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20XX年のゴッチャ その57

 ヴィデオ・リリース
 
 その日、月曜の午後、金正恩総書記は、平壌の地下施設の一つで、リリースされたクラプトンのバタクラン公演のヴィデオを大画面の液晶テレビで再生していた。
 
 総書記はギターを抱えていて、曲に合わせて自分も演奏する。音量はどちらも抑え気味だ。すると妹の与正が入って来て目の前のコーヒー・テーブルに白紙の紙を置いた。これで2枚目だ。
 
 総書記が黙って頷くと与正も何も言わず去って行った。総書記在室中のこの部屋には総書記の兄妹以外が入ることは許されていない。
 
 白紙の隅に送信者の電話番号だけが記録されている。スイスからだった。術後の経過も今のところ順調という報せだ。封じ込めも順調に推移している。
 
 ギター演奏に自然と熱が入る。しかし、暫くすると総書記は手を止め、今後の計画を頭の中で反芻し始めた。
 
 飛び火
 
 現地時間月曜の朝、大友と山瀬はユーロ・スターの車中に居た。
 
 ロンドンのセント・パンクラス駅からパリのノルド駅までは最短で二時間十五分程、距離にすると東京・大阪間とほぼ変わらない。ロンドン・ブリュッセル間も似たようなものだ。西ヨーロッパの国々の主な都市は日本人が想像するよりずっと近いのだ。
 
 パリ支局カメラマンのアルヌーは前日のウェンブリー取材が終わった後、一足先に同じルートでパリに戻っていた。
 
 特に機材を持っている場合、ロンドン・パリ間、ロンドン・ブリュッセル間はユーロ・スターで行き来する方がずっと楽だった。EU離脱でイギリスと大陸欧州間の移動は出入国検査が必要になっていたが、それは空路でも同じだ。
 
 セント・パンクラスの駅ナカで買い求めた紅茶のLカップを飲み、山瀬の妻が用意してくれた特大のお握りを食べながら、大友が言った。
「有難いねー奥さんに御礼を言っておいてね。とても美味しく頂いています」
 
 紅茶とお握りは少し合わないが、ストレートで飲むなら悪くない。イギリスのぼさぼさのサンドイッチより百倍マシだ。大友はそう思っていた。それに、久しぶりの米は何より嬉しい。
 
「それにしても、この先、どうやって取材を進めますかね?」
 やはり、お握りを頬張りながら山瀬が言った。
「問題はそこだよな…着いたらまず山瀬はホテルにチェックインする。僕は一旦家に戻って、旅装を解く。洗濯物も溜まっているしさ。
 悪いけれど昼飯は各自にして、午後三時頃に支局で作戦会議をしようよ。ベルナールも入れてさ。それで、どう?」
「そうですね。分かりました」
「では、僕は少し寝るよ。やっぱ疲れたよ」
 ノルド駅到着までもう一時間も無かったが、そう言うと大友は直ぐに寝息を立て始めた。
 
 WHO付きの運転担当・黄正民の恋人は、その夜、自宅の寝床で、鼻の奥と喉に違和感を覚えていた。なかなか寝付けない。黄が置いていった治療薬を飲むかどうか色々悩んだ末、止めた。
 
 起き出して、水だけ飲み、寝床に戻った。
 
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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