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20XX年のゴッチャ その65

 シャワー無しで 
 
 WHOの会見は、大友一行がWHO本部ビルに到着して間もなく始まった。
 
「北朝鮮と接する中国側の都市、丹東の郊外で孤発的に起きた新型コロナウイルスの感染クラスターはADE株によるものであることが確認された」
 
 WHOのトップ、アナ・ノヴァック事務局長が声明を読み上げ始めた。記者団からどよめきが起きる。
 
「しかしながら、既に陽性者六人を始め、濃淡に拘わらず接触者は全員隔離され、治療薬の投与を受けている。
 丹東市及び周辺で直ちに始まった全員検査で、これまでのところ他に陽性者は見つかっておらず、陽性者六人も無症状か症状のあった者でも快方に向かっている。治療薬が効いていると考えられる。これ以上、ADE株が丹東で拡がる恐れはほぼ無いとWHOも中国当局も期待している。制御可能である」
 
 記者達の表情に安堵の色が浮かぶ。国際通信社等は「ADE株飛び火」と直ちに速報を配信していたが、次いで「拡大の恐れほぼ無しとWHO見解」という続報を打った。
 
 ノヴァック事務局長は続けた。
 
「ADE株の感染クラスターが発生した場所は中朝国境から遠く、車で一時間程かかる場所だ。封じ込め作戦が始まって以来、陽性者を含め村人は誰一人として村の外に出ていない。感染は国境近くからじわじわと拡大したのではなく、いきなり、その離れた場所に飛び火したのだ。
 その理由は、封じ込め作戦に従事していた中国側要員の規則違反の行動にあるようだ。
 当該中国側要員は、補給物資を運搬する途中、親戚である陽性者家族の元を訪れたことが分かっている。その行動が原因としか考えにくい」
 
「当該中国側要員は、中国政府からWHO現地調査団の運転担当として派遣された者で、任務中、規則に違反して、平壌総合病院で現地職員と不用意な接触をしたことも分かっている」
 
 再び記者団にどよめきが起こった。
 
「当該中国側要員が接触した平壌総合病院の職員は、その後、ADE株の感染が確認され、現在隔離され治療を受けている。その職員から当該中国側要員に移ったADE株が今回のクラスターに繋がったと考えられる」
 
 苦虫を噛み潰したような表情でノヴァック事務局長は続けた。
 
「この為、当該中国側要員と接触のあった者も全員隔離され、健康観察を受けている。WHO現地調査団のメンバーも活動を一時停止し、現地で全員自主隔離している。幸いに今のところ、新たな感染者は出ていない」
 
「今回の不幸な事態は、あくまでも中国側要員の不用意な行動が原因で発生したと考えられるが、当該人物がWHO現地調査団に関わる要員であったことを我々は大変遺憾に思う。その結果、調査活動が一時停止に追い込まれたことは非常に由々しき事態だと認識している。しかしながら、同時に、原因となったのが調査団のメンバーや調査団の活動そのものではなく、あくまでも中国側要員の個人的で無責任な規則違反の行動によるものであることに我々は留意している」
 
 ノヴァック事務局長は、調査団メンバーの行動が直接の原因ではないということを強調したいのが明白だった。事務局長は更に続ける。
 
「一方、この大変遺憾なニュースの中に、良い報せもある。
 当該中国側要員は発症していない。感染もしていない。彼自身からはウイルスは全く検出されていないのだ。
 これが示唆するところは、治療薬の予防服用が期待された以上の効果を発揮しているという事だ。これは大変良い報せだ。まだ安心するには早いが、予防服用を続けているWHO現地調査団関係者やその他の中国側関係者に陽性者が出る可能性は殆どないだろうという期待に繋がるものだ。
 この後、十日間、隔離を続けて、陽性者が出なければ活動を再開する予定だ」
 
 ノヴァック事務局長の発表が一段落し、質疑応答が始まった。
 
「その運転担当からウイルスが検出されていないにも関わらず、感染が拡がった理由は?」
 
 ロイター通信の記者が尋ねた。
 
「その後の調査で、当該中国側要員は、規則に反して、平壌総合病院の駐車場で病院職員と一緒にタバコを吸ったことが分かっている。その際、病院職員がくしゃみをしたということだ。当然、当該中国側要員は飛沫を吸い込んでしまったと思われるが、封じ込め作戦開始とほぼ同時始めていた治療薬の予防服用のお陰で感染しなかったと考えられる。
 しかし、ウイルスは当該要員の頭髪や衣服に付着していて、それが生き残って数日後に、丹東の陽性者の一人に移った可能性が高い。ただ、頭髪に付着していたウイルスが空気中を再び漂って感染したとは考えにくい。その点は留意して欲しい。
 感染者六人の内の一人と当該職員は恋愛関係にあり濃密な接触をしたという。その濃密な接触中に、当該要員の髪の毛などに付着したウイルスを相手が吸い込んだと考えるのが理に適う。当該職員は他の陽性者とは接触しておらず、他の陽性者には同居する家族の一員である当該要員の恋人から家庭内感染したものと考えられる」
 
「髪の毛に付着したウイルスが数日経っても感染力を持っていたということですか?」
 
 今度はフランスのAFP通信の記者が尋ねた。
 
「シャワーを浴びていればそんなことは無かっただろう。しかし、戦闘ではないと言え、作戦任務遂行中の軍関係者が数日シャワーを浴びないのは珍しいことでは全く無い。それは何処の国でも同じだろう。冬の乾燥した状況ではウイルスが長く生き残る。問題はそのまま濃密接触をしたことだ」
 
「セックスの前にはシャワーが大事ということですな」
 
 AFPの記者が軽口を叩き、薄い笑いが記者会見場に巻き起こる。
 
「誰にせよ封じ込め作戦に関わる者はその日の任務が終わったらシャワーを浴び全身を洗う必要があるということだ。これは我々の要員にせよ中国側要員にせよ再確認する必要がある。仮にシャワーを浴びることが出来なくとも、水の要らないシャンプーというものもある。それでもウイルスを死なせる効果はあるはずだ。徹底したい」
 
 ノヴァック事務局長が真顔で応えた。
 
「封じ込め作戦そのものはどうなるのですか?」
 
 フランスのル・モンド紙の記者が尋ねた。
 
「今回の感染拡大と全く無関係の大多数の要員を隔離する必要は無い。北朝鮮国内での封じ込め作戦は継続される」
 
「シャワー無しでセックスが感染拡大の原因か…タブロイド紙や週刊誌なら面白おかしく書き立てるだろうな…」
 
 大友はそう思いながら、自社の原稿の準備を始めた。テレビのニュースでそこまであからさまな報道はできないのが少し残念だったが、そこはワイドショーの出番になるはずだ。
 
 ADE株が中国側にも拡大したという事実はショックだが、どうやら特異な孤発事例に終わりそうなのは救いだった。そして、「シャワー無しでセックス」が殊更注目され、これで大過なく事態が収拾すれば、彼らの望み通りWHOや中国政府の責任問題に発展する可能性は低そうだった。
 
 自社向けのレポートを撮り終え、本社に伝送し終えると大友は山瀬・カメラマンのアルヌーと共にベルナールの戻りを待つ。
 
 WHO本部到着後、大友はベルナールだけをベルンに向かわせていた。丁度、国際学校の下校時間に当たる為だ。ベルナール一人で、国際学校を出て市内に向かう車を目立たぬように離れた場所でチェックするならそんなに怪しまれることはない。そして、お姫様の乗った車を目撃する可能性はゼロではなかったからだ。
 
「さて、何を食べようか…」
 大友の腹が鳴った。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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