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20XX年のゴッチャ その42

  空薬莢
 
「何でそんなものを飾っているんだ?」
 夕刻、長身の白人の男がルークに尋ねウイスキーを啜った。店主のルークのほぼ真後ろの棚に置いてある真鍮製の筒を指して言ったのだ。赤い薔薇が三本差してある。ジェフが珍しく自分から店にやって来たのだ。他の客は居ない。
 
「何か分かるんだね?」
ルークが問い返した。
「空薬莢にしか見えないな。サイズと見た目から察するに礼砲にでも使った奴か?」
「ご名答。良く分かるね。大したもんだ」
「で、何でそんなものを飾っている?確かに花を活けるのに悪くないがね」
「オペレーション・ダーヴィッシュっていうのを聞いたことあるかい?」
「勿論さ。一時期、第二次世界大戦の歴史を勉強したからな」
「今回の北への大規模支援の様子を見て何故思い出してね。引っ張り出して来たのさ」
「確かに共通点がまるで無いということではないが、それにしてもどう関係するんだ?」
 
 話はかなり遡る。
 
 第二次世界大戦の始めの頃、ナチス・ドイツに攻め込まれたソビエトは首都・モスクワが陥落寸前になるなど窮地に追い込まれていた。そのソビエトを救ったのはアメリカとイギリスを中心とする同盟国側による大規模支援であった。
 
 支援ルートは主に三つあったのだが、オペレーション・ダーヴィッシュは北極海経由の海路でソビエトに大量の軍需物資を届けた作戦の第一号の名前である。
 
「1991年の八月の事なんだが、そのオペレーション・ダーヴィッシュの丁度五十周年を記念してイギリス海軍の旗艦・HMSロンドンがほぼ同じ海路でムルマンスクとアルハンゲリスクを訪問するというイベントがあったんだ。当時、ロンドン特派員だった私が同行取材を申し込んだら何故かオーケーになってね。その時の土産がこの空薬莢という訳さ」
「ほー、それは珍しい経験をしたな」
「そうさ、得難い経験さ。空薬莢はアルハンゲリスクの港に着いた時のイギリス側の礼砲の残り物さ。それを一緒にいた士官から頂戴したんだ。こんな物を持っている奴は他に居ないと思うよ」
 
 ムルマンスクはソビエト、今はロシア海軍の北方艦隊の本拠地で、アルハンゲリスク州の州都・セヴェロドビンスクには今もロシアの原子力潜水艦の製造工場がある。東西冷戦の時代は外国人立ち入り禁止の閉鎖都市だった。ましてやイギリス海軍の艦艇が訪問するなど考えられないことだったのだ。
 
「私にとっては束の間の平和の思い出なんだよ」
「そういうことか…」
 ジェフは漸く納得したようだった。
 
 取材時のロシアの指導者はエリツイン大統領で、ロシアと西側の関係は冷戦終了直後の平和ムードに包まれていたのだ。
 
 実際、イギリス海軍の訪問団一行は各地で大歓迎を受け、同行していたルークとカメラマンも同様に特別扱いを受けた。当時のソビエトの最新鋭戦闘機スホイ27のデモンストレーション飛行や海面に浮上したキロ級潜水艦、極めて遠かったが、巨大工場に横付けされていたシエラ級の攻撃型原潜の撮影も出来た。
 
 やはり当時最新鋭のT80戦車には、運転席だけだったが、ルークは乗ることさえ許された。一緒にいたイギリスの軍事専門記者はロシア側の開けっ広げな歓待ぶりに感嘆の声を上げていたものだ。今や昔の話だが、正に束の間の平和の時代だった。
 
「それにしても北への支援は相当な量になりそうだね。昔の対ソビエト支援程ではないだろうけれどさ」
「当然、軍需物資の支援は無いさ。あくまでも人道目的だ。食料やエネルギーは転用可能だがね。まあ、最終的に数百万トン規模に達しても驚かないね。そんなに難しい事じゃないしね」
 
