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20XX年のゴッチャ その63

 鬼ごっこ
 
「へぇー、面白そうじゃん、先が楽しみだねー」
 菜々子から現状の説明を縷々受けたメトロポリタン放送総務・人事担当専務の矢吹が言った。
「そんな話を聞くと現場に戻りたくなるなぁ。で、菜々ちゃん、僕に何をして欲しいの?」
 
相変わらず軽い。曲がりなりにも一部上場企業の役員による職場での発言とは到底思えぬ口調であった。
 
「矢吹さんには、可能な範囲で総書記の健康問題について探っていただければと思っています」
 菜々子が応えた。
「そうかそうか、じゃ、折を見て、知り合いに訊いてみるよ。それだけなら、別に何か勘繰られる可能性も低いだろうしさ」 
 矢吹が快諾した。
 
 矢吹も未だに半島筋には良い情報源を持っているのだ。何か引っ掛かって来る可能性はある。
 
「特に、仮に健康に問題があるとして、それがどんなものなのか、糖尿なのか、肝臓なのか、それとも他の機能障害があるのか、少しでも示唆があると助かると思います」
 菜々子が追加した。
 
「うん、うん」
 矢吹が楽しそうに頷く。
 
「それと、正哲にも健康問題があるかどうか、ついでに、さりげなくお願いできれば…」
 
「分かった。やってみる。それにしても何だな、甲斐さんが良く言っていたじゃんか、俺達の仕事は鬼ごっこの鬼をいつもやっているようなもんだ、偶には追われちまうこともあるけれど、上手くやれば大丈夫、こんな面白い稼業はなかなかないぜってさ。この先は簡単ではないだろうけど、正に楽しみだよねー」
 
 甲斐はルークの本名である。
 
「そうかも知れませんね、簡単ではないですけれど」
 菜々子も同意して、微笑んだ。
 
 しかし、矢吹が珍しく真面目な顔になり、付け加えた。
「でも、気を付けた方が良いよ。この先、追われる立場にならないようにさ。危ない橋を渡ろうとしている訳だからさ」
「そうですね。分かりました。気を付けます」
 
 すると菜々子のスマホが鳴った。ソウル支局の棚橋からメッセージだ。内容を確認した菜々子が矢吹に告げた。
 
「棚橋も確認しました。元外交官の脱北者に当たったところ、二人の男は、共に欧州駐在の外交部職員だそうです」
「そうか…ま、棚橋が彼に確認したなら大丈夫だろうね」
 
 矢吹には棚橋が接触した脱北者の見当がつくようだった。
 
「兎に角、慎重に頼みます。甲斐さんに相談していれば大丈夫だろうけれど、桃ちゃんや現場が突っ走り過ぎると面倒になる可能性が強まるからね。上手くコントロールしてね。
じゃ、僕は次の会議があるから」
「有難うございました。宜しくお願い致します」
 菜々子は矢吹の部屋を辞した。
 
 自席に戻る途中、菜々子は矢吹が言ったことを反芻していた。桃姐さんが突っ走るとは思えなかったが、確かに現場がやり過ぎてドジを踏む可能性はある。しっかり注視しましょう…菜々子はそう思った。
 
 すると雨宮とすれ違った。目と目が合うと雨宮がニヤリとしたような気がした。何やら含むところがあるようだったが、菜々子にそんなことに気を回している暇はない。
 
 一方、雨宮はすれ違った菜々子の背中にちらりと目をやりながらこう思っていた。
「いいわねぇ、楽しそうで…」
 
 雨宮は、菜々子に一泡吹かせたくて、ずっとうずうずしているのだが、今はまだ臍を嚙むしかなかった。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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