20XX年のゴッチャ その54
チップ・バティー
「やっぱり居なかったね…」
「そうですね」
「さあ、飯に行こうよ。何か旨い物を食わせてよ」
コンサートが終わり、観客の出もチェックし終えた大友と山瀬はウェンブリーから直ちに引き上げる。素早い撤収は取材の要諦の一つだ。ぐずぐず残っていても時間とエネルギーの無駄だ。
機材を片付けたらスタッフも全員解放する。日曜日だからだ。大友にずっと同行しているパリ支局カメラマンのアルヌーはパリに一足先に戻る予定だ。
「フィッシュ・アンド・チップスはどうですか?」
山瀬が提案した。
「え、あれを食べるの?単調過ぎない?」
大友が応えた。
「いや、大丈夫です。ロンドンの中心部ではなくて、ちょっと外れに有名店があるんです。そこら辺の店とは違って、冷凍物は一切使わないし、魚の種類は豊富、サラダやチャウダー、前菜類もしっかりしてますよ。そこならフィッシュ・アンド・チップスのイメージも変わります。気取らない店だし、きっと気に入りますよ。ここからそんなに遠くないですし」
「そう、じゃあ、お任せするよ」
大友も賛同した。
二人は最寄りのウェンブリー・パーク駅で地下鉄のメトロポリタン・ラインに乗る。同じ駅を通るジュビリー・ラインでも行けるがメトロポリタン・ラインなら目的地の最寄り駅までわずか二駅だ。
山瀬はアリーナの出のチェックでも成果が無かった旨、菜々子にメッセージを送り、席も予約した。イギリスに限らずヨーロッパのレストランが混むのは普通夜八時以降だ。日曜日ということもあり、六時の予約はすんなり取れた。
二人はシャーロック・ホームズの小説で有名なベイカー・ストリート駅で降り、そこからはブラック・キャブに乗る。歩いて行けない距離ではなかったが、クリケットの聖地、ローズ・クリケット・グラウンドの裏手の住宅街にポツンと立つ店はやや遠いからだ。
通りに面した店の正面入り口は持ち帰り専門だ。今ではテイク・アウトと言っても通じるが、イギリスでは持ち帰りはテイク・アウェイだ。
同様に、ジャガイモのフライはチップスと言い、上等な店は蒸かした皮付きのジャガイモを大きくカットして二度揚げする。計三回火を入れるのでトリプル・クックド・チップスと称する。手間と時間は掛かるが、ファースト・フード店のポテトとは似て非なる味わいになる。因みに日本で言うところのポテト・チップスはクリスプスと言わなければイギリスでは通じない。
横にあるレストランの入り口を入り、席に着くと大友はメニューを吟味する。
魚は定番の真鱈の他、ドーバー・ソールや平目・鰈類、エイ、サーモンもある。それも揚げるだけではない。スチームしたものもある。まだ時期という事もあり、生牡蠣も置いていた。
「へー、随分、色々あるんだね。山瀬は何をお薦めする?」
「私はレモン・ソールという奴とエイが好きですね。ここの魚は新鮮で旨いですよ」
「エイってエイヒレみたいな感じ?」
「いえ、全然違います。でも軟骨は全部食べられます。なかなか乙なもんです」
「じゃあ、その両方にする」
「え、結構デカいっすよ。大丈夫ですか?イモも付いてきますし」
「イモは片方だけでいいかな」
「あ、じゃあこうしましょう。レモン・ソールはそれぞれ一皿ずつ。エイを追加で頼んで二人で分ける。付け合わせのイモは止めて、代わりにサラダを頼むってのは?」
「イモは無し?それだとフッシュ・アンド・チップスにならないじゃん」
「それはこれでどうですか?」
山瀬はメニューの片隅に書かれた品を指差す。悪戯を仕掛ける眼だ。
「チップ・バティー?何それ?」
「まあまあ、それは見てのお楽しみ。決まりですね」
山瀬は店員を呼びオーダーした。山瀬は生牡蠣も食べたかったのだが、遠慮した。大友が得意ではなかったからだ。
二人ともラガー・ビールを飲み、お姫様取材のあらましを大友が山瀬に説明しながら待っているとサラダが来た。無骨だが、日本の感覚で言うと三人前はある。
暫くして、かなり大きな皿に溢れんばかりのチップスが来た。しかし、テーブルに置かれた皿を見ると真ん中にトーストが二枚あり、チップスを挟んでいる。どう見てもフライド・ポテト・サンドイッチだ。
「わおー、凄いね」
「これがチップ・バティーです。パンにバターを塗ってチップスを挟んだものです」
「どれどれ…」
大友は半分に切られたポテト・フライ・サンドを早速手に取り、しげしげと眺めると齧り付いた。もぐもぐと咀嚼する。トリプル・クックド・チップスとバターの旨味、塩の味が口中に拡がる。ブラウンソースやケチャップ、酢はお好みだ。
「脂と塩と炭水化物の究極の組み合わせだ。身体に悪いねー、でも、これ嫌いじゃないよ」
大友は目を輝かせ、さらに齧り付く。考えてみれば、味はかなり違うが、日本にもポテト・サラダのサンドイッチがあるな…大友はチップ・バティーの驚きの味を堪能しながらそう思った。
