相手が喜ぶ10か条

頭の中でふわふわとただよう言葉にもなりきっていない思いを整理するべく手に取った村本篤信氏の著書「ロジカルメモ 想像以上の結果をだし、未来を変えるメモの取り方」に、「相手が喜ぶ10か条」という言葉が出てきた。商品やサービスのアイデアを出す際に、顧客となりうる人が喜ぶ項目を10個列挙してみると、アイデアに具体性が生まれるというのだ。確かに「フィンランドに移住する予定のある日本人の役に立つ記事を書こう」より、「フィンランド移住予定の日本人が喜ぶ情報その一『初期費用に関する情報』その二『住む前に知りたかったこと』……」と列挙していく方がより価値のある記事が生まれるだろう。なるほどその通りだ、と思ったところでふと思った。今現在一緒に暮らしている夫と息子の喜ぶ10か条とは何だろう、さらに私にとっての10か条とは何だろうと。

そういうわけで昨日夕食後に夫に聞いてみたのだ。人生、生活においてあなたを幸せにするものを、実現可能性は置いておいて10個考えてみてほしいと。できるできないはさておき、理想の生活を思い描いて考えてみてもらった。

これを読んでいる人にもやってみてほしいのだが、意外と10個絞り出すのは難しい。日々幸せを感じることは多いはずなのに、具体的に何から幸福感を得ているのか考えてみるとはっきりしないのだ。二人でボールペンを手にうんうん唸ったが、結局私は5つ、夫は6つしか書くことができなかった。

お互いのリストを見て二人して驚きのため息をついたのだが、私と夫では幸せの条件がまるきり異なった。何から幸福を得ているのかという人生観の極みのような情報をあけっぴろげにするのはこっぱずかしいので具体的にここに書くのは避けるが、端的にまとめると夫の幸福とは楽しい時間を過ごすことであるのに対し、私の幸福とはより良い自分になることであるということが判明した。わかりやすく言うと、一日の終わりに「今日は楽しかったなあ」と思いたいのが夫、「今日は○○ができたなあ」と思いたいのが私だというわけだ。

七年ちょっとの付き合いの中で直感的に理解していたことでも、言葉に書き起こすと納得感が非常に大きい。自分の価値軸に照らし合わせて「相手はこうしたら嬉しいはずだ」と思ったことが実は的外れだったということは人間関係で良くある話だとは思うが、改めてその根拠を知り、自分の行動はあれもこれも押し付けだったのかもなあと背中を丸めて反省してしまった。

とは言え大人同士ならまだ良い。こうして価値観を言葉にし共有できる。しかしまだ言葉の話せない息子はどうだろう。彼の喜びはどこから来るのか、息子になったつもりで10個あげてみようと思ったが、一つしか書くことができない。親として褒められたものではないなと自省する一方、勝手な憶測でこうすれば喜ぶだろうと思い込むのも危険かもしれないとも感じる。いずれにしても、息子が笑顔になる一瞬をコレクションして時折見直し、彼の見ている世界を想像できたらと思ったのであった。

さて、夫と私の喜ぶ10か条をここでは具体的には述べないと書いたが、少しだけさらけ出してしまうことにする。私のリストの最後には「健康・おいしい食事を取る」がひっそりと書かれたのに対し、夫のリストには「おいしい料理を作る」とあった。こんなにも利害の一致する夫婦も珍しいのではなかろうか。今までも夫が料理することは多かったが、これからは遠慮なく料理をお任せしようと心に決めほくそ笑む私である。


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