オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その92
予告
その日現地時間午後四時、朝鮮中央通信が北朝鮮政府の声明を報じた。
「朝鮮労働党の戦略的決心によって20××年4月3日午前十一時、小型プルトニウム爆弾の爆発実験が成功裏に実施された。
我々の知恵、我々の技術、我々の力に完全に依拠した今回の実験を通じて、共和国は新しく開発された試験用小型プルトニウム爆弾の技術的諸元が正確であることを完全に実証し、その威力を科学的に解明した。安全かつ完璧に行われた今回の実験は周囲の生態環境に何の否定的影響も与えなかったことも確認された。
この実験に関連して、朝鮮民主主義人民共和国政府は、本日午後八時より、朝鮮中央放送を通じて、特別重大報道を行う」
北朝鮮が核実験実施を正式に発表したのに加え、特別重大報道を予告したことで、丁度始まっていた各局の夕方のメイン・ニュース番組はさらに熱を帯びた。
特別重大報道もしくは特別報道は、金正日総書記の死去や核実験、大陸間弾道ミサイルの発射実験、最近では、ADE株封じ込め作戦の開始を報じる際の予告に使われた言葉だが、今回の核実験の実施は既に発表済みなのだ。その上で特別重大報道を予告した以上、何か別の意味があると考えるのは当然だった。そうでなければ屋上屋になるだけだ。しかも、ADE株の監視と支援がなお続く中である。
そうした経緯を踏まえた上で、メトロポリタン放送に出演した外交評論家の簗瀬衛は次のようにコメントした。
「核実験は自分達が核を持っていることを改めて誇示する狙いがあったと考えられますが、だからと言って、自分達は何も譲歩をせずに、アメリカに核軍縮交渉を始めよといった要求を突き付けるだけなら、これまでと何も変わりません。黙殺されて圧力を強められるだけだと思います。とすると、交渉に応じないなら、次にアメリカ本土にも届く大陸間弾道ミサイルの本格飛行実験をやるぞと更に威嚇するのかも知れません。つまり、ほぼ真上に打ち上げるロフテッド軌道ではなく、太平洋のど真ん中に向けて撃つかもしれません。しかし、それでアメリカの譲歩を引き出すことなど出来ないのは北朝鮮も既に十分承知している筈です」
「となりますと、予告された特別重大報道で何を言うのか、狙いは何なのでしょうか?」
キャスターが尋ねた。
「それが良く分かりません。国内的には引き締めを図る効果を狙っているのでしょうが、それでは対米関係の突破口にはなりません。どうしてもアメリカを交渉の席に引っ張り出したいのなら、まず、北朝鮮が核・ミサイル開発に関して大きな譲歩をしなければ始まりませんが、そこまで踏み込んでくるかどうか、これは現時点では何とも言えないと思います。ただ、考え過ぎかも知れませんが、先程の発表にはアメリカを非難するような文言が一切入っていませんでした。これに留意する必要はあるかもしれません」
菜々子は、わざわざ予告した特別重大報道が午後八時と言う点に注目していた。この時刻はアメリカ東部夏時間で朝の七時、普段なら丁度ワシントンが動き始めた直後の時間帯だ。
実際、ワシントンの朝は早い。ホワイト・ハウスや国務省、国防総省でアジア政策に関わる部署が特にそうだった。北朝鮮の発表はそうした部署の担当者達を意識したものに違いないと考えていた。
「発表はアメリカ政府を相手にするものに違いないわ…まさか、中国さん有難う、さようならではないだろうけれど、どこまで意味のある提案をするのかしら…」
菜々子はそう考えながら、この日夜の母親との食事の予定をやむを得ずキャンセルすることにした。久しぶりに親子水入らずに美味しい物を食べ、太田にプロポーズされたことを報告するつもりだったのだが、仕方ない。菜々子を特に可愛がった父親は既に亡かった。
「お母さん、ごめんなさい。今日の晩御飯の約束なんだけれど行けなくなってしまったの」
「あら、ナッコちゃん、残念ね。実験のせいなの?」
本人に明確な記憶は無いのだが、幼い頃、菜々子は父親に抱っこをせがんでばかりいたらしい。だから、抱っこの好きな菜々子ちゃんを捩ってナッコちゃんと、両親だけだが、菜々子をそう呼ぶようになった。勿論、もう他人の前では使わない。
「北朝鮮が八時に重大な発表をするって予告したのよ。ニュースは見た?」
「それは知らなかったわ。じゃあ、週末にでも家に来られる?」
「まだ、分からないけれど、出来るだけそうするわ」
「頑張ってね」
「大統領を叩き起こせということね」
CIAコリアミッション・センターのファン・ジアン所長はこの日、何杯目になるか自分でも全く覚えていないコーヒーを口にしながらそう呟いた。
「どうせもう起きている時間だけれど…」
ジアン所長は核実験実施の気配を察しオフィスに残り、そのまま情報収集をずっと続けていたのだ。
ジアン所長はスタッフが訳した北朝鮮の発表内容とこれまでに判明した実験概要続報を骨子だけ纏め関係各所に送付した。核実験実施の報自体は大統領も既に承知だ。
「いよいよ来るわね」
今のところ、ワイルド・キャット班の想定の範囲内の動きであることには満足していた。しかし、北朝鮮が次にどんなボールを投げて来るかはまだ分からない。問題はこれからだった。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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