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ぼくの「ミモザ」である母にはこれから、ガラスの靴を履いてほしい

きょう3月8日は、女性の社会参画を願う日として制定された「国際女性デー」

そして、女性に感謝を伝える「ミモザの日」としても知られている。「ミモザの日」と呼ばれるようになったのは、イタリアの習慣がきっかけだという。

イタリアでは国際女性デーである3月8日に、身近な女性に感謝を込めてミモザの花を贈るそうだ。3月8日になると、イタリアの街は黄色い花と笑顔であふれかえるらしい。

この素敵な取り組みは、日本でも行われるようになった。

僕は「ミモザ」という言葉を聞くとどうしても、男性ボーカルグループの「ゴスペラーズ」を思い浮かべてしまう。

いきなりのゴスペラーズ登場に驚かれたと思うが、これにはきちんとした理由がある。

ゴスペラーズの曲に、「ミモザ」という名曲があるのだ。

ガラスの靴で~踊るミモザ〜♫

というサビの部分をつい口ずさんでしまう。僕の大好きなフレーズである。

ちなみにこの歌は、最愛の女性を「ミモザ」にたとえて歌ったラブソングだ。

ガラスの靴で踊る最愛の女性かあ。プリンス・チャーミングがシンデレラに向けて歌うべき曲だな。

とか考えながら、ぼくにとっての「ミモザ」は誰だろうと思いを巡らせてみた。

30歳独身・彼女ナシのぼくにとってそれは、間違いなく母だ。

父が亡くなってから、女手一つで3人の子どもを育て上げた母は、シンデレラにも負けず劣らずの素敵な女性である。

でも母は、「ガラスの靴」は履いていなかった。

ニューバランスのカーキ色のスニーカーを履いて、毎日子育てと仕事に奔走していた。

ぼくの父は、21年前に他界した。死因はスキルス胃がんで、発覚したときには助かる見込みがなかったらしい。

2000年1月20日、父は病院で静かに息をひきとった。

当時、姉は高校1年生、兄は中学1年生、僕は小学3年生。

育ち盛りの子ども3人を女手一つで育てることになった母は、悲しみにくれている暇などなかったと思う。実際、葬儀が終わってから、母が父の死で涙を流す姿を見たことがない。

父の死後、母は電子部品メーカーに事務員として就職し、馬車馬のように働いた。

毎日朝ごはんを作って8時には仕事に向かい、19時に帰ってきて急いで夜ごはんを作る。繁忙期には帰りが21時を過ぎることもあった。帰りが遅くなりそうなときは、朝のうちに2食分作って出かけていた。

料理が終わったら、サッカーをしている兄や僕の泥だらけの服を洗濯し、反抗期真っ只中の姉の身だしなみを注意して親子喧嘩もこなす。

休日は兄や僕のサッカーの試合に顔を出したり、姉のバレエを観に行ったりしていた。

ぼくは社会人になってから、当時の母がいかに凄かったのかを思い知らされた。母は一体、いつ休んでいたのだろう。

しかも事務員として採用されたのに、会社ではいつの間にか営業課の主任に登りつめていたらしい。ちなみにこれは、昨日LINEで聞いて初めて知った。

めちゃくちゃ凄いじゃん!!つぎ会うときは「スーパーウーマン!」って呼んでみよう。我が母ながら誇らしい。

普通だったら倒れてしまうようなスケジュールの中、母は倒れることなく、毎日子どものために生きていた。まさに、子どもに人生を捧げていた。 

「母子家庭だから、あの家はかわいそうだ」

と周囲に思われないために。そして、子どもに不自由な暮らしをさせないために。

母はあらゆることを我慢して、自分のことを犠牲にして、ひたすらぼくたちのために働いていた。

だから、母が洋服や靴を買うのを見たことがなかった。

履いている靴はいつも、ニューバランスのカーキ色のスニーカー。昔買ったというその靴を、ぼくが社会人になるまで母は履き続けていた。

「うーん、旅行にも温泉にも行ってみたいんだけどねえ」

というのは、最近の母の口グセだ。

母は5年前に仕事を引退し、いまは家でのんびり暮らしている。裁縫をしたりガーデニングをしたりして過ごしているようだが、外にはあまり出ていなかった。

ぼくはそれが、少し気がかりだった。ずっと家にいて、気持ちが内向きになってしまうのが心配なのだ。

これまで子どものために尽くしてくれた母には、第二の人生を楽しんでもらいたい。今まで行けなかった旅行や温泉にも、これからは気兼ねなく行ってほしいと思っている。

だから実家に帰ると、

「たまには温泉にでも行ってきたら?」
「パーッと旅行に行ってくればいいのに!」

と言ってみるのだが、母はいつも遠慮がち。

元々、あまり外出をするタイプではない。けれども、子ども3人が独り立ちしたいま、もっと外の世界に触れて、新しい体験をして欲しい。

だけど母は、自分が楽しむことに申し訳なさを感じているように見えた。これまで子どものために我慢し続けてきたから、今でも自分より子どもたちの幸せに目を向けてしまうのだ。

もちろん、それが親というものなのかもしれない。親にとって、いくつになっても子どもは子どもなのだろう。

でも母のそういう姿を見るのは、息子としては少し寂しい。親が子どもの幸せを願うように、子もまた親の幸せを願っているのだ

* 

ヨーロッパには、こんなことわざがある。

良い靴を履きなさい。良い靴は履き主を良い場所へ連れていってくれる。

人は良い靴を履いていると、いつか素敵な場所で素晴らしい出会いに恵まれる。そしてそれが人生の幸福へとつながる、という意味合いを持つ。

ヨーロッパでは靴の重要性が高く、「人生を決める大切な道具」に位置づけられている。幸福への一歩を踏み出すための、大事なアイテムなのだ。

ぼくはこのことわざを知って、母にはこれから、「ガラスの靴」を履いてほしいなと思った。ゴスペラーズの曲に出てくる「ミモザ」のように。

母はこれまでずっと同じ靴を履き続け、行きたい場所に行くことも、会いたい人に会うこともしなかった。3人の子どもを育てるために。

でも、もう大丈夫。3人とも大人になったから、安心して行きたい場所に行ってほしい。会いたい人に会ってほしい。

これからはガラスの靴を履いて、キラキラ輝く第二の人生を送ってほしいと思う。そして、シンデレラのように幸せになってほしいというのがぼくの願いだ。

普段はこんなこと恥ずかしくて言えないけれど、きょう3月8日は感謝を伝える「ミモザの日」。

最愛の母に感謝を込めて、この言葉を贈りたい。

生んでくれて、ありがとう。

育ててくれて、ありがとう。




読んでいただき、誠にありがとうございました!!これからも頑張ります!!