オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その122

 

飛び火終息


 
 それから丁度二週間、月が替わって5月の最初の日にWHOが臨時記者会見の予告をした。誰もが中国・白山市に飛び火したADE株感染の終息宣言が出されるのだろうと予想した。
 
 メトロポリタン放送からは、療養を終え前線に復帰したばかりのパリ支局長・大友雄二とロンドン支局長・山瀬孝則のチームがジュネーブ入りした。
 
「今日、皆さんにお集まり頂き、複数の良い報せをお伝えできることを私達は大変楽しみしていました」
 
 WHO・世界保健機構のアナ・ノヴァック事務局長の会見は予告通り現地時間の午前10時に始まった。欧米はとうに夏時間に入っており、日本時間では夕方5時に当たる。日本の各テレビ局は、ほぼ横並びで、会見の模様を生中継する。
 
「今日発表できる良い報せはADE株対策とワクチン開発、それに治療薬についてです。
 初めに、中国・白山市に飛び火した新型コロナ・ウイルス・ガンマⅡ型ADE変異株の感染は終息したことをWHOはここに宣言します」
 
ノヴァック事務局長は誇らしげだ。予想通りとはいえ、記者団にも安堵の色が広がった。
 
「ADE株によるヒトへの新規感染は、現時点で既に三週間以上見つかっていません。これは中国政府の迅速で適切、強力な対応が功を奏した結果です。WHOは中国政府の努力を称賛したいと思います」
 
 習近平主席もこの言葉には満足しているに違いない。
 
「同時に、速やかな検査と隔離、治療薬の投与、果断な行動制限をすれば、経済的な痛みは不可避とはいえ、ADE株を人間社会から消滅させることが可能ということを白山市の成功例は再び実証しました。
 白山市への飛び火が自然界の野生動物を経由したものであることを鑑みれば再燃の危険が完全に去ったとは言えませんが、早期に適切な対応をしさえすれば次も恐れる必要はそれ程ないということです。万が一、何処かで再燃した場合、地元政府は、これを包み隠さず直ちに公表し、WHOや国際社会と協力して、迅速に対応することが肝要であると我々は改めて強調したいと思っています」
 
 武漢株発生当初のような初動の遅れが無いよう各国に釘を刺すのも事務局長は忘れなかった。
 
「次いでワクチン開発についてです。正式な発表は複数の製薬会社から間もなくされると思いますが、ADE株にも有効と期待されるワクチンの開発が実験室レベルでは終わり、近々、第一相治験が始まる見込みです。このワクチンは新型コロナウイルスのSタンパクだけではなく、Nタンパクも標的にしたもので、既存株にもADE株にも有効と考えられています。
 幸い現状ではADE株は人間社会では流行しておらず、これに対する治験は望んでも出来ませんが、既存株のNタンパクへの効果が確認されれば、間違いなく吉報となります。そうなれば我々人類は新型コロナウイルスに対する新たな武器を手に入れることになります」
 
 新型コロナウイルスが人の細胞に侵入する際に必要なSタンパクだけではなく、人の細胞内で増殖を終えて、その細胞から外に出る際に必要とみられるNタンパクの働きを阻害できれば、脅威を更に減じることが出来るのだ。
 
「最後に治療薬についてです。第三世代というべき新しい治療薬の開発も複数の製薬会社が進めていることは周知の事実ですが、こちらも順調です。やはり第一相治験が順次始まります。上手くすれば、遅くとも来年始めには我々は更に新たな武器を手に入れるでしょう。豊かな国々はそれぞれ独自に新たな武器を積み増すことになるでしょうが、我々WHOも関係国の支援を得て、途上国向けに、新たなワクチンと治療薬を積み増す方針です」
 
 ここまで一気に声明を読み上げたノヴァック事務局長は、コップの水を飲んで一息入れると更に続けた。
 
「北朝鮮におけるADE株の新規感染者も既にゼロの状態が白山市より更に長く続いています。特別施設に隔離されている患者は今なお一人存在しますが、時間の問題で、こちらもゼロになるでしょう。自然界に残るADE株の存在が否定出来ない以上、我々はまだ安閑とする訳には行きませんが、新たなワクチンと治療薬の開発に成功すればこれもそれ程脅威にはならないでしょう」
 
「2019年の発生以来、新型コロナウイルスは我々に多大な厄災をもたらしました。不幸な想定外の死を迎えた人々は世界で百万単位という規模に及びます。しかし、現在の既存株に関して言えば、その毒性は、変異を重ねた結果、相当弱まりました。死者がゼロになることは考えられませんが、健康で十分な医療アクセスさえあれば、人類は、もう、それによる死を恐れる必要は殆どありません。手遅れにさえならなければ、普通の風邪と変わらないようになっているのです。
 そして、厄介なADE株が万が一、再燃しても、適切に対応すれば、大きな被害を出さずに済みます。わずか数か月で、人類はADE株にも対処できるようになったのです。我々が新型コロナウイルス感染症対策で得た数々の教訓とノウハウは、いつか必ずやってくる次の新たな感染症にも活かされるでしょう。質疑に移ります」
 
 冒頭の声明発表が終わると大友は建物の外に出て、本社との生中継の準備に入った。ネット回線が繋がり、音声チェックが終わると、スタジオは直ぐに大友を呼んだ。
 
 大友の久しぶりのレポートが始まり、大友は会見の概要を説明する。レポートは淀みない。ぶりっ子と揶揄される喋りも健在だ。だしかし、色艶こそ万全ではなかったが、見た目はかなり違っていた。ダイエットに成功したのは明らかだった。本社の事情を知る者達の間でざわめきが起こった。
 
 掛け合いの最後にスタジオのキャスターが尋ねた。
 
「大友さん、今回の発表を受けて、我々が気を付けるべきことは何でしょう?」
 
 この質問に菜々子が噴き出した。まるで当てつけのようだからだ。
 
「そのご質問は専門家の方にお応えいただくのが筋だと思いますが、私個人としては普段から最大限健康維持に努めること、そして、症状が出て、少しでも悪化する気配を感じたら、速やかに医師に相談するでしょうか…そう心掛けたいと思います」
 
 報道局フロアーで疎らだったが、拍手と笑い声が巻き起こった。大友も遂に学習したのだ。
 
 日本では間もなくゴールデン・ウイークに入る。米朝の本格交渉も遠からず始まるだろう。国際取材部を長く悩ませてきた二つの大きな取材テーマは一先ず更に落ち着きを見せてくれる筈だ。
 
 菜々子は休日の間、結婚準備に勤しむつもりだった。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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