オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ 128 完結編-後
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「いやー物凄い反響です。天手古舞です。あっはっは」
矢吹のいつもに増して大きな高笑いがオーフ・ザ・レコードに響き渡った。翌火曜日の夜、矢吹が報告に来たのだ。
「上手く行って何よりだ。素晴らしい」
ルークも満面の笑みだ。
「あれから本社を始め各支局に問い合わせが殺到しましてね。どうやってあんな情報を掴んだのか、裏話を聞かせてくれとか、担当者にインタビューさせろとか、応対しきれない程で。今のところ、全部断っていますけれどね。あっはっは」
当たり前だが、実に上機嫌だ。
「俺のところにも元情報官殿が昨日遅くにやって来てね。多少事情は知っているんだが、驚いていたよ。凄まじい取材だってね」
元情報官の袴田剛が、放送を受けて、店に顔を出したのだ。
「彼が言うには、特に外務省関係は大騒ぎになっているんだとさ。場合によっては核の完全廃棄は後になるかもしれないとか、拉致問題の解決に向けて、これから正念場だとかいう解説には相当困ったみたいだよ」
「当たり前だと思いますけれどね。何か苦情でも?」
「いや、それは無かったよ。ただ、その当たり前のことで、外交当局の責任は重大だと言われたに等しいから、焦ったんじゃないかな…、元情報官殿もそんなことを匂わせていたよ」
「成程、そうですかー、アハハ!」
「総理周辺、副長官殿も随分遅くまで残って対応に追われていたようだよ。ま、差し当たって今日の官房長官会見でどう発言するか擦り合わせも必要だったんだろうね」
放送翌日のこの日朝の定例の内閣官房長官会見でも、実際、この話題で持ち切りになったのだ。その場でも、官房長官は情報の存在を認め、確認作業中と繰り返し、詳しい説明は避けていた。
「フランスや中国は『報道は知っているが、コメントすることはない』と事実上ダンマリを決め込みましたが、否定はしませんでした。北朝鮮は今のところ沈黙しています」
「暫く注意が必要だな。色々と」
「そうですね。まあ、それは皆、分かっていると思います。それに取材ルートについては元々知っている人間が限られていますんで、まあ大丈夫だと思いますけれどね…」
そう言って矢吹はビールをぐっと飲み干した。高笑いは収まったようだ。当面、メトロポリタン放送取材陣への監視が特に中国で厳しくなる可能性が高かった。通信傍受にいつにも増して注意する必要があったのだ。
「そう言えば、今朝、代表にも呼ばれました。中国関係について話してきました」
二杯目のビールを受け取った矢吹はこの日午前の面談について説明を始めた…。
「王鶴さんもきっとご不満は無いだろうとのご見解のようですし、多分、そうなんだろうと思いますが、伏せたというのはどんな話なんですか?」
「はい、あの、肝臓移植の話はどうやら大きな反発は今のところ無さそうなんですが、これに絡んで、あくまで未確認ですが、ある憶測が出てきます」
「と言いますと…?」
「あの…、中朝首脳会談の直ぐ後に、総書記がわざわざパリまで行って移植手術を受けなければならなかったということは、その時点でもう容態はかなり悪かっただろうというのは、まあ、容易に想像できると思います。とすると、総書記は何回もの長時間の首脳会談をしっかりこなせるような状況ではなかったのではないかという推測が出てくるのです」
「成程…しかし、それでも首脳会談自体はしっかり開催された…。何かあったということですか?」
「はい。有態に申し上げますと、総書記本人が首脳会談に出られる状況で無かったとすれば、代役が出たのではないかという憶測です。勿論、証拠は全くありませんが、代わりに兄の正哲氏が首脳会談に臨んだ可能性はあるという説でして…、当時はADE株発生直後という緊急時だったこともあり、やむなく、そのようになったのではないかという憶測です」
「それは随分大胆な憶測になりませんか?」
「おっしゃる通りです。証拠も全くありませんし、そんな話を流したら、中国政府も北朝鮮政府も間違いなく猛反発すると思われます」
「つまり、王鶴さんが我々にわざわざ先走るなと言ったのは、その点ということですか?」
「それもはっきりしませんが、その可能性はあるかと存じます」
「そうですか…、では、配慮はきちんとしたということになりますかね…」
「お言葉でございますが、もともと証拠も無い憶測に過ぎません。なので、放送に値しないという判断でございます。それ以上でもそれ以下でもございませんので、そのようにご理解賜りたく存じます」