 最二次世界大戦中にソビエトに提供された軍需支援物資は最終的には凄まじい量になった。
 
 記録を見ると航空機一万五千機弱、戦車七千台、トラック三十七万台、爆発物三十五万トン弱、食料およそ四百五十万トン等々…、支援は対日戦が終わるまで四年も続いた。自らも戦争を遂行しながら第三国にこれ程の支援が出来た同盟国側の国力はやはり桁違いだったのだ。
 
 当時とは全く事情が異なるが、今回、北朝鮮への全面支援に踏み切った中国の力も相当なものだ。それを「そんなに難しいことでは無い」と突き詰めれば一政府職員に過ぎない男が言い切るアメリカの今の国力も全く侮れない。
 
「ジェフ、封じ込め失敗のリスクはどの程度と見ているのかな?」
 ルークが本題に入る。
「あまり無いと思うな。ADE株が同時にとんでもない感染力を持っていない限り大丈夫なんじゃないか」
「とんでもない感染力とは?」
「既存株を遥かにしのぐ麻疹並みだったりすると事情は変わる。しかし、如何に新型が脅威とは言え、コロナはコロナさ。そんなことにはならない筈さ」
「しかし、ADE株には罹りたくないだろうう?」
「それは当然さ。しかしだな、どうやらADE株はワクチン接種者なら誰でも彼でも危ないという訳ではないらしいという説があるんだ。ADE株に感染しても十分な中和抗体をまだ保持していればそんなに怖くない、怖いのは中和抗体が中途半端に減った人間だけという説だ。ま、これも確認されたわけではないが、そもそもADEのメカニズム自体、まだ良く分かっていないのだからはっきりしないのは仕方ないな。ただ、どちらにせよ、治療薬は効く。だから麻疹並みの感染力を持たない限りそんなに心配する必要は無いと思って良いんじゃないか」
「成る程ねー、しかし、どのみちブースターが増々重要になって、ワクチン製造会社は更に大儲けできるな。一人勝ちじゃないか…、だが、ということは、封じ込め作戦は意外と早く終わる期待も出来るのかな?」
「良い質問だ。しかし、それは別問題さ」
「と言うと?」
「よく考えてみろ。コロナを駆逐できるのは何だ?」
「ワクチンや治療薬は重症化や死亡を防げるが、コロナそのものを人間社会から消し去ることは出来ないな」
「その通り。だが、武漢株はもう消え去った。アルファ株もデルタ株もオミクロンももう消え去った。何故だ?」
「別の感染力の強い、人体により適合したコロナ株が奴らを駆逐した」
「そうだ。コロナを退治できるのは別のコロナ株だ。我々はもはや共存するしかないんだ」
「しかし、ADE株との共存は無理だな」
「問題はそこだ。幸いに北朝鮮は陸の孤島だ。中国流のゼロ・コロナ作戦を徹底すれば一度消し去ることは出来るだろう。しかし、それだけでは、北朝鮮のどこかでまたぞろ息を吹き返す恐れがある」
「ではどうすれば良いのだ?」
「二段階に分けて対処するのさ。最初は中国流封じ込めで、まず北朝鮮のコロナ感染者をゼロにする。それは可能だ。一~二か月で達成できるだろう。そして、封鎖措置を緩和する。
しかし、二段階目として、その後も検査と監視を続けながら流行が再燃するのを待つ。その再流行した株がADE株ではない、例えば全てが既存株なのを確認して初めてADE株消滅が宣言できるということになる」
「だとすると半年かそれ以上掛かる。しかも、監視と検査の継続を口実に中国は北朝鮮にもっと長く居座ることもできる」
「その通り。だから封じ込め作戦が一段落したとしても、別の問題が生じる恐れがあるんだ」
 
「やれやれ…、ついでに北のWMDも中国が一掃してくれたら良いのだが…」
 
 WMDは大量破壊兵器、Weapons of Mass Destructionの略だ。基本的に核・生物・化学兵器を指す。
 
「そんなことを中国がやると思うか?中国は北の核が、彼らにではなく、我々にとって脅威で頭痛のタネなのを知っているんだぞ。そして、我々は核兵器を保有する人民解放軍と北朝鮮軍の連合軍と三十八度線で対峙する破目になるかもしれない。全く別の大きな問題が発生するんだ」
「その方が軍備交渉やら何やらが北もひっくるめて交渉し易くならないか?」
「そんな訳がない。台湾を巡って我々が衝突寸前になったのを忘れたか?」
 