続いてやって来たレモン・ソールもエイのフライも悪くない。ジューシーだ。パリパリに揚がったレモン・ソールの縁側とコリコリとしたエイの軟骨を大友は特に気に入った。
「イギリス飯も悪くないじゃないの」
大友はそう言って感嘆した。
「この店、日本人は大概喜びますよ」
山瀬も軟骨を嚙み砕きながら応えた。
「何も知らないで、そこら辺の店に適当に入ると酷い目に遭うのは普通ですが、知ってさえいれば美味い店は結構あります。もっとも、こんなに沢山食べる日本人は我々だけでしょうがね」
そう、普通の日本人はフッシュ・アンド・チップス一皿でさえ持て余すのだ。
すると大友のスマホが鳴った。ベルナールからだ。写真が四枚添付されている。
「今日の収穫はこの四枚です。月曜日に作業を続けます」
厳密に言うとフランスの労働法規に抵触するのだが、仕事好きのベルナールは日曜日の今日もリサーチをしてくれたのだ。
「ありがとう。助かるよ。日曜日にわざわざご苦労様。重ねて、ありがとう」
大友はこう返信した。
大友はレモン・ソールの最後の一切れを口に入れ、写真をチェックする。
レモン・ソールは尾頭付きで、尾鰭もしっかり立ち上がるように揚げてある。中骨まで食べられるように揚げていないのが大友には少し残念だったが、三枚におろしていない平目の仲間の丸ごとのフライにそれを求めるのは無理と言うものだ。
四枚のグループ写真には計四人のアジア系女子学生が写っていた。うち二人はベルンのレストランで出会った中国系の女子学生だった。しかし、残り二人の女子学生の素性はこれだけでは分からない。大友は写真を向かいの山瀬に見せ、説明する。
すると山瀬が「あれ」と小さく声を上げた。
「知り合いでもいる訳?」
大友が茶化し気味に尋ねる。
「いや、でも、この子はどこかで見たことがあるような…」
と、一人の女の子の写真を大友に指し示した後、山瀬も最後の一切れを口に放り込む。
「うーーむ」
山瀬は記憶の糸を手繰り始めた。
その様子を今度は黙って見ていた大友は皿を下げに来たウェイターにコーヒーを二つ注した。デザートは頼まない。炭水化物はもうたっぷり摂取した。
山瀬が鞄からタブレットを取り出し、何かをチェックし始める。指先の動きから大友には画像を探しているように見える。
「これだ!」
山瀬が再び小さく、しかし鋭く声を上げた。タブレットを大友に渡す。
「多分同じ子です」
山瀬がそう言った。夜の画像が拡大されている為少しぼやけていたが、確かに同一人物の可能性は極めて高い。
「これバタクラン?」
大友が尋ねた。
「そうです。初日に見つけたアジア系の女の子です」
「また当たりだ!」
大友はそう確信した。
他人の空似の可能性はゼロではない。しかし、状況を考えればそんな偶然は考えにくい。彼女を見つけたのは偶然だが、間違いなく彼女がお姫様だ。
「パリに戻らなきゃ…、君も一緒に」
大友が言った。
「ちょっと待って下さい。もう日曜日の夜です。慌てても意味はないですよ。パリへの移動は明日で良いと思います」
浮足立った大友を山瀬は諫める。
「確かにそうだな。そうしよう…」
大友は同意する。
「部長には僕からそう報告するね」
「お願いします。私はソウル支局に連絡します。こうなると女の子と一緒の男は北の外交官の可能性が高いです。ソウルでなら確認できるかもしれません」
ソウル特派員経験のある山瀬が言った。
「それはちょっと待って。まず部長の判断を仰ごう。この件をソウルに話しても良いと言われていないから」
「そうですか…確かに傍受も危ないし…。では、その件も部長に訊いてください」
「了解。ホテルに戻ったらメールするよ。どうせ今はもう寝ているはずだから。それと、取り敢えず、その映像のコピーが欲しいな」
「明日、USBで渡します」
「よろしく」
「部長の指示があれば東京にも送ります」
「そうだね。それも確認しておくよ」
コーヒーが来た。ちょっと生温い。
「それにしてもラッキーが重なるもんだな。どうしたんだろうね。このまま幸運が続くかな…?」
大友が期待を込めて問う。
「まだまだです。ようやくスタート地点に立ったばかりですよ。この子が誰でパリの何処で何をしていたか、まだ皆目見当がつかないんですから。コンサートに行っただけで帰国した可能性だってある訳でしょう?」
山瀬が再び戒める。
「あーその通りだ。先は長いね…」
大友はコーヒーを飲み干し、天を仰いだ。
この二人の新発見に先立ち、朝鮮中央放送やCCTVは日曜の夜の定時ニュースで、WHO調査団本隊の平壌到着を淡々と報じていた。週末という事もあり、ADE封じ込め作戦は少しペースダウンしたようでもあった。
特異な報道は無い。これは作戦が引き続き順調の証でもあった。
注;写真はチップ・バティーである
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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