「分かりました。そのように理解しましょう。大変良い放送でしたね。お疲れ様でした」
「…と、まあ、こんな感じでして…」
「成程ねー、上手く配慮したね。爺様に対してもさ」
「いや、そんなつもりは…あは」
「社内的にも『大変良い放送でしたね』という一言を引き出したのは悪くないんじゃないかね?」
「それはそうだと思います」
「やっかみはあるだろうが、もう社内からは訳の分からんイチャモンは出て来ないだろうさ。何よりだ」
ライバル社が手も足も出ない大スクープを報じると「どうせ某国機関とつるんだだけだろう」とか「誰それは記者の皮をかぶったスパイに違いない」とか「コンプライアンス上問題のある取材源との付き合いがあるんじゃないのか?」というような、まさに難癖としか言いようのない怪しい噂話が社の内外で流れても不思議ではない。しかし、そんな悪意に満ちた噂話が出ても、今回の放送の評価が変わることはなさそうだった。
「賞の申請はするんだよね?」
「はい、岩岡には新聞協会賞の、まあ、映像部門の申請を時期が来たらするよう指示しました。編集部門で申請しても大丈夫かも知れませんが、そっちだと反発も出ますし、ライバルも多くなりそうなんで、まあ、堅く行きます」
新聞協会賞は、年に一度、日本の大手メディアが所属する新聞協会がその年のスクープを顕彰するもので、日本の報道の世界では最高の栄誉とされる。しかし、新聞協会の中では新参者に過ぎないテレビ局、特に民放がスクープ記事を対象とする編集部門で申請すると大手の新聞社から要らぬ反発を招き、上手く行かない可能性があった。それに、大手新聞社がすっぱ抜く国内ネタの大スクープに国際ネタが勝つのは簡単ではない。それ故、矢吹は動かぬ証拠のある映像部門で申請することにしたというわけだ。これなら脈は大いにある。実際、映像部門でなら、メトロポリタン放送は過去に何度も受賞実績があり、民放の中では頭抜けていた。
「ついでに、菜々子にはピュリッツァー賞の申請についても調べるよう言いました。まあ、こっちはどうなるか皆目見当が付きませんが、ダメ元です」
矢吹が続けた。
「ピュリッツァーが取れたら凄いことになるな。社内的には向かうところ敵なしになるかも知れん」
「そうですよね…、あの、この場限りで先輩だけに申し上げますが、受賞対処者は菜々子と大友と山瀬の三人にするつもりでして、ピュリッツァーまで行ったら、堂々と、菜々子をいずれ局長で戻すつもりでいます。勿論、協会賞だけでもトライするつもりでいますが、この点でも『大変良い放送でした』の一言は役に立ちます。上手く行くと良いんですが…」
「ほー、もうそこまで考えているのか…、狙い通りになると良いな…。しかし、まだ先の話だ。釈迦に説法になるが、何が起きるか分からんから、慎重に静かに事を運ぶしかないね」
「そのつもりでいます。ご内聞にお願いします」
二人は再び杯を上げた。
休暇
その頃、大友は自宅に早々に戻り、妻の手料理の野菜と魚だけの夕食を終え居間でくつろいでいた。しな垂れかかる愛娘の相手をしながら、年末・年始の休暇をどう過ごすか考えていた。
「あんな取材をしていたなんて、ちっとも知らなかったわ。いつものように仕事ばかりだったのは分かっていたけれど…」
すると傍らの妻がまるで独り言のように呟いた。
「いや、ぺらぺら喋るのはね…」
「お疲れ様でした。見直したわよ」
妻は一呼吸置いて続けた。
「無事に生きていてくれて有難う」
大友はこの上ない幸せを感じた。目は潤んでいた。
アメリカ政府やメディアの反応などを伝える続報対応に追われていた菜々子も、翌日から休暇に入る。支局傍のホテルを引き払い太田の家に移動する準備を始めた。矢吹から指示されたピュリッツァー賞申請の下調べは年明けに始めるつもりだった。
「今日はどんなメニューにしようかしら…」
菜々子は久しぶりに大田に振る舞うつもりの手料理の事を考えていた。
秋口から菜々子は既に酒を断っていた。社内ではまだ誰にも伝えていなかったが、5月には産休に入る予定だった。高齢出産になるが、不安は何故か全く無かった。有難いことに今のところ悪阻もない。
「そうだ、カキフライにしよう!」
太田の大好物なのだ。ついでにエビフライも作って妊娠中の自分はそちらだけにすれば大丈夫だ。
菜々子の腕が鳴った…。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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