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15分を生き抜く

ひょんな事から、
ひょんな奇跡から、
ファッションなんて何も分からない私が
 FUMIE=TANAKA という、田中文江さんという女性の手掛けるファッションブランドのコレクションというものを観た。
全ての単語に“という“と付けなければならない程に
私にとっては不確かなものである。

私は彼女の事も、ブランドの事も、コレクションの事も何も知らない
そんな私の心が動いた
そんな私の感情が揺さぶられた
とにかく魅了された
あの15分間のshowを観てから私は何かに取り憑かれたようにあの時間のことばかりを想う。

田中文江さんの事を何も知らない私が田中文江さんやあの時間について何か書き記すことが、正しいことか、失礼なのではないかと不安な気持ちもあるが
この気持ちを、どうか色褪せないうちに。と
いつぶりかのnoteを
感動に、感情に、流されるままに書き進めていこうと思う。
ここでは心からの敬意を込めて
田中文江さんのことを“文江さん“とあの時間のことを“show“と呼ぶことにする。

美しい

とにかく、私の目に映る全てが美しかった。
かっこいい、綺麗、可愛い、すごい
目の前を歩くモデルさんが歩くたびに心が躍った。
ひとりひとり、1着1着、登場のたびに虜になった。
正直に言えば、解らない服もあったが
それまでもが、それこそが美しいと感じた。
私に解らないことが誰かにとって解ることであり
誰かに解らない事が私にとって解ることかも知れないということが、
そんな、観る人に委ねられた感情が余りにも美しいと感じた。
聴こえる音楽や、showを見つめる人のざわめきが美しいと感じた。
各所に立つスタッフさんらしき人の、誇らしげな背中や、成功を祈るかのような背中や絶え間なく走り回る姿が美しいと感じた。

たった15分だ。
2時間前の15分間を私は覚えてなんていない。
2年前の15分間を私は覚えてなんていない。
ただし私は2023年3月21日に過ごしたあの15分間を絶対に忘れない。
創り上げた文江さんにとってはどんな15分間だったのかと想うと
想像すると、勝手だと分かりつつも私は言葉を失った。

歩みを進め、帰っていくランウェイは
余りにも儚すぎやしないだろうか
自分の全てをぶつけるには
余りにも短すぎやしないだろうか
凡人の私には“もったいない“とも思えてしまうような時間で
余りにも尊かった

届ける

私がこのshowで受けとった財産をひとつ挙げるとするならば
 【届ける事が生きること】
だと知れた事だ。
文江さんはこの服を誰に届けたいのか
文江さんはこの時間を誰に届けたいのか
文江さんはこの空間を誰に届けたいのか
ここにいる誰が、何を受けとったのか
そんな考えても解らないことに想いを馳せるだけで贅沢だ。

そして文江さんが私に届けてくださったあのshowを観て
「生きてる」と感じた。
「生きてる」の一人称は文江さんであり、私だった。
私はどうやって生きていくのだろう。
誰に何を届けていくのだろう。
きっと文江さんのような才能はないし、
きっと文江さんのように多くの人に届けることは出来ない。
それでも「届けていたい」「生きていたい」と思った。
多分このnoteを書きたい、届けたい、と思ったのも
あの素敵なshowの影響だと思う。

憧れ

Instagramを少し観て、
showを一度見ただけの私にそんな資格があるかは分からないが
職人として、女性として、母として、人として
私は田中文江さんという方に大きな憧れを抱いた。
同じ人間になりたいとか、同じ事がしたいとか
そんな事じゃなく、
憧れた
何と聞かれても何も答えられないので
これ以上は語らずに私の中でたいせつに育てていくことにする。


我ながら自分勝手な、自己満足なnoteになってしまったが
文江さんがこのshowでゲストに向けた言葉、想いのまま
過ぎゆく日々の中に儚くかけがえのない時間を過ごさせて頂いた
私の感動が誰かに届いていれば幸せだ。

このnoteを書き終え、届け終え
「生きている」
と実感出来た。
これからも続いていく何気ない毎日を、365日を
私なりに宝物の15分にして
15分を積み重ねて
生き抜いていきたい
なんて想ったりしている。

このshowや作品、田中文江さん素晴らしさは是非
このnoteを読んだあなたがあなたらしく受け取ってください。

それではこの辺で


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