出す絵本の紙を意識された平坦なかんじで、あの2D絵柄のまま3Dにうごくすみっコにマッチさせることに成功している。(またあの2Dを3Dでごりごり動かしてるのがにくい。パラパラ漫画のようで、アニメーションの根幹だ)そしてマッチ売りの世界の降雪がよーくみるとめちゃくちゃリアルなのだ。丸い物体が落ちてくるのではなく、結晶がランダムに絡み合ったアレが落ちてくる。絶対積もるやつだ。ときおり吹く強風など、みてるだけで寒い。絵で描いた雪は丸くてぽんぽんしててかわいさや綺麗さに気を取られがちだが、ここではその身を切るような寒さががっつり伝わるように描いている。ただでさえマッチ売り凍死する話だから寒いのに。それが寒がりのしろくまが飛ばされて大事な防寒具をひよこ?に貸す…ああ尊いやさしい

次に人魚姫の世界観はシルクスクリーンのような水彩のような、不思議なパステル調に透明感もある。サンゴの鮮やかさに波打ち際の透明感は、海フェチの私を唸らせた。泳いでいる魚の魚影は種類は少ないものの、正確にチョウチョウウオやヤッコ属とハナゴイのシルエットを再現。ガチだ。

とんかつが飛ばされた赤ずきんの世界は、これまたエッジの効いた切り絵のような輪郭のはっきりした直線的なデザインでデフォルメがなされた特に飛び出す絵本感のあるデザインが秀逸。ほぼほぼ木材はここで集まる。

ぺんぎんが飛ばされたアラビアンナイトはまさに影絵や版画のようなデザインで赤ずきん同様輪郭がはっきりしてるのだが流線が多用され、塗りと線のコントラストが逆転しており、主線の方が明るい色という色の濃い世界観を白抜きするようにアラブみぷんぷんのデザインになっている。

そしてBGMがすべての世界で違うため、今どこにいるのかが説明不要だ。全てのBGMがこれ以外考えられないほど世界観にマッチしており、またチョイスした物語が舞台エリアの被りがない。全てのエリアでまったく違う曲を突っ込むなんてまるでゲームのようだし、そこに「メインテーマのアレンジ変え」ではなくあくまでその世界専用に作られているため、すみっコのストーリーの動くターンで使われる曲がとても活きてくる。でてくる絵本の世界全ての分を作り込んでいるのだ。とんでもない贅沢さだ。またこの音楽はただのBGMではなくその一音一節1秒の無駄もなく、フレーズとシーンを噛み合わせている。なので音楽を聴くだけで即シーンが再生されるレベルだ。すべてのシーンに合わせて音を置いたのかと思うほどだ(おそらく順番は逆)。

このように場面と音楽の流れを完璧にマッチさせることで起きるのは、聴覚と視覚両方の感覚が一致して情報量が脳に飛び込んでくるので、とても気持ちがよく、頭で理解する暇もなくシーンを理解してしまう。みるものの感情や興味、引き込まれ方をデザインで操ってしまうのだ。これにより年齢、国、そういった垣根なく五感でシーンを感じ取らせてしまうため「ユニバーサルデザインだ」と感じたのだ。

このように説明されず脳に直接届けた情報は無意識に残り、それが意識せず「伏線」を刻みつけるため、気づく気付かないの問題以前に終盤に気持ちが巻き込まれていく。


こだわり抜いた2D感が表現する絵本の世界

さきほどちょっと触れたが、徹底的に2Dの絵柄を3Dに動かしていることが逆にすごい技術だと思った。2Dに徹底することで、キャラクターとしてのすみっコのイメージを全く崩さずにがんがん動かすことに成功している。

サンエックスのキャラクターはぱっと見シンプルだが、その実徹底的に削ぎ落としされた絶妙なデザインだ。デザインの線がシンプルだと「簡単」だと思われがちだが、実はシンプルであればあるほどデザインは難しい。

サンエックスのリラックマもそうだが、目の位置が1mmズレただけでとたんに「コレジャナイ」感がでる。映画同様これ以上ないバランスで「すみっコっぽさ」は構築されている。

そのちょっとズレただけでも違うってなるデザインを3Dに(それも2Dな見た目を維持したまま)ゴリゴリ動かすのは至難の技だ。

動きもそうだ。基本動かない静止画のキャラクターであるすみっコたちが動くことによってイメージは崩れる可能性がある。しかしタメやスピードを絶妙に調整して「さも最初からこう動いていた」かのように動きを制御しているのが、どれほど苦難の連続だったかと思う。

可愛いけどちょっとシニカルなたぴおかや、自分が主人公になりたくないすみっコたち。この辺の試行錯誤はまんきゅう監督も語っていたが相当なディスカッション、トライアンドエラーの連続だと思う。何しろ実際に動かしてみないと「違う」感はわからないのだから。

例えば桃太郎の世界でたぴおかたちが仕掛けを動かすシーン、縦に重なるだけのジャンプ力があるならそのまま引っ張ることもできるだろうにあえてぴょこぴょこリズム良く積み上がって一回タメてから素早く「ピョコ」と仕掛けを引っ張る、オオカミの寝ている家で遅まきながら誰かいることに気づいたとんかつが、後背を取られないように壁を背にして危険に備えながら近寄っていく動き、なんでもない動きにエッジをきかせてらしさを構築する、みてる方はただただ気持ちよく、すみっコの印象を正しく刻まれながら吸収してゆく流れのためにどれほどの苦労が費やされたか。

すみっコぐらしの映画の世界観を幼稚だとか芸術性なら他の映画みればいいとか言ってるやつほど無意識がコントロールされるデザインがわかっていないのでずっと油絵だけ見てればいい(突然の過激派)


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