20XX年のゴッチャ その106

 

面会


 
 小雨の中、菜々子とベルナールが目的地の建物に着くと正面玄関前でスーツ姿の壮年男性が待ち構えていた。
 
「支局顧問弁護士のジャック・ルノーさんです」
 
「初めまして、宮澤菜々子です。お目に掛れて嬉しいです」
 
 菜々子が英語でそう挨拶するとルノーは次のように応えながら握手の手を差し出した。
 
「弁護士のジャック・ルノーです。貴方のように素敵な女性にお目に掛れてこちらこそ嬉しいです」
 
 コロナ以降、フランスでもハグやキスを控える人間は、まだ僅かだが、残っていた。菜々子は少し安心してルノーの手を軽く握った。
 
「案件の概要はベルナールさんから既にお聞きしました。私としては法的な観点からしっかり釘を刺したいと思っています」
 
「はい、その線でよろしくお願い致します」
 
 受付で三人が名前を告げると直ぐに迎えが来た。ベルナールは大友が倒れた時にも同席していた若い係官であることに気付いた。
 
 係官はこちらの希望通りと説明しながら菜々子達を大友が倒れた部屋に案内し、直ぐにそこを後にした。
 
 残された三人がエヴィアンのペットボトルが置かれた席に着くとベルナールが当日の位置関係や倒れた様子などを菜々子に日本語で詳しく説明し始めた。
 
 助かったからこそそんな考えにもなってしまうのだが、大友が崩れ落ちる姿を想像すると不謹慎にも笑いがこみあげてくるのを菜々子は必至で抑えた。まるで漫画のようだったからだ。
 
 すると間もなく二人の男性が入ってきた。
 
 菜々子と弁護士は名刺を差し出し、日本流に挨拶する。年嵩の方が今回はあっさりと名刺を出した。
 
 DGSEアジア局のルイ・ラファエル・シモンと記されていた。菜々子が非常に若いのにかなり驚いた様子だった。もっと年嵩の男性が現れると思っていたようだ。それに、大概の欧米人に日本人は実年齢より若そうに見える。若い方の男性は先程の係官だった。
 
「大友さんが無事で良かったです。もう大分お元気になられたと思いますが、如何でしょうか?」
 
 着席するとシモンが英語で切り出した。
 
「お陰様でもう大丈夫だと医師は言っています。そう言えば、すぐ近くにいらっしゃるという応急手当をしてくださったお医者様にも、チャンスがあればお目に掛って御礼を申し上げたいと思っています。その方の処置が彼の命を救ったと聞いております」
 
 菜々子が応えた。
 
「その医師ならすぐ下の階のクリニックに居る筈です。後で呼んでくることは可能です」
 
「それは有難いです。お願いします」
 
 菜々子は本題に入る。
 
「早速ですが、大友が倒れた前後の様子をお聞かせ願います」
 
「では正確を期する為にもフランス語で説明させてください。その方がルノー弁護士にも良いと思います。宮澤さんにはベルナールさんに通訳をお願いします」
 
 そう断るとシモンは説明を始めた。
 
 ベルナールと弁護士、若い係官が一斉にメモを取る。ベルナールはペンを走らせながら日本語で菜々子に説明した。
 
「成る程…確認ですが、大友達の取材に何か法に触れる行為でもあったのですか?」
 
「いえ…それはありません」
 
 会話は再び英語に戻った。
 
「では、何故、ここに連れて来たのですか?」
 
「あの…大友さん達の取材がプライバシーの侵害に当たる恐れがあったものですから、少しお話をしたいと思いまして、任意で、あくまでも任意でこちらに来ることに同意して貰いました」
 
「プライバシーの侵害と言いますと、苦情でもあったのでしょうか?」
 
「いえ、特にありません」
 
 シモンの額に汗が滲み始めた。
 
「違法行為も苦情も無かったとすると皆さんの行為は取材妨害に当たる可能性があると思いますが…」
 
「いや、そんなつもりは全くありませんでした。あくまでも任意でお話を伺っただけです」
 
 菜々子は弁護士を見て出番を促した。ルノー弁護士がフランス語で尋ねる。それをベルナールが日本語に訳した。
 
「任意とおっしゃいますが、まるで取り調べをするように貴方は強圧的になられたと聞いていますが、事実でしょうか?」
 
 シモンの顔が少し青ざめた。
 
「いや、多少感情的になったのは事実ですが、取り調べではありません」
 
「しかし、貴方が大友さんを大声で怒鳴りつけた直後に彼は倒れたのではありませんか?」
 
「そうだったかもしれません。しかし、それはタイミングとして偶然そうなっただけで、応急処置をした医師は、原因は大友さんの太り過ぎで血栓が詰まったからだ言っておりました」
 
 シモンはたじたじだ。必死で弁明をする。
 
「それはそうかもしれません。しかし、私としては、貴方の強圧的な、まるで犯罪者を取り調べで追い込むような物言いがあの事態を誘発した可能性は否定できないと思っています。この点をどうお考えですか?」
 
「いや、そんなつもりは毛頭ありませんでした。大友さんが倒れたのは大変お気の毒ですが、ちょっと興奮して大きな声を上げただけで、あんな事態になることを想像する人間などおりません。私も本当に驚きました。心よりお見舞いします」
 
 シモンは事実上白旗を掲げた。菜々子が引き取って再び英語で尋ねた。口調は少し柔らかい。
 
「大友達の取材と報道を妨げたかった特別な理由でもあったのですか?」
 
「いえ、ありません。ただ、あんなところで何日もカメラを回している理由が知りたかっただけです」
 
 潮時と思ったのだろう。弁護士がまた尋ねる。今度は英語だ。
 
「同様の事はもう起きないと考えて宜しいですかね?」
「はい、そう考えて下さい」
「では、そう約束していただいたと理解します。宮澤さん、それで良いですか?」
「わかりました」
 
 菜々子もここまで釘を刺せたら十分だった。これ以上騒ぎ立てても益は無い。
 
「では、お医者様にお目に掛らせてくださいますか?」
「勿論です」
 
 これ以上の追及が無いことを悟ったシモンが何事も無かったかのような顔に戻り、大仰に若い係官を顎でしゃくって、医師を呼びに行くよう指示した。
 
 エヴィアンを少し口に含むとシモンは菜々子に尋ねた。
 
「ところで、明白な物的証拠のない憶測報道を立派な報道機関である御社がすることはありませんよね?」
 
「何を指しておっしゃっているのかわかりませんが、個別具体的な事象に関する報道方針を事前に外部の方にお話しすることは出来ません。勿論、基本的に根拠のない憶測だけの報道をすることはありません」
 
 菜々子がそう応えるとシモンはかなり安堵したようだった。彼らが菜々子に会いたがったのは、やはりこの点を確認したかったのだ。
 
 しかし、菜々子からしてみれば、患者が御本尊であるとの感触をDGSEの担当者から改めて得たのも同然だった。ただし、傍証に過ぎないのは変わらなかった。放送で言及できるような証拠にはならない。否定されてお終いだからだ。
 
 暫くして医師がやってきた。
 
 菜々子は丁重に礼を言い、医師の的確な判断と腕前を褒め称えた。極めて魅惑的な日本女性である菜々子から褒めそやされた中堅の医師は、半ばお道化ながら、自分のように優秀な医者が直ぐに駆け付けられる場所に居た幸運に大友は感謝しなければならないと言った。
 
 部屋に笑い声が初めて響いた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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