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20XX年のゴッチャ その60

  苦情電話
 
「丹東市郊外の寒村で新型コロナウイルスの感染クラスターが発生し、丹東市や近隣地域が全面封鎖されたと今日午後、新華社が報じました。
 既に関係者は全員隔離され、治療を受けていて、更なる感染拡大は起きていないということです。丹東から戸山特派員がお伝えします」
 
 その日の夕方、メトロポリタン放送はこのニュースをトップで伝えた。
 
 クラスターを発生させたコロナウイルスが既存株なのかADE株なのかは調査中とだけ報じられたので緊急特番にまでは至らなかったが、各国の報道機関もこの発表に敏感に反応し、一斉に伝えた。
 
「新華社や地元中国当局の発表によりますと、クラスターが発生したのは丹東市中心部から車で一時間程離れた寒村で、陽性者は全部で六人、全員、同じ家族ということです。
 このうち、高齢の一人の症状がやや重く集中治療室で治療を受けていて、他の五人はこれまでのところほぼ無症状ながら既に隔離され、治療薬の投与を受けています。また、陽性者と接触のあった者も全員隔離されているということです。陽性者のウイルスがADE株なのか既存株なのかは調査中と発表されています。
 これを受け、中国当局は、丹東市全域と近隣地域を完全封鎖し、全員検査を開始しました。これまでのところ、同じ村や近隣で他に陽性者は見つかっておらず、感染の拡大は今のところ無いということです」
 戸山が丹東のホテルからレポートを始めた。
 
「戸山さん、ADE株かどうかは調査中ということですが、それが一番気になるところだと思います。その可能性はそちらではどう見られているのでしょうか?」
 キャスターが尋ねた。
 
「仮に今回のクラスターが封じ込め作戦に関わる要員の間や国境のすぐ近くの住民の間で発生したというならば北朝鮮からADE株が漏れ出した恐れが当然高くなると思います。しかし、今回のクラスター発生場所は国境から結構離れていますし、封じ込め作戦に関わる要員が本来立ち入るような場所でもないと言われています。
 勿論、予断は出来ませんが、地元メディアに登場した専門家は、既存株の可能性も十分考えられるので、調査結果を待つしかないと言っています」
 
「それにしては、直ちに全面封鎖・全員検査という緊急措置は大袈裟という気もしますが、如何ですか?」
 
「中国政府は、ケース・バイ・ケースですが、今もミニ・ゼロ・コロナ政策とも言うべき封じ込め策を講じることがあります。クラスターの発生があれば、何処で起きたのであれ、同様の措置が取られても不思議ではありません。
 ただ、少し気になりますのは国境の往来です。今朝、中国側から北朝鮮に向かうトラックの数は、少し減ったようにも思えますが、物資の運び込みは継続していました。しかし、逆に、午後、北朝鮮から中国に戻る車両が通行する時間帯に入って動きがほとんど見られなくなったのです。これに関連して、何も発表などはありませんし、封じ込め作戦自体が休止したといった情報はありません。
 ですので、こちらも念の為の警戒措置として、北朝鮮から中国側への戻りの人と車両の流れだけを調査結果が出るまで一時的に止めたということなのかもしれません。
 いずれにせよ、暫くは状況を注視するしかないと思われます」
 
「戸山さんも検査を受けることになりますか?」
 
「まだ、正式な連絡はありませんが、私も当然、検査の対象になると思われます。
 また、丹東のある遼寧省から他の地域への移動に関しましては、元々、二週間の隔離が必要でしたが、今回の事態が落ち着くまでは。この移動も認められなくなったと理解しています」
「有難うございました。気を付けて取材を続けてください」
 
 放送を終えて、より一層、身動きが取れなくなったこととそれが何日経てば終わるのか見当もつかなくなったことに戸山はげんなりしていた。
 
 レポートを見ていた菜々子も心配になり、戸山に直ちに電話を入れた。戸山は放送中こそ気丈に振舞っていたが、不安でない訳が無い。
 
「お疲れ様―、良いレポートだったわよ」
 菜々子が言った。
「有難うございます」
「缶詰取材はキツイと思うけれど、頑張っているわね」
 菜々子が気遣った。
「少しは運動めいたことは出来るの?」
「いやぁー外出できませんし、ジムがある訳ではないので…せいぜい食堂への上り下りに階段を使うぐらいです。でも、食堂も閉まる可能性があるので、ちょっと暫くはそれも出来なくなる可能性がありますね」
「困ったものね…スタッフ達は大丈夫?」
「ストレスは溜まっていますね。でも、不運を嘆いてもどうしようもありません」
「そうね。ほんとご苦労様。あなた達がそこで取材をしてくれているので本社は大変助かっているわ。皆にも伝えてね」
「有難うございます。でも、この先、どうなるんでしょう?」
「うーん、状況次第よね。今は戻ることも出来ないし、大変だけれど仕事を続けるしかないわね」
「それは分かっているんですが…」
 
