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【随想】脱藩のススメ

19歳の時、地元高知県を脱藩して今年で25周年になった。これだけ離れていると、最早記憶していた面影は殆ど無く、久々に帰省するとその変化に驚かされる。

先ず1番感じた変化はコンビニ。
そう、脱藩当時はコンビニが無かったのである。今では考えられない事ではあるが、同時に地元感というか懐郷感が薄れている事に気づいた。
少し寂しい。

「高知県の事を教えて」と聞かれると、決まって「日本のガラパゴス」と伝える様にしていた。
これは誇張でも何でもなく、昭和で時が止まった雰囲気を纏っていたから。
駄菓子屋、タバコ屋の赤電話、パーラー、チャンバラやゴムとびをする子供たち、その横を背中に描かれたカラフルで綺麗な女性の絵を惜しげも無く見せながら通るオジサン。
脱藩して数年はこの光景が続いていたようだ。
日常に刺激が欲しい当時の若者が脱藩するのに十分な環境ではなかっただろうかと思う。
何せ夕方5時に「笑っていいとも」を放送していた(再放送ではない)のだから。小学校から帰ってきて、テレビから「お昼休みはウキウキウォッチ!」と歌が聞こえてきたのは今でも話のネタである。今はその番組すら無くなった。

昭和レトロな雰囲気がブームとなり、赤電話のダイヤルを回して嬉々と喜ぶ姿を情報番組などで見かけた。その姿は、幼少期スクラップ置き場で働く父の横で壊れた黒電話のダイヤルを回して遊んでた当時の自分を思い起こさせ、懐郷の念に駆られる。が、その場所も今は無い。

私の様に脱藩する人を食い止める為なのか、様々なニーズに応え変貌を遂げた故郷に万感胸に来るものがある。もし、脱藩せず地元に居たらどうなっていただろう?あのオジサンはどうしているのだろう?

これ程時間が経っても変わらない物がある。それは実家から電話が来た時に出る方言。
どうやら土佐弁は、今住んでいる石川県の人からするとかなりヤンチャに聞こえるらしい。私の周りがそうだっただけかもしれないが…

更に、YouTubeでとあるグループが街ブラしている動画を見つけた。よく遊んだ用水路や神社境内が出て、未だに残っていた事に驚いた。懐かしい。

「ふるさとは   遠きにありて   思ふもの」
そう詠んだ室生犀星は石川県ゆかりの人物。何か今住んでる地にも縁を感じずにはいられない。
そう思うと故郷を後にし、別の場所で暮らす事は満更でもないと思う。色んな事があるけどね。

30代の頃、「故郷があるって良いね。私はここから出た事ないから」と年配の方に言われた事があった。当時はあまりピンと来なかった言葉だったが今では分かる。きっと脱藩していなかったら、これ程故郷を思う事はなかっただろう。


高校生の娘に「県外で暮らしたい?」と聞いてみた。娘の返事は「んー、今はそんな気ない」の一言。
これは今住んでる場所に愛着を持っているのか、それとも色んな情報が飛び交う今の世界に当時高校生だった私程魅力を感じなくなったのか。
娘が成人式を迎えた折に改めて聞いてみようと思った。「脱藩するつもり、ある?」と。

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