オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その113
副長官来訪
「よお、こうやって差しで会うのは随分久しぶりだな。どういう風の吹き回しだい?」
この日、夜7時前、来訪した官房副長官の神山俊介にルークが尋ねた。
「18年振りだな…差しで会うのはな」
互いの口振りに遠慮は全く無い。遡れば、中学受験前の進学塾で机を並べて以来、60年以上の俺とお前の仲だからだ。
「相変わらず記憶力は抜群だな。安心したぜ。取り敢えずビールで良いか?」
ルークはとうに黴の生えた言葉を使って尋ねた。
「おう」
霞が関の官僚のトップである官房副長官の職務は多忙を極める。毎日の新聞でさえ自分で読む時間は無いと神山はボヤく程だ。部下の担当者が用意した毎朝・夕の切り抜きにざっと目を通すのが精一杯で、それさえも満足に出来ない日も珍しくなかった。
店の外には黒塗りの無線付き特別車とSPが待機している筈だった。
「飯は?」
「いや、そんなに長くは居られない」
「じゃあ、こんな感じで…」
ルークは冷蔵庫から小鉢に入った筍の梅肉和えと切干煮を生ビールと共に出した。
「甲斐よ、総理が宜しく伝えてくれと…知り合いだったんだな、聞いてなかったぜ」
ビールを飲み、筍を摘まんだ神山が言った。
「ほう…そうか…」
この日の神山の来訪と案件は馬淵典夫総理も承知の上なのだとルークは察し、続けた。
「彼と最後に会ったのはそれこそ17、8年前だったかな…俺が定年を迎える前さ。それまで、時々、他の奴も交えてだが、飲んでいた時期があってな。落選した直後や復活当選した時もさ。ずっと野党の時だけどな。昇り詰めて何より、俺も陰ながら喜んでいると機会があったら伝えてくれ」
「おう、分かった。伝えるよ」
神山は微笑んだ。「お前も結構やるじゃねえか」と言っているようだった。
神山はビールをもう一口飲んで言った。
「時間も無いから、本題に入るが…甲斐よ、最近の北朝鮮の動きをどう見ている?」
「何て言ったら良いんだ…対米関係の改善と自分達の安全の保障を勝ち取りたいというのはずっと変わらない目標なんだと思うが、それにしても今回の一方的な譲歩は解せないな…今までの行動パターンからするとまるで別人というか別の国みたいに見えるな。アメリカからはまだ何も引き出していないのにな…」
「傍目にはやっぱりそう見えるか…だが、甲斐よ、冷静に考えてみろ。ADE株の出現で、主体は中国だが、世界は手を差し伸べたんだぜ。それも無条件でな。特に効果を上げている治療薬は大半が西側、アメリカ製なんだ。彼らが恩義を感じるのは普通なんじゃないか?」
「それはそうかも知れん。しかし、ある意味、世界は自分達を守る為にも当然のことをやったまでじゃないのか?」
「それはそうだ。だが、放置していたらどうなった?」
「ADE株パンデミックが来て、とんでもないことになっていたんじゃないのか?」
「確かに、その危険はあった。しかし、西側には、もう検査キットと治療薬がふんだんにあるんだぞ。人的被害が出て、経済的にも政治的にも大混乱しただろうというのは間違いないが、人類存亡の危機に瀕する程じゃない。あの頃、武漢株が席捲した程酷いことにはならなかったかも知れんぞ」
「だが、放置は出来なかったろ?」
「それはそうだ。だがな、ADE株が蔓延していたら真っ先に存亡の危機に瀕したのは何処の国になった筈だ?世界はそれも救ったんだぞ」
「うーん、そういう事か…つまり、今回の核に関する北の譲歩は一方的で無条件では無く阿吽の呼吸めいたものがあったということか…」
神山は軽く頷き、ビールと切干を順次口に入れた。
「しかしだな…彼らの行動・思考パターンからすると、それはそれ、これはこれと開き直っても全然不思議じゃない。いや、むしろ、そうする方が自然だったんじゃないのか…?」
そう言ってルークは茶を飲む。そして、何か閃いたように尋ねた。
「神山、彼らがそうしなかった理由が更に他にもあるのか?どうなんだ?」
神山は一呼吸おいて話し始める。その表情は真剣そのものだ。
「甲斐よ、ここからは、あくまでも仮の話だ。良いか?」
ルークは頷いた。
「仮にだ…彼らが水面下で、彼らにとって非常に重要な行動をしようとしていたとする。それを例えば中国は知っていながら黙認し、半ば助けた、他の国も程度の差こそあれ、結果的に、黙認したり、しっかり助けたりした。そして、ADE株対策とその水面下の行動の一応の成功を受けて、北朝鮮は局面の打開に一気に動いた…西側関係国もそれを承知している。もしも、そうだったとしたら、どうだ?」
「成程ねー、それも阿吽の呼吸って事か…、何となく腑に落ちたよ。で、北は本気で変わろうとしているとみているのか?」
「あくまでも仮定の話さ。だが、その可能性はある」
「うーん…」
ルークは首を捻り、再び茶を啜った。今まで何度裏切られてきたか誰も忘れる筈はないのだ。神山が続けた。
「当然、話を前に転がしてみる価値はあるだろ、甲斐?」
「それはそうかも知れん。試してみる価値はあるか…ダメ元でな…」
神山が軽く頷き、更に話を進めた。
「だが、ここで問題が一つ生じているんだ」
「何だ?」
「この仮定の話は、関係国のごく一握りの人間しか知らない。なのに何故か某メディア一社だけが尻尾を掴み、すっぱ抜くかもしれないということさ」
「それがどう問題になるんだ?」
ルークは答えを知りながらも尋ねた。
「もう分かっているだろ?最高尊厳を冒涜する偽報道だと言って北は間違いなく態度を硬化させる。今の良い流れが全部壊れる可能性だってある」
「しかし、無視するか否定すれば痛くも痒くもないんじゃないのか?そういう国だろう?」
ルークは暫し考え一度押し返してみる。
「もしも報道されたらそうするしかなくなるだろうな…。だが、そんな話が日本から出たら拉致問題は相手にされなくなるぞ。それでも良いのか?」
神山は日本政府もメトロポリタン放送に今は助け舟を出すつもりが無いことを示唆していた。
「それはそうだ…それでも構わないという鉄面皮は居ないだろうな…。だが、俺はもう引退した人間だ。決定権は無い」
「それは分かっている。しかし、甲斐よ、お前に頼むのが一番早いということも俺は知っている」
「そうか…」
ルークは再び暫し考え、提案した。
「引き合わせたことは無いが、今の国際取材部長ともう一人、身内の半島専門家が、偶然だが、すぐに此処に来る頃だ。時間があるなら紹介する。他の客は入れない。少し、直接話していくか?一番手っ取り早いぞ」
神山は時計を見て、少し思案してから言った。
「分かった。もうぼちぼち出なければならないんだが、ちょい部長さんにお時間を頂くとしようか…」
意外な反応だった。神山は全く見知らぬ記者と会うのを出来るだけ避けようとするタイプだったからだ。それだけ真剣なのだろうとルークは察した。
「ところで、神山、いつになったら楽隠居するつもりだ。歴代最長になってずいぶん経つだろう?」
「孫ともっと遊びたいんだがな、中々…」
「元気に遊べる年数はもうそんなに残っちゃ居ないぜ。切りの良いところでさっさとお暇を頂戴したらどうだ…」
「そうだよな…」
すると店のベルが鳴り、菜々子が入ってきた。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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