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20XX年のゴッチャ その51

 寄り道
 
 現地時間の午後四時、WHO調査団の本部が置かれている造り掛けの養鶏場跡地を黄正民は出発した。
 
 解放軍兵士がガードするゲートで形だけのチェックを受け通りに出ると、黄は煙草に火を点け、窓を少し開けた。それでも匂いは必ず残るが、このトラックの運転席にWHOの関係者が乗ることは無い。リュックには軽食用の饅頭と茶を入れた水筒、それにWHOの食糧庫から失敬して来たハムの缶詰二個、チーズの缶詰二個やシャンプー等を詰め込んである。二人分の治療薬もある。
 
 国境までは何もなければ三時間程で到達する距離だが、道路事情が良くない。検問所の渋滞も予想された。多分、五~六時間は掛かる。橋が通行止めになる夜の十二時までに中国側に入らねばならないので、念の為、早めに出たのだ。それに養鶏場に居ても今日はもうやることが無い。
 
 幹線道路は思った以上に混み合っていた。行き交う車両は大半が中国の車だ。搭載している無線に頻繁に中国語の交信が入るが、自分には関係ない。私用のスマホでもあれば好きな音楽を聴けるのだが、任務中の使用は禁止されていた。無断でスイッチをオンにするとすぐにばれるようになっていた。ただ、煙草を吸うのは上官や憲兵に見咎められない限り大丈夫だった。
 
 二本目に火を点け、煙を吐き出すと、黄の脳裏に満面の笑みで彼を迎える彼女の顔が浮かんだ。
 
 歳の近い彼女は彼女の祖父と自分の祖母が従兄妹同士で、親戚筋に当たる。朝鮮族の習慣では恋仲になるなどもっての外なのだが、若い二人の熱情にそんなことは関係なかった。
 
 彼女は今回の移動ルートから三十分程寄り道すれば着く寒村で実家の離れの小さな建物に住んでいる。自分の実家も遠くない。予告無しに訪問し驚かせようかとも思ったが、それには夜遅過ぎる。黄は補給所に着いたら休憩中にメッセージを送ることにした。
 
 ロンドン行
 
「そのお姫様の動きを追えたら何か出てくるかもしれないわ。大友にしては良くやっているわね」
「姐さんのお陰です。正哲情報を頂けたからこそ、取材を始められたのですから」
 
 その夜八時頃、菜々子は桃子と麻布十番の蕎麦屋の一角で向かい合っていた。店は結構名の通った老舗で、板わさ、焼き海苔、鴨焼を摘みに二人は日本酒を酌み交わす。
 
「学校は割り出したみたいなんですけれど、これから先が…、姐さんならどうします?」
「そうね…、とりあえず、学校関係のSNSやウェブを総浚いしてお姫様の面を割らないと。それとパリに行っているというのは、過去の例で言うと単なる遊びの事もあるけれど、病院関係で動いている場合もあったでしょ?正男もそうだったしね…」
「そうですね…正男は確かにあっちこっち動いていましたけれど、あの時パリに行ったのは父親の診療に当たる脳外科の専門医と連絡する為でしたね」
「そう、今回もそうだとすると国情が注目する健康不安説とも平仄は合う。追う価値はあるわ」
「でも、大友一人に任せるのはちょっと頼りない気がするんです」
「コンサートの取材はこれからだったかしら?」
「そうです」
「それが終わったら山瀬も入れたら?東京から出す余裕は無いでしょう?」
「そうですね。他にもう人は出せないですし」
「凸凹デブ・コンビでやってもらいなさいよ。それしかないわ」
「姐さんもまた探ってくれますか?」
「それは勿論よ。こっちも改めて当てる材料が出来たんだから、少しはお役に立てるでしょうから」
 
 当てるとは、この場合、記者が得た情報を別のネタ元に突きつけ、何らかの反応を引き出すことだ。より詳細な情報を更に得たいのだ。
 
 テーブルにかき揚げが運ばれて来た。海老がたっぷり入った分厚い天麩羅だが、一流の蕎麦屋の物はサクサクだ。
 
「凄い。私、これが大好きなんです」
 店員が傍に来た為、菜々子が話題を変えた。
「私もよ。美味しいものね。すいません。お酒をもう二本下さい。お願いします」
「お酒二本ですね。承知しました」
 店員がそう言って下がると菜々子が言った。
 
「ルークさんや矢吹さんにも相談した方が良いと思うんですけれど…」
「ルークさんには私が来週伝えるわ。矢吹はあなたに任せます」
「有難うございます」
 同期の木原桃子と矢吹淳也の関係は微妙なのだ。二人が直接相談しあうことは基本無い。しかし、ルークや菜々子を介して、取材に関しては協力関係にある。
 
「それにしても大友の次の連絡が遅いです。まだ移動中なのかもしれませんけど…」
 菜々子が酒をちょいと飲み干し言った。
「この時間だと、どうせ昼ご飯に集中しているに決まっているでしょ。もうすぐ連絡してくるわよ」
 桃子も飲み干した。
「そうですね。こっちも飲んでいるんだから仕方ないですね」
 菜々子が徳利を持ち上げた。
 