 菜々子は思い付きを口にした。
「ねえ、地上波の仕事も結構あるだろうけれど、丹東の缶詰生活を日記風に書いてオンラインに出稿してみるのはどうかしら?写真と文章で、スタッフの様子も含めて。勿論、地上波が優先としても、余裕がある時にどう?毎日でなくても良いから」
「あ、そうですね。このままだとじっとしている時間の方が遥かに長いでしょうから、気晴らしになるでしょう。考えてみます」
「強制するつもりはないけれど、時々でも良いから、何かした方が精神衛生にも良いと思うわよ」
「わかりました」
 
「ソウルのご家族は変わりないの?」
「ええ、何とかやっています。ただ、当分、私が戻れないので実家に一時里帰りさせようかとも思っているんです。子供も小さいので」
「それも良いかもしれないわね。里帰りの航空費は国際取材部で持っても良いわよ。緊急避難と言う名目でなら通るでしょうから」
「あ、それは助かります。よろしくお願いします」
「遠慮なくね。お疲れ様。頑張ってね」
「はい、お疲れ様です。有難うございます」
 
 これで、戸山の気持ちも少しは楽になるだろうと菜々子は期待した。
 
 現状では代わりのチームを出すことも出来ないし、戸山班を退避させることも出来ない。誰かが丹東で取材を続けなければ国際取材部の役目が果たせない以上、彼に踏ん張ってもらうしかない。
 
 戸山がそれ程強い性格の持ち主ではないのが菜々子には少し気掛かりだったが、希望して特派員になった以上、貧乏くじを我慢して貰うしかなかった。
 
 暫くして、国際取材部のエリアに隣接するニュース制作部の内線電話が鳴った。通常であれば、兵隊と呼ばれる若い記者達が取るのだが、あいにくまだ夕方ニュースの放送中だった為、皆、出払っている。
 
 それ故、ニュース制作部長の雨宮富士子が電話を取ると、交換手が雨宮にこう伝えた。
「視聴者の方からお問い合わせです」
 
 テレビ局に視聴者からの電話はひっきりなしに入る。通常は視聴者センターという専門部署が応対するのだが、その内容次第で担当部局に転送される。そして、それが報道局に転送される場合は、ニュース制作部がまず受けるのがルールだった。
 
「はい、報道局です」
 雨宮が応える。
「もしもし」
「はい」
「あの、ちょっとお尋ねしたいのですが、先程、ニュースに出ていた戸山なんですが、大丈夫なのでしょうか?」
 声と話しぶりから年配の女性と思われた。
「はい、あの、放送にも出ております様に元気に仕事をしております」
 問い合わせてきた視聴者が戸山を呼び捨てにしたことに雨宮は気付いた。戸山と関係のある人物からの電話の可能性がある。雨宮は慎重に言葉を選んだ。
「それは見ていたら分かります。私が気にしているのは先の事です。戸山は大丈夫なんでしょうか?」
「現時点では特に問題が生じているとは聞いておりません。大丈夫だと思いますが…」
「それを保証してくれるのですか?一体、いつになったら戻してもらえるんですか?私はそれをお尋ねしたいのです」
 女性の語気が強くなる。
「あの…、何処であろうと誰であろうと取材スタッフの安全確保が第一なのは当然でございますので、その点は御理解頂けると思いますが…」
「私はそんなことを聞きたいんじゃありません。一体、いつになったら彼を戻すんですか?ADE株に罹ったらどうしてくれるんですか?」
 女性が激高し始めた。
「あの、御心配なのは分かりますが、現時点ではADE株の感染が広まって、彼に近づいているとは考えておりませんし、いつ戻すのかに関しましては、本人が上司と相談するのが第一と存じますので、ここでお応えすることは出来かねます。御理解ください」
「私は戸山の叔母に当たります。あなたでは話になりません。戸山の上司と代わって下さい」
「あの、申し訳ありませんが、戸山特派員の叔母様とおっしゃられても私共には確認のしようがございませんし、疑う訳では全くございませんが、たとえそうだとされましても外部の方に取材方針に関わるお話をすることは出来ません。先程も申し上げました通り、本人が上司と話すべきことと存じます。ご了承ください」
 雨宮は丁寧に、しかし、きっぱり撥ねつけた。
「私が偽者だとでも言うのですか?責任は取ってもらいますからね!」
 女性は捨て台詞を吐くと電話を叩き切った。
 