「…」
 ルークは一瞬言葉に詰まったが、こう言った。
「しかし、何度も言ったと思うが、北朝鮮も本心では中国が嫌いだ。プライドも異様な程高い。北朝鮮は、と言うより朝鮮半島の人間はと言った方が正確だが、彼らが大人しく中国の好きなようにされて黙っている筈はないんじゃないか?」
「そう、まさにそこが大いなる懸念材料なんだ。情勢が一気に動くきっかけになる可能性があるのさ…」
 
 珍しくボルテージの上がったジェフが、ここで大きく深呼吸し、いつもの穏やかな口調に戻り、続けた。
「調子に乗って喋り過ぎた。何か食べる物の用意はあるかい?」
「女房が作ったラムとポテトのローストがある。それにクレソンとトマトのサラダ」
 ルークが言った。
「旨そうだな。頂くよ。だが、サラダは要らない」
「そうだったな。了解。支度するよ」
 ジェフは青物が嫌いなのをルークは思い出した。
 
 店主はオーブンの余熱で温めていたラムを切り分け、ポテトと共に更に並べて出した。中がピンク色に焼けたラム肉の素晴らしい匂いが立ち込めた。
 
「香りも見た感じも最高だ。楽しめそうだな」
 赤身の肉が大好物のジェフが嬉しそうに言った。
「走りのミルク・ラムさ。豪州産だよ。ボナ・ペティ」
 
 北朝鮮で出現した新たな変異株をジェフがADE株と断定して呼んでいたのに店主は気付いていた。ADEの『疑いのある』変異株だとまどろっこしいので略してそう呼んだだけの可能性も否定できないが、やはり、アメリカ政府も北朝鮮で出現したのはADE株と観ていると考えてよさそうだった。
 
 ジェフは食事を終えるとコーヒーを飲みながら暫し雑談して店を後にした。
 
 帰り際にジェフはこう言った。
「一番怖いのは何だか知っているか?兵器化された天然痘ウイルスがばら撒かれることさ。それに比べればADE株なんて大して怖くない。治療薬もあるからな」
 
 確かに天然痘ウイルスは自然界にもはや存在しない。しかし、幾つかの国の軍は防御目的を口実に天然痘ウイルスを隠し持っていると疑われていた。
 
 百万が一にも、そんなものが兵器として使われたら、どんな被害が出るか想像もつかない。致死率は高く、治療薬はあるものの効果は未知数だからだ。ワクチンはあるが、いつ行き渡るか見当もつかないし、兵器化されたウイルスに効くとは限らない。
 
 ルークは、身震いしながら恐怖心を振り払い、気分を変えて、中国がもしも居座る姿勢を見せた時、北朝鮮がどう出るか考えてみた。
 
 いきなり戦闘が始まる可能性はゼロだが、小競り合い位は始まるのか?いや、それも考えにくい。その頃は、丁度、春の食糧難のピークに差し掛かる。食べ物とエネルギーの支援が続く限り、住民は当分文句を言わないだろう。すると金正恩総書記はどんな手を打つのか?対抗するにはWHOに支援の拡大を要請し、彼らに監視と検査を担ってもらうのが手っ取り早い。中国もこれには反対できない。しかし、食料支援は彼らの役割ではない。WHOは中国の居座りのけん制材料にはなるだろうが、ちょっと弱い…。
 
 他にどんな手段があるのか?欧米に直接支援を求めても、核とミサイルの開発を放棄しない限り、応じる国は無い。するとロシアにも頼るか?しかし、彼らはアップアップの上、もっと信用できない。皿の上の毒饅頭が増えるだけだ。
 
「これは見物だな…」
 店主はそう呟くと早くも店仕舞いを始めた。
 
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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