オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その126 完結編-前

クリスマス公演


 
 冬になった。
 
「いとしのレイラ」のイントロが大音響で鳴り響き、異例のクリスマス公演が始まった。伝説のギター奏者、エリック・クラプトンの皴枯れ声が続く。
 
「君は一人になったら何をする?
 誰も君の傍に居なかったら?」
 
 冒頭の歌詞を日本語に訳せばこんな感じになる。こじつけに過ぎないが、これまでの北朝鮮に心境を尋ねているように思えなくもない。しかし、アメリカが跪くことはない。

 欧米や日本でのコンサートなら観衆総立ちになるところだが、ここではそんな現象は起きない。ただ、手前中央の特別ボックス席に陣取って並んだ二人は満悦至極の表情で、手を叩いて喜んでいた。周辺の観客も合わせて熱心に拍手を続けた。
 
 時は、その年、12月24日午後5時過ぎ、場所は平壌市内の柳京鄭周永記念体育館だ。クラプトンによる異例のクリスマス公演は前日のアメリカ政府平壌連絡事務所の開設を記念して開催されたのだ。主催は北朝鮮政府でアメリカ国務省の後援付きだった。
 
 オープニングの演奏が終わると、黒い人民服姿の金正哲が満面の笑みで立ち上がり拍手を送る。と、隣の金正恩総書記もそれに続いた。その他の観客も一斉に立ち上がる。兄弟は同じ服装で髪型もほぼ同じ。遠目には区別が付かないが、傍らに雪主夫人が座る右側の御仁こそが弟の正恩総書記と分かる。二人とも血色は良く、恰幅を取り戻した総書記が病み上がりとはもう到底思えなかった。
 
 正哲の左側にある特別ボックス席には、連絡事務所の開設セレモニー出席の為訪朝したアメリカのアンドレア・ウォルフ国務長官の姿も確認できた。続いて、ボブ・マーレーのレゲエ曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の演奏が始まった。
 
 インターネットで世界に同時中継されたこの模様を、大友雄二はバタクラン劇場での取材を思い出しながらオフィスでモニターしていた。世代が違う為、相変わらず曲には食指が動かない。見かけによらず大友はラップ好きだった。しかし、二曲目が終わって映し出された総書記らの映像を見て、大友はあんぐりと口を開け見事なドイツ語を発した。
 
「ノードリヒ・プリンツェッスィン!」
 
 周辺の誰にも意味は分からない。大友は久しぶりにアドレナリンが体内を駆け巡るのを感じていた。直ぐにIT班の川村仁を呼び、総書記の二列後ろの斜め右側に座る若い女性の映像とパリの画像を照合するように依頼した。コンサートのモニターをそっちのけにして二人は大友が保管していたパリの映像素材からお姫様の画像を引っ張り出すと、川村が照合作業を開始した。
 
 三曲目のクリーム時代のヒット曲「クロス・ロード」が終了するとネット配信が終わった。公演はまだ続く筈だが、中継されたのは冒頭三曲だけだった。
 
 米朝交渉は、曲折はあったが、その後も順調に進み、連絡事務所の開設に至っていた。アメリカの対北支援も粛々と進められている。肝心の核管理問題でも、北朝鮮政府は、これまでに取り出したプルトニウムやその他の核開発関連施設の査察を、多分一部に過ぎなかったが、受け入れ、作業が進行していた。勿論、凍結は継続していた。ただ、北朝鮮が全てを正直に申告し、全面破棄に応じるとは誰も思っていなかった。北朝鮮が永久に保持しようとするだろう最低限の抑止力を維持する少量の核兵器まで全て吐き出させようとすれば、元の木阿弥になることはアメリカ政府も分かっていた。
 
 しかし、交渉と査察を通じて、その量を出来るだけ少なくさせて、攻撃や脅しには使えないレベルにまで下げ、かつ、監視可能な状態にすることがアメリカの事実上の目標になっていた。表向きCVIDの看板を下ろした訳ではなかった。が、北の核の脅威を限りなくゼロに近づける方が遥かに現実的だった。事実上使えない兵器にさせるのだ。
 
 クリスマスはアメリカ人にとって、極めて重要な休暇シーズンだ。しかし、誰もがキリスト教徒という訳ではない。それに日本の正月やお盆のように家族が集う感謝祭休暇の方がアメリカ人にとってはより重要だった。また、ユダヤ教徒やイスラム教徒、仏教徒にとってクリスマスは宗教上の祝祭日ではなく、単なる休暇シーズンだ。その休暇が数日潰れてもユダヤ人のウォルフ国務長官にとっては大きな問題にならない。
 