「やれやれ…」
 ニュースに関する問い合わせや苦情は珍しいことでは無いのだが、スタッフの縁者からこのような電話が来ることはなかった。普通は本人の評判を悪化させるのを気にするからだ。
「心配なのは分からないでもないけれど…」
 雨宮は自分がこのようなとばっちりを受けたことに不愉快を禁じえなかった。
 
 雨宮は電話のあらましをメールにして、菜々子と加藤報道局長に送った。
 
活動停止
 
 この日夜、WHO付きの運転担当・黄正民が丹東市の寒村のクラスターを発生させた犯人であることが判明した。黄が感染者六人の家族の遠い親戚に当たり、娘と恋仲にあったからだ。横流しした物品という動かぬ証拠が見つかっていたこともあり、憲兵隊の尋問に黄はすぐに白状した。
 
 黄の行動は直ちに洗い出された。
 
 あちこちに置かれた監視カメラで、補給所から国境に向かう途中に黄のトラックが高速道を離れ寒村の方向に向かう様子や寒村近くを通る様子も確認された。一度目を付けられたら中国の監視カメラ網から逃れる術は無い。
 
 黄が立ち寄った補給所と食堂のスタッフら居合わせた要員全員が直ちに隔離対象になった。
 
 WHO派遣隊のメンバーと現地の支援要員は拠点の養鶏場跡地に留まったままでいることこそ認められたが、互いの接触や外出を完全に控え、中国軍の防疫部隊の指示に従うよう求められた。
 
 WHO調査団は事実上活動停止に追い込まれた。
 
「中国政府の説明によると、調査団付きの運転手の一人が丹東で発生したクラスターの濃厚接触者に該当するということだ。
 彼は既に別の場所で隔離されていて、現時点で症状は無く陽性でもないという。また、幸いに、調査団関係者に陽性者は今のところおらず、彼の濃厚接触者と認定される者もいない。あくまでも念の為の措置と理解している。
 この後、問題が発生しなければ早ければ五日程度、長くても十日でこの措置は解除されるものと期待している。任務が遂行できないのは極めて残念だが、暫く我慢して欲しい」
 
 二時間後、既に現地は深夜になっていたが、調査団長のラティーフ・アッフマン博士がインターネット経由で団員達に説明した。
 
「クラスターを発生させたウイルスがADE株である可能性は現時点ではまだ否定されていないという理解でよろしいですか?」
 副団長を兼ねるコールター博士が尋ねた。
 
「その通りだ。我々は予防服用もしているので、大きな問題が生じる恐れは低いと思うが、クラスターを発生させたのがどちらの株にせよ、我々がそれをこの国で拡げてしまうようなことは絶対に避けなければならない。なので、当面活動停止は止むを得ないと考えている」
「そろそろ解析結果が出ていても不思議ではないですね。仮にADE株だったとすると、その運転担当が中国に持ち込んだ可能性が大になります。我々も気を引き締めないとなりません」
 コールター博士が再び発言した。
 
「それはその通りだ。しかし、次の連絡を待つしか今のところ術はない。諸君、これが既存株かADE株かは我々の任務の成否にも影響する。念の為、各位には自分の行動を反芻し、何か問題が無かったか再確認してもらいたい。特に当該運転手と少しでも接触のあったものはしっかり再確認して欲しい。疑念があればすぐに申し出て欲しい」
「分かりました」
 コールター博士が応じ、他の団員達も一斉に頷く。
 
「本部は何と言っていますか?」
 調査団の広報担当の団員が尋ねた。
「隔離はやむを得ないという点で一致している。現時点ではADE株と断定された訳ではないが、仮にそうだったとしても、我々の団員の不注意な行動が原因で拡がった可能性はほとんどない。今のところ、中国政府から配置された運転担当が原因という事になる。
 我々のメンバーが直接の原因ではないという点は極めて重要だ。我々の存在意義にも関わるからだ。この推論を覆すような行動が思い当たる場合は直ちに申し出て欲しい」
 
 再び全員が緊張の面持ちで頷いた。
 
 万が一、ADE株の北朝鮮国外への拡大にWHOのメンバーも、知らなかったとはいえ、関わっていたとなれば、調査団のみならずWHO全体の評判が地に墜ちる。場合によっては組織の存続にさえ影響するかもしれない。最悪の事態が頭を過り、誰もが身震いした。
 
 その頃、憲兵隊による長時間に亘る執拗な尋問に、平壌総合病院の駐車場で清掃担当と思われる男に煙草をせがまれ渡したことや、その時、男にくしゃみを掛けられたことなどを黄は白状していた。調べると、平壌総合病院の清掃担当の男一人が発症し、既に隔離されていることも分かった。
 
 この内容は直ちに中南海に報告された。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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