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20XX年のゴッチャ その62

 感染経路
 
「感染が拡がった原因は此奴でほぼ間違いないと思われます。北朝鮮からあんなに離れた場所に、他の人間と接触らしい接触の無い連中にADE株が飛び火した理由はそれ以外考えられないと存じます」
 
 木曜日の朝、中南海の習近平主席の執務室で、劉正副主席が防疫・公衆衛生問題を統括する国家衛生健康委員会担当国務委員・趙龍雲と共に報告した。
 
 習近平主席は黙って頷く。
 
「しかしながら、不思議なことに、此奴は全く陰性なのです。抗原検査とPCR検査を何度やっても陰性でございます。感染していたらウイルスの欠片位は検出されてもおかしくないのですが、全く引っ掛かからないのでございます」
 劉正が続けた。
 
「どういうことだ?」
 習主席が尋ねると趙が応えた。
 
「考えられますのは、頭髪や顔の皮膚に付着したウイルスが、濃厚接触によって、あの一家の娘に移った可能性が高いのではないかということです。実際に奴と接触したのは娘だけでして、性交したことは白状しております。その際に、多分、奴の髪の毛か顔の表面に付着していたウイルスを娘が吸い込んだのだと思われます」
 
「もう少し詳しく説明してくれ」
 
「平壌総合病院で奴がしわぶきを掛けられてから娘と密会するまでに二日余り経っておりましたが、任務中の武警の男がその間、入浴もしていないのは珍しい事ではありません。顔さえまともに洗っていなかったかもしれません。ですので、例えば髪の毛に付着したウイルスが生き残っていて、それが移った可能性は十分あり得るかと存じます。
 頭髪経由の感染拡大としては過去に留意すべき事例がございます。
 かつて、カナダのトロントの病院でSARSウイルスが看護師の間で広まったことがございますが、これは、感染者の診療に当たった看護師の頭髪に付着したウイルスが控室で拡がったものと見られています。以来、髪の毛も防護するのはほぼ常識になっております。
 しかし、此奴らがそんなことまで知る由もなく、そうやって感染が拡がったものと考えられます。と申しますより、他に考えにくいということでございます」
 
「それで娘に感染するという事は、当然、奴も感染するはずではないのか?」
 
「ご賢察の通りでございます。しかし、奴は治療薬の予防服用をずっと続けておりました。今も投与されていますが、そのお陰で、奴が吸い込み、鼻の奥や喉に付着したであろうウイルスは奴の体内で増殖出来なかったと考えられます。こう考えますと理には適います」
 
「つまり、予防服用は効果があったということか?」
 
「それをヒトに対する実験などで実証したケースはまだございませんが、そのように推論出来るかと存じます」
 
「では、丹東のクラスターが更に拡大する恐れは低いということになるのだな?」
 
「左様でございます。実際、既に重症化している老婆はともかくとしまして、他の陽性者は急速に回復に向かっております。遠からず、ウイルスは検出されなくなると期待されております。
また、一家と接触した人間や奴と接触があった人間も治療薬の予防服用を続けておりますので、仮に万が一、ウイルスを吸い込んでいたとしても、もう死滅している可能性が高いと思われます。
そもそも、奴の髪の毛からウイルスが移るような濃密な接触をしたのは娘一人でございますし、一家と濃厚接触した人間は他におりません。このまま暫く様子をしっかり観察する必要はございますが、順調に推移すれば、遠からず、遅くとも二週間以内には、丹東の感染は終息したと宣言できるようになると期待できる状況でございます」
 
 習主席が頷いた。二人は顔にこそ出さなかったが、内心安堵した。
 
 劉正副主席が再び口を開いた。
 
「奴の処分でございますが、終息を待って、重大な規律違反と窃盗の罪で軍法会議に掛け、厳正に処分致します。また、娘も盗品を隠蔽した罪に問うことになります。更に、奴の上司共も監督不行き届きで職務停止とする所存です」
 
 主席が再び頷いた。
 
 これが日本であったならば、黄は窃盗の罪で書類送検され懲戒免職される程度、何も知らなかった娘は罪に問われる可能性は低いのだが、中国ではそうはいかなかった。
 
 劉正が続けた。
 
「丹東のクラスターの詳細の発表ですが、これは再びWHOに委ねるのが良いかと存じますが、如何でございましょうか?何といっても、奴はWHO支援の任務中に感染を広げた訳でございますし、WHO調査団の一時活動停止の発表も必要と考えられるところでございますので」
 
「それで宜しい。支援物資の搬入も奴が関わったルート以外は再開しても大丈夫そうだな?すぐにとは言わんが、しっかりと点検の上、数日中に」
 
「承知致しました」
 劉正が応じた。
 
「しかし、ゆめゆめ油断せぬように。これが拡大したり、似たような事例が起きぬよう、厳に監督して欲しい」
 
 主席が冷徹な表情で付け加えた。
 
「畏まりました」
 
 二人同時に応じた。いずれも自分達の将来が封じ込め作戦の成否に掛かっていることを改めて肝に銘じた。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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