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20XX年のゴッチャ その48

 音声ファイル
 
「それで、彼女の姿を最近全然見ないものだから訊いてみたのよ。そしたら、ちょっと事情があるらしいが、詳しいことは知らないって。でも長期欠席をしているのに理由を知らないって変でしょ?」
「誰がそう言ったの?」
「レーラー・フリードリヒよ」
「でも、前に一度、少し戻ってきた時にお土産よって言ってパリでしか売っていないチョコレートを持って来ていたから、パリにでも行っていたんじゃないの?」
「でも、何しに?単に遊びに行って学校を休むのがそう簡単に許される筈はないでしょう?もう帰国するのかしらね?」
「分からないわ。また特別扱いかもね。何と言ってもノードリヒ・プリンツェッスィンなんだから」
「あの国の事だから、何があっても不思議ではないでしょうけれど、レーラー・フリードリヒも甘いわよね。学校を休んでパリ行きを許すなんて…何か変よね」
「でも、まあ、関係ないわ。そんなに親しいわけじゃないし…」
「そうね。私達にはよそよそしいものね。関係ないわ」
 
 音声のクオリティーが良くない為何度も聞き直し、欠落している部分を推測で埋めると、日本語訳はこうなった。
 
「これは当たりだわ…」
 菜々子はそう確信し、大友に訳文を送った。同時に、これを読んだら直ぐに連絡するよう指示した。
 
 次いで、桃子に至急会いたい旨メッセージを送る。ウラを取るには彼女の情報網に頼るのが一番だ。
 
 桃子からすぐに折り返しがあり、その日の夜、近場で落ち合うことになった。オーフ・ザ・レコードは休みだった。
 
 遭遇
 
「煙草を一本恵んでくれないか?」
 
 WHO付きの運転担当・黄正民が平壌総合病院の裏口近くの駐車場でタバコを吸いながら待機時間を潰していると病院の職員と思しき男が近寄ってきて、こうせがんだ。
 
 任務中の喫煙や任務に無関係な地元住民との接触は厳に禁じられていたのだが、喫煙姿を見られてしまった以上、無下に断り、密告でもされたら困る。黄は黙って一本差出し、男が受け取った煙草に火を点けた。
 
 すると男は「カムサムニダ」と言いながら至近距離でくしゃみを二回した。タバコを吸っていた関係でこちらもマスクは外していた。
「悪いが離れてくれ。」
 黄は直ぐにそう言って男を遠ざけたが、飛沫を吸い込んでしまった可能性は高い。
 
「まずい。一箱丸ごと渡して直ぐに遠ざければ良かった」と黄は少し後悔した。
 
 ただ、防護服を着ていたが、男の格好は医師や看護師のものではない。ゴミ置き場に戻って行ったことを考えると下働きの職員だろう。彼が患者から感染している可能性は低いし、自分は治療薬の予防服用をしている。
 
 黄はたった今の遭遇を忘れることにした。報告などしたら具合の悪いことになる。
 
 黄正民は中国人民武装警察瀋陽軍区局地警備部隊に所属する武警の兵士だ。日本で言えば機動隊の役割を果たす地方部隊で普段は運転担当を務めている。しかし、朝鮮族出身で言葉が分かる為、封じ込め作戦ではWHO付きの運転担当として配置された。
 
「予定では後三十分か…」
 黄は腕時計で時刻を確認するともう一本火を点け、大きく吸い込んだ。
 
 国境の向こう側の遼寧省の寒村が地元の黄に寒さは気にならなかった。封鎖が続いている北朝鮮の陰鬱なムードは嫌だったが、この時期はどのみち何処でも似たようなものだ。
 
 黄は次の任務として、今夜、遼寧省の補給所にWHO用の生活資材を取りに行くよう命ぜられていた。本隊が到着するので補充する必要があったのだ。
 
 WHO用の生活資材は洗剤やトイレット・ペーパー等何をとっても彼から見れば高級品で、他とは違った。食料も西側の物が多かった。
「少し持って行けば、彼女もきっと喜ぶだろうな…」
 そう考えると黄は少しやる気が出て来た。根元まで吸い終わった二本目を踏み消すと黄は車に戻った。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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