 コンサート後、直ぐに予定されている記念晩さん会でウォルフ国務長官は金正恩総書記と同じテーブルに着く予定だった。年明けには、中国政府と韓国政府も交えた朝鮮戦争終戦協定の締結を目指す協議と米朝の国交・平和条約交渉も始まる見込みだ。
 
「もう後戻りはさせない…」
 ウォルフ国務長官はそう決意していた。彼女にとって、晩さん会で総書記の本音を何処まで探れるかが重要な任務だった。このまま順調なら、ベン大統領との米朝首脳会談も視野に入れなければならなかった。
 
 メトロポリタン放送始め、日本の各テレビ局は夕方のニュースで、連絡事務所の開設とウォルフ国務長官の訪朝、記念コンサートの模様を大々的に報じた。日本メディアの平壌入りは未だ認められていなかったが、アメリカの主要メディアは国務長官同行で現地入りしていて、平壌のお祭りムードを好意的に伝えていた。
 
「米朝交渉が北朝鮮の完全核廃棄に至るかどうかはこの先まだ問題山積ですが、この機運を拉致問題の全面解決に繋げられるか、日本政府にとってはいよいよ正念場に入ると思います。チャンスはかつてない程あると思います。ぜひ成果を上げて欲しいところです」
 
 夕方のニュース・スタジオに生出演した外交評論家の簗瀬衛はこうコメントした。
 

照合


 
「ざっとですが、出来ました。見て頂けますか?」
 夕方のメイン・ニュースの放送終了後、川村が大友に声を掛けた。
「どれどれ…」
 川村の作業部屋に入った大友は処理された画像を見た。
「ごっちゃ、だな…」と大友は感極まったように呟いた。きょとんとした川村が尋ねた。
「今、何て言いました?」
「いや、何でもないよ。大当たりだね…」
 
 思った通りの照合結果に喜びつつも、大友は次の作業に集中した。そして、まず、画像を会社支給のタブレットに転写し、夕方の放送終了後も待機していた専務の矢吹淳也の部屋に大友は向かった。それを見てやはり残っていた岩岡宏国際報道部長、棚橋聡編集長、次いで、報道局長の原沢孝弘も順次やってきた。夜ニュースの担当チームのメンバーら周辺は何事かと訝りながら幹部達の異例の動きを目だけで追っていた。岩岡も、取材の経緯全貌詳細は別として、その結果は既に承知している。
 
「まず、ご覧ください」
 
 大友はタブレットを提示して川村が急ぎの作業で制作した画像を再生した。平壌のコンサート会場で撮影された若い女性の画像とパリの病棟のバルコニーの画像が映し出され、ゆっくりと重ね合わされる。ぴたり一致した。
 
「これで材料的にはもう行けるな」
 矢吹が断じ、全員頷いた。
「まず警備会社のAI担当に連絡して明日一番に鑑定作業をしてもらいましょう」
 AI鑑定の経緯を良く知る原沢が提案した。
「それだな。同時に大友に桃ちゃんと菜々子に連絡して貰って、お姫様が誰なのか、桃ちゃんと棚橋、私が探る。その結果次第で次に移ろう」
 矢吹が指示した。
「了解です」
 原沢と岩岡が応じた。
 
「すいません、一点だけ。この若い女性は多分十代だと思われますが、仮に一族の娘さんだとしても、公職にも就いていない、タレントでもない未成年の顔を我々が真っ先に全面的に晒すのは宜しくないと思うんですが…」
 棚橋が遠慮がちに指摘した。
「それはそうか…、もう時代が違うな。ならば、前回と同じように、目と鼻と耳だけを、IT班にはお手数だが、至急切り出して貰って鑑定に出そう」
 原沢が応えた。
「あ、それなら大丈夫かと…」
 棚橋が納得した。
 
 すると大友のスマホが鳴り、待機画面にメッセージが上がる。それを見た大友はメッセージの全文を確認した。
 
「IT班の川村からです。お姫様らしき女性が別の映像にも登場したようです。20時の放送です。見てきます」
 大友がそう言って立ち上がると岩岡と棚橋も続いた。20時の放送とは平日は基本的に夜の8時に始まる朝鮮中央放送の定時ニュースの事だ。
 
 暫し二人きりになった矢吹が原沢に告げた。
「ルークさんには僕から伝えるよ」
「分かりました」
「急ぎやらなきゃならないことが結構あるな…」
「そうですね。全部順調に行ったとして、いつ出しますか?どんなに早くても明後日の夕方になりそうですが、それだとVTRの編集が粗めになる心配もあります。それに土曜の週末のニュースになってしまいます。月曜まで待ちますか?」
 
 週末のニュース番組は夕方のメイン・ニュースでも30分枠と短い。それでは十分な放送時間が確保出来ない。3時間という放送枠のある平日の方が望ましかったのだ。それに月曜ならまだ年末の休みの前だ。
 
「念押しというか仁義切りも必要だから、月曜日を目標にする方が理に適うかな…慌てる必要は無いさ。コンサートに一族の娘がいたらしいという話だけなら韓国筋から流れるかもしれないが、パリの件は誰も知らない。ましてや映像は絶対に持っていない。それで大丈夫なんじゃないかな…あっはっは」
 
 矢吹の軽い口調はこんな時も出る。三人が戻り、岩岡が報告した。
 
「20時の平壌のニュースでコンサート会場入りする総書記一行の映像が流れました。その中にほんの少しですが、雪主夫人と並んで歩くお姫様が入り込んでいます。やはり娘の一人である可能性が高いです」
「お、それは我々にとっては願ったり叶ったりだ。川村君だっけ?彼には悪いが、その映像も含めて切り出しをしてもらいたい。AI担当に連絡して、可能であれば明日午前中に先方のオフィスに大友と川村君が行けるよう手配する」
 原沢が鑑定の作業アレンジについて言った。
 
「さて、最終的な判断はAI鑑定とお姫様の確認作業が終わってからになるけれど、原稿の修正を菜々子と協力して大友にすぐやってもらいたい。監修は桃ちゃんと岩岡に頼む。絵解きの部分は原稿・編集共に棚橋に最終案の準備を指揮して貰いたい。オーケーかな」
 全員頷いた。
「それで鑑定でほぼ同一、人定も韓国筋で確認されたら、必要な仁義を私と桃ちゃん、菜々子で切る」
 矢吹はルークの名前には言及しなかった。
「それでOKであれば月曜夕方に放送する。フランス当局への事前通告は直前に大友からベルナールにやるよう発注して貰いたい。問題は中国だが、岩岡、どう思う?」
「放送内容が中国の面子に係わるものでなければ問題無いと思います。単刀直入に申し上げますと、総書記がパリに向かったのは首脳会談が終わった後で極秘裏にという程度なら通告も必要ないと思います。これなら単純な事実の推定に過ぎません。ただ、我々の放送では、決して、首脳会談の替え玉説には言及しないことが非常に重要だと思います。そもそも未確認の話ですし、このニュースを伝えるのに必ずしも必須な情報ではありません。これだけは是非お願いします」
 
「そうか…分かった。未確認の憶測情報は入れない方が良いのは当然と言えば当然だ。いずれどこかからそんな風説も出てくるだろうが、我々にも確認できていないのは変わらない。真相はほぼ永遠に藪の中になるんだろう。放送に今回踏み切る理由はお姫様の人定確認が出来たからで大丈夫だろうね。その辺りも明確にするのを忘れないで欲しい」
 
 再び全員が頷いた。
 
「最後に念の為。既に事情を知る関係者以外には余計な事を一切明かさないように。VTRの制作に当たっても秘密の保持は厳正にやって貰いたい。彼らには苦労を掛けるが、最大限、IT班のコンピューターで編集をして欲しい。VTRの音声撮りは直前に。良いかな?」
 
 全員がまたも一斉に頷いた。
 
「他に質問などある?」
「あの…」
 再び棚橋が遠慮がちに口を開いた。
「月曜の昼ニュースはどうしますか?少しだけ出しますか?」
「うーん、それもありかも知れないが、少しだけだと中途半端にならないかな…」
 原沢が疑念を呈した。
「パリで手術を受けていたことが明らかになった、詳しくは夕方ニュースで、という告知程度のレベルです。ネットなどで大騒ぎになって、夕方の視聴者がもしかすると激増するかも知れませんので…」
 
 編集長は仕事柄、毎日の視聴率を意識せざるを得ない。棚橋は許可が出るならそうしたかったのだ。
 
「その点は局長と編集長で是非も含めて相談して欲しい。任せるよ。他に無ければ、今日はこれにて。大変だが、秘密保持は特に宜しく。あっはっは」
 
 関係幹部の打ち合わせが終わった。
 
 この夜の忘年会の予定を既にキャンセルした矢吹は、オーフ・ザ・レコードに少し立ち寄り、その後、真っ直ぐ帰宅することにした。
 
 店には暮れの稼ぎ時の為か珍しく先客が居た。矢吹は店主と二人で奥のディープ・バックグラウンドの個室に入り、暫し話し込んだ。

***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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