 その頃、大友はジュネーブのホテル近くのタヴェルナで、パスタ料理を堪能していた。最初のニョッキ・クアトロ・フォルマッジを食べ終え、二皿目のスパゲッティ・ボロネーゼをフォークでくるくると器用に巻き取ると大友は思い付いた。
「ベルン取材をこのまま続けると言って、ロンドン行きを止めるか…」
 ロンドンは飯が不味いのが嫌なのだ。
「でも、部長がOKしてくれるかな…、駄目元で言ってみるか」
 そう決めて、大友は大口を開けパスタを入れ込んだ。
「旨いなあ…」
 
 大友はスイス料理自体を嫌いではなかった。しかし、やや無骨なものが多い。だが、幸いスイスにはフランス語圏、イタリア語圏、ドイツ語圏があり、それらの国の料理はかなり洗練されていた。ただ、イギリスではそうはいかない。星付きのレストランで馬鹿高い料金を支払えば別だが、総じてレベルは低い。イギリス人は旨味の感覚が乏しいのだ…大友はそう信じていた。
 
 コーヒーとデザートのジェラートを待つ間に、大友はベルナールに問い掛けた。
 
「あの学校の出入りを張り込むのは難しいよね?」
「ほとんど不可能ですね」
「どうする?」
「学校関係のSNSをチェックするしかないでしょう。きっとどこかで出て来ますよ。アジア人の女子留学生が。それからですね」
「やっぱりね。それをやってくれる?」
「勿論です」
 ベテランのベルナールは話が早い。任せておけばとことんやってくれる。頼りになるのだ。
 
「でも、そうなるとベルン居残りは無理、ロンドンに行かされる。あーあ」
 大友はそう思ったが、これは口には出さなかった。飯だけが問題なのではない。大友にはドイツ語が通じる町の取材の方がずっと楽なのだった。また心臓の鼓動が大きくなってきたような気がした。
 
 徒歩でホテルに戻る途中、大友は菜々子に電話を入れた。
「はい」
 菜々子の声が聞こえる。
「大友です」
「お疲れ様。ちょっと外に出るわね」
そう言って菜々子は桃子に一礼すると店の外に出た。
「で、どうするの?」
「あの…、出来ればベルン取材を続けたいのですが、如何でしょうか?」
 大友はやはり言うだけ言ってみる。
「もう週末でしょう?学校関係の取材は無理なんじゃないの?大使館だって難しいでしょう?何か当てはあるの?」
「いや、特にありませんが、足で取材してみようかと」
 大友は尤もらしいことを言う。
「そうね…、それは大事だけれど、SNSのチェックはするんでしょ?」
「それはもうベルナールに発注しました」
「じゃあ、あなたは今はやることがないんじゃないの?それよりコンサートの応援に予定通り行ってもらいたいわ」
「行っても何も無い可能性の方が高いのならベルンで歩き回った方が良いかなと思ったもんですから…」
 引っ込みがつかなくなって大友は少し焦りを感じる。
「週末のベルンだって同じでしょ。そもそも学校は張り込みが簡単に出来るようなロケーションなの?」
「いや、それは難しいです」
「では、予定通りロンドンに行きなさい」
「はあ…」
 大友が気のない返事をすると菜々子が強めに畳み掛けた。
「大体、あんたはご飯が不味いから嫌だなんて思っているだけじゃないの?まともに考えたらどうすべきか分かるでしょう?」
図星だった。仕方なく大友は応える。
「分かりました。すぐにロンドンに移動します」
「イギリスのコンサートには昔、正哲が姿を現して、BBCが直撃したことがあるのよ。気を引き締めてね。それに、今後の取材には山瀬も入れるから、しっかり説明して頂戴。分かった?」
「はい」
 
 そう応えて大友は電話を切ると、チクショーと呟きながら両手を前に差し出し、虚空で掌を開閉した。傍らを歩くベルナールが訝し気に見る。
 
 大友は菜々子の豊かな胸を揉みしだく自分を想像したのだ。完全なセクハラだが、何、構いやしない。言わなければ誰にも分からない。
 
「やっぱりロンドンに行けってさ」
 ベルナールがくすりと笑った。彼女も飯が不味いからと大友がロンドン行きを避けたがっているのをお見通しだった。
 
 店に戻ると菜々子は大友との会話の内容を掻い摘んで桃子に説明した。桃子が笑う。
「大友らしいわね。全く…奴の食欲は度し難いわ。さ、そろそろ締めに移りましょう」
「ほんと、そうですね。姐さんは何にします?」
「私は更科にするわ。ここのは真っ白でね。薫り高いの。名物なのよ」
「あ、じゃあ私もそれにします」
 菜々子は手を上げ店員を招いた。
 
 大友はホテルの部屋に戻るとロンドン行きの準備を始めた。WHO調査団の出発取材に一人で向かったアルヌー・カメラマンも間もなく戻るはずだ。その映像を東京に送ったら二人でロンドンに向かうのだ。
 
 ベルナールはパリに戻り、SNSサーチだ。

